彼は、私にあまり干渉しないでくれる。そういうところが、好きだ。
だけど、私の全てを奪うように、力強く抱きしめてくれる腕が、大好きだ。
それでも、やっぱり実際に奪ってくれたりしないところが、すこし惜しい気もする。
しかしそれは、干渉しないでくれていることと矛盾してしまうから、きっと彼は今が一番良い状態であることを分かってる。

そういう頭のいいところは、ほんのすこし、苦手だ。


「次移動教室でィ。早くしろブス」
「ブスと付き合ってるなんて沖田君カワイソ〜」
軽口を叩きながらいつものように隣を歩く。私よりもずっと可愛らしい顔をしているくせに、身体は立派な男で身長も私より高い。

…と、このように私と彼のことについて軽く説明をしたところで本題に入ろう。実は私は女子高生の皮を被った哲学者なのである。
私の持論、生を持つ限り確かなことなどひとつもない。確かな何かは死の向こう側にしかないからだ。
生と死が相対するものならば、生きている限り死は必ずやって来る。
功績や信頼や愛情なんてものは、生きている限りいつ崩れるかわからないジェンガのようなものだ。
生まれた時点で穴の無いびっちり敷き詰められた積み木の山だったのなら、生まれたての人間がもつ純真さを引き換えに座ること、歩く事、話すこと、書くことを覚えていく。そうして少しずつ積み木をひっこぬいたり積み上げたりしながら人生を生きて、最後の最後に様々な形で崩れてしまう。私はそれが人生なのだと思う。
崩れてしまったものをこれ以上壊すことはできないから、死は確かなものだ。死が確かなものであるかわりに、整頓されて積み上げられた"生"はぐらぐらと揺れていつ崩れるかもしれない不確かさを持っている。
死んだあとの事は、いまジェンガを引き抜いたり積み上げたりしているうちは分からない。全て壊れてしまったあとだ。"生きていくこと"が"死に向こうこと"であるかぎり、それは変わらないだろう。山の向こうの風景を、今この場で見ることができないように。それを見るためには歩き続けるしかない。それが"死に向かうこと"だ。

「宿題してねえ」
「あーあ、バカ。見せてあげないから」
「オメーの間違いだらけの答えなんてこっちから御免でィ」
「じゃあどうすんの」
「土方コノヤローのノートでも奪って来りゃいい」
「土方くん…ご愁傷様」

今この瞬間も、私達は刻一刻と死への道を歩いている。今歩いているこの廊下が、この会話が、この幸せという感情が、全て私たちを死へを誘う材料になっている。

死は、恐ろしいものだ。

それは私たちのずっと祖先が、セックスして子どもをつくり、生きていくために自然と覚えた洗脳だ。
確かなものを得たいのならば、努力するより親切するより先に、死ぬべきなんじゃないかと私は思う。

「…ねえ、総悟」
「なんでィ、今土方の隙をうかがうのに急がしいんでィ」

ねえ、私と

「そっか、じゃあ、いいや」


女の子のかたちをしたプラナリア


自分がとても馬鹿なことを考えている事に気がついた。実はこういうことが、ほぼ毎日おこっている。
いつか本当に、私は総悟を殺してしまうかも

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