「海に行くッショ」

夏の楽しみに誘うような明るい声色ではなかったせいで他の人を誘う気にもなれず、かと言って断る理由もないのでふたりで海に行くことになった。でも楽しみだった。巻ちゃんの声は、ささやかな喜びを私にもたらした。
友達に教えたら恋とかスキとか言われそうな気がしたから、誰も誘わずに水着を買いに行く。

私と巻ちゃんは、恋とかスキとかいう土俵の上で海に行くのだろうか。
いろんなことがありすぎて、今の私にはもうわからない。

確かに最初は淡い恋心だった。小学生の時、
あの時も誰にも内緒でレターセットを買いに行った。本当は都会のおしゃれな雑貨屋さんに行きたかったけれど、小学生の足じゃ近所の店がせいぜいで、せめてその店で一番かわいいレターセットを探して、ずっとドキドキしてた。
OKしてもらえるかとか、フられたらどうしようとか、そんなことをずっと考えていたと思う。だけど、そんなことどうでもよくて、ただ恋心という心地よい波に揺られて心を躍らせていただけのような気がする。
結末はあっけなかった。今なら小学生男子のすることだと流せる。だけどその時の私にはそんなことできるはずもない。
きっと恥ずかしかったんだ。多分、両想いとまではいかないだろうけど。私を嫌ってはいなかったはず。
思えばそこからだ。私と巻ちゃんのキョリが、ものさしでは測れないものになって、どうすればいいかわからなくなったのは。
誰より巻ちゃんの考えていることがわかると感じることがあれば、突然冷たくされたりする。そんなことを繰り返すうちに、私の方も予防線を張ってまた張って予防線をたぐりよせ、予防線にすがりつくようになった。
これだけ距離があれば突然いなくなっても大丈夫。それが嘘っぱちだってわかっていても。

昔はどこにでもあるような安い店で
今は若者がこぞって通うはやりの店で
やっぱり同じように彼のために頭をごじらせている。

結局私は、巻ちゃんの髪と海の色を混ぜたような、さわやかなターコイズ色の水着を買って、そそくさと家に帰った。
帰り道、ふと、巻ちゃんが泳ぐ姿なんて思い浮かばないやと思った。
もしかしたら泳ぎに行くんじゃなくて、海を見に行くつもりなのかもしれない。
でもいいや、買い物は十分楽しかったから。

久しぶりに恋をしている気分になった。


海に行く前日。私はたまたま用があって学校にいた。帰ろうとする私を、黄色いジャージを着た巻ちゃんが見つける。
なかなか見れない、部活中の巻ちゃん。きれいだ

「なあ」
「覚えてるか?」
「明日、」

機械が繋いだような三つの言葉が、ぽろぽろと勢いよく零れ落ちた。

「もちろん」
「水着新調しちゃった」
「巻ちゃんこそ」
「覚えてたんだね」

水着のことは言わない方がよかったかもしれない。
巻ちゃんは嬉しそうに見える顔をして、ならいいと去って行った。
私も不思議と笑顔になった。

からっと乾いた、日本らしからぬ海日和。
待ち合わせの時間よりも20分早く駅に着く。
人を待つのは好きだ。特に、楽しいことが待ってる時、好きな人を待つ時。

私と巻ちゃんが恋とかスキとかの土俵に立っているか否かは依然わからないままだが、私は確かに、未だに、巻ちゃんが好きだった。否定してもしょうがない。せっかく張り巡らせた予防線が意味を失っていくのを感じる。
性懲りもなくドキドキしてる。
水着似合うかな、巻の好みだったらいいな。でも巻ちゃんのセンスで褒められても喜べないかも。あ、来たらなんて言おう。巻ちゃんはどんな水着なんだろう。自転車競技部で鍛られてきっと逞しいんだろうな。それにしても一体どうして巻ちゃんは私を海に誘ったんだろう。

「よ」

来た。5分前。

「さっきまであっちの方で待ってたッショ」
「え…そうだったんだ。着いたときに連絡すればよかったね、ごめん」
「そりゃ、俺も同じッショ…」
「……」
「…行こうぜ、そこに自転車とめてある」
「え、巻ちゃんの自転車、二人乗りできないでしょ」
「馬鹿、ママチャリッショ」

