光の森にて

まるでつるっと剥けたたまごみたいに、太陽の光を燦々と浴びて、人々の中心でからからと楽しそうに笑う。垢抜けなくて、この世の希望とか喜びとかそういうものを全てつめこんだみたいなきらきら輝く瞳をしている子どもたち。とっても馬鹿だと思う。そんなことして何の得になるんだと考えあぐねてしまう。木陰で静かに周りを見渡してるだけで十分だ。自分の気持ちなんて相手に伝える必要はない、相手と何かを共有する必要はない。ただ薄暗くて涼しい大いなる樹の元で、馬鹿みたいに笑っている同年代の子ども達を見ている。私はそんな子どもだった。だから友達なんて呼べる人物は片手が余るほどしかいなかった。周りの大人たちからは、私はきっと薄気味悪い子どもだと思われていたに違いない。別に悪い気はしない。人間と言う生き物はきっと自分以外の何かしらを否定していないと生きられないんだ。とても脆い。私は子どもの頃から子どもらしからぬことを考えてはひとりでほくそ笑んでいた。
そう言うと、私を何か特別な経験をした可哀想な子どもだと思うひとが居る。だけど私は学があるわけでもない、なにか特別な経験がある訳でもない。両親を戦争で失い戦死した人間の懐から食料や小銭を漁って生きていた、その当時掃いて捨てるほどいた子どもの中のひとりだった。

「お前、変な奴」

いつものように天人が邪知暴虐に駆け抜けて行った後、私は枯れた草のたなびく野原を散策する。血の錆のにおいや肉体の腐敗するにおい、まともに食べられなくてみるみる細くなった身体にずっしりと腰を据える罪悪感をいっぱいに感じながら、たくさん死体の中から父に似た顔の侍を見つけてしまったとき。私は殆ど何も考えられない。その侍の懐から小銭をすくねる時。自分はとても残酷なことをしているのだとぼんやり思った。なのに懐をまさぐる手は止まらない。止められない。本当はこんなことしたくないんだ、生きる為にしかたなくしているんだと、誰が聞いている訳でもないのに自分に言い聞かせて、泣きながら小銭を握り絞めた。あの時もこんな時であった。それは私の子ども時代の数少ない、これから生きていく中でもう二度と出会えないような大きくて温もりのある幸運だった。

「これが教科書と筆。これからあなたはこの寺子屋と言う場所で私達と生活し、生きていく上で必要な物事を勉強します」

私にとっての先生は、いつも日の光を背後に背負っていた。後光のようなもの。そこからそっと手を差し伸べてくれているような。その行為自体はとても嬉しいことなのに、私は日の光に晒されたくない。先生と居るのはとても幸福なことだと解っているのに、その手をとることはできない。そう、なんだかんだ理由をつけて、私は結局恐がっていただけなのだ。何に、と問われて巧く答えることはできないが、多分、幸せに慣れてしまうこと。
その時の私にとって生きていく上で必要な物事なんて、巧く天人の隙をついて逃げる方法やら、多く金を持っている侍の見分け方なんてものだと思っていたから、授業を座敷でやると初めて聞いた時はおどろいた。そして先生はそんな私を見て、「これは銀時並みの問題児ですね」と言って朗らかに笑った。その時の先生もやっぱり太陽を背負っている。
銀時。あの寺子屋に行ってはじめて私に話しかけてきた子ども。私の数少ない友達のひとり。真赤な瞳をして、銀色のくせっ毛を風にあそばせているような、常に余裕ぶっている飄々とした雰囲気を意図的に醸し出しているような奴だった。気にくわない。それが第一印象だった。そして言われたのだ。変な奴に、変な奴と。

「うるさい。あんたの方がよっぽど変だわ」

その日の私は過去に見ないほど饒舌だった。自分でもこんなにぺらぺらと言葉を吐き出すことに戸惑った。こんな目をした奴に、私は負けたくなかった。「なんでお前いつもひとりなんだよ」
「うるさい。あんたなんかにわからない」何で争っているのかは自分達でも解らない。ただ、なにかあるごとに私と銀時は衝突した。そしてそれを暖かく見守り微笑む先生。先生にこれでもかと言うほど甘える銀時。それを見て唇を噛む事しかできない私。自分ににた境遇なのに、ひとに甘える術をもっている銀時に。いたずらっ子なのに憎めない色を含んだ真赤で綺麗な飴色の瞳に、途方もないほど嫉妬し、敗北感を感じていた。ほら、思ったとおり。人間なんて言う生き物は自分以外の何かしらを否定していないと生きられないんだ。私は銀時を否定、嫉妬してる。
そんな自分が、銀時に対する嫉妬と同じくらい、嫌気が差していた。
私にとっての先生は、もはや人間ではなかった。いつでも優しく朗らかに笑み、和やかな物腰で暴れた盛りの子ども達をなだめてしまう。常人にできたことじゃない。先生は誰も憎まない。何もかもを平等に愛する先生は、何もかもに平等に愛されていた。羨ましいなんて思わない。私程度が先生に及ぶはずもない。嫉妬なんてお門違いだ。

「あなたはいつも私から遠ざかってしまいますね」
「そんなこと、私は」
「それが私には、少しばかり寂しいのです」

悲しげに微笑む横顔。私の脳天に稲妻が走ったようだった。先生を哀しませた。私が、私なんかが。あの、慈愛に満ちて神々しい輝きを持った先生を、一瞬でも翳らせた。罪だ、大罪だ。
いつかの、もう遠く感じてしまう日の、父の姿に似た死体から小銭を盗った時の、もう半分忘れていた感覚がよみがえってくる。知らず知らずにうちに幸せに慣れていた私には尋常じゃない衝撃だった。たいへんな罪を犯してしまった。頭がそれしか考えられなくて、私は先生の顔を見ることもなくその場を後にした。もうここにいられない。ここにいたら先生を哀しませてしまう。私は死ぬべきなんだ。そうだ、どうして今まで解らなかったのだろう。人の物を盗んで生活していた時に、なぜ気付かなかったんだろう。盗むのが心ぐるしいのなら何もかも投げ捨てて死んでしまえばよかったんだ。そうすれば幸せを覚えることも、それを手放す心苦しさも味わわずに済んだのに。私は手入れを怠って錆だらけになってしまった刀を手に取った。いつか割りと偉い攘夷浪士から盗んだものだ。良い刀だったから、思わずもらってしまった。ここに来るまでは完璧とは言わずともきちんと手入れして、使っていたのに。どうして涙が出た。
ふらふらと新月の夜を歩く。裸足に土のひやりとした感覚が心地よかった。夏のゆるくて優しい風が私の頬を撫でてはどこかへ消えてゆく。その風にじゃれつくように私はくるくる踊った。このまま、狂った人間みたいに踊りながら死んでしまうのも悪くない。じっとしていれば私を迎えてくれる風も、私が踊りだせばその乱れた動きにからまって、中々うまく私を慰めてはくれなかった。悔しい。足を止めた。風は再び私の頬を撫でてゆく。羨ましい。嫉ましい。先生を傷つけることをせず、先生に愛され先生を愛せる銀時が。万物の理のようにその循環を続けられるふたりのかたちが。そして、先生が折角伸ばしてくれた手を、結局最後までとれなかった私がくやしい。先生に拾われてからだいぶ体力が落ちた。「女の子はそんなふうにするものではありません」という先生の言葉に従って、ずっと大人しくしていたからだ。まだたいした距離を移動したわけでもないのに、疲れてしまう。石がごろごろころがった道の真ん中に倒れこんだ。女であることに小さな劣等感を抱き、男である銀時をまた少し羨んでしまった事は知らん振りして、ここで目を瞑って、眠るように死んでしまおう。轢かれてしまうもよし、獣に食われてしまってもいいし、不埒な大人にいたぶられて死んだってもうどうだっていい。乾いた笑いをかみ殺したあと、目を瞑る。聞きなれた声はすぐにやってきた。

「先生が…死んだかもしれない!」


銀時に手を引かれて、もと来た道を走った。私はもう行き絶え絶えで、なのに銀時はずっと真剣な眼差しを崩さないまま、物凄いスピードで走っていた。だんだん、真赤な光が見えてくる。どんどんどんどん、物凄いスピードで近づいてくる。めらめら燃える、私のしあわせ。最後にはみすぼらしい灰になって、消えてしまうんだ。
寺子屋の前で足を止めた。銀時はまっすぐな眼差しを寺子屋から離さない。私は見つめ続けることができなかった。消えてゆく、計り知れない輝きを放ちながら、空に吸い込まれるように失われてゆく。もう、この世界に戻ることはできない。私にはどうしてもできなかった。私たちの幸せの崩壊を、目を逸らさず見つめ続けることなんて。私には、どうしてもできなかった。

「なあ、」

ばちばちと激しい音を立てながら消えてゆく寺子屋の前で、銀時の声はやけにリアルに、はっきり聞き取ることができた。その声は震えていたのに、やけに真っ直ぐ私の耳を貫いた。

「生きよう」

涙が止まらない。この涙で、炎を消してしまえればいいのに。無理だってわかってる、けど、願わずにはいられない。
わかった気がした。銀時はとても強かった。大切なものが消えてなくなっても、決して泣いたりしなかった。私の手を掴んだままの細腕に、ぎゅっと力がこめられた。銀時の瞳を見つめる。炎のような、鮮血のような、どこまでもどこまでも深く透き通ったひたすらな赤。私はその神秘的