巻ちゃんはキレイに笑った。
高校に入ってからも普通に話はしてたけど、こんなキレイな笑顔をみるのは久しぶりだった。
胸がドキドキ、キラキラして、息もできない。吐いた息に私のきもちが乗っかっていそうで、巻ちゃんにばれたくないと思って、きゅっと胸元を抑えた。

「ホラ」

ドキドキする。けど、たぶん今さらドキドキする間柄だと思われてないんだろうなと思って、そっと巻ちゃんの背中に身体を預けた。
まだ見慣れた街を走っているはずなのに、景色が全部違って見える。

「ねえ、巻ちゃん」
「何」
「今日って泳ぐの?私、巻ちゃんが泳ぐところ想像できない」
「お前が泳ぎたきゃ泳ぐッショ。俺は見てる」

やっぱり泳がないんだ。

「じゃあ、私も泳がない」
「水着新調したんショ?」
「巻ちゃんが泳がないのに、私だけ泳いでたら保護者と子どもみたいじゃない」
「クハ、言えてる」

ああ、普通にできてる。安心した。
巻ちゃんは坂を登るのが得意で、まっすぐな道は苦手だって言ってた。だけどそれば競技の話で、素人の私からしてみればこれがママチャリだとは思えないほど自転車はスイスイ進んでいた。

順当に海について、海の家からビーチパラソルを借りて、人気の少ない場所に立てて、少し離れた喧騒を聴きながら海を眺めていた。

「…今日は」
「うん?」
「お前に言いたいことがあって来たッショ」

巻ちゃんの声は波の音ととてもマッチしていて、溶け込んでしまいそうだった。らしくもない真面目なトーンに、嫌な方向に心がざわついた。

「留学する、イギリスに…9月から」

これが波の音で、空耳で、巻ちゃんはまだ何も言ってなかったらいいのに。
私はずっと海の方を見ていて、こわくてこわくて巻ちゃんの顔なんか見れそうになかった。
巻ちゃんの顔をみたら、ゆるく笑っていて、何か、なにか全然違うことを言ってくれればいいのに。

現実は残酷だ

「そ、そっか」

波の音だけがその場を埋め尽くしていた。
留学するってことは、外国に行くってことは、しばらく会えないってことだ。
もしかしたら、しばらくなんてもんじゃなくて、もう帰ってこないのかもしれない。
結局二度目の告白はできなかったな、あまりにも急過ぎる。どうしていきなり、どうして海に連れ出してまで、
聞きたいことは波のように押し寄せてくるのに、こわくて何も聞けなかった。
都合の良い返事が返ってこなかったら、自分の中に立つ波にさらわれて、自分を見失ってしまいそうだった。

私、こんなに巻ちゃんのことが好きだったんだ。
自分でも知らなかった。そりゃそうか。小学校の、その前から、ずっとずっと大好きだったんだ。
私の人生には、常に隣に巻ちゃんがいて、ふたりの距離が曖昧になってからも、さりげなく道しるべをくれた。そんな巻ちゃんが大好きだ。

「そうなんだ…ええと…その、あ、教えてくれて、ありがとう…それで、あの」

巻ちゃんの表情がわからないのも、巻ちゃんの表情を知るのもこわくて仕方がない私は、耐えられなくなってとうとう巻ちゃんの方を向いてしまった。
すると、長い指に勢いよく顎をつかまれ、そのまま一瞬視界が暗くなった。
その指が離れても私が事の状況を把握できないでいると、巻ちゃんはやっといつもの顔になった。

「クハ、さすがにトロすぎッショ」
「え、あ…あ、今の」
「なんで俺がわざわざ今日お前をここに呼び出したかわかるか?」

それは、留学のことを私に伝えるため…いや、きっとそれだけじゃないんだろう。
さっき私は、現実は残酷だなんて言ったけれど、

「好きだ」

それは大きな間違いらしい。



白帆のたった恋心




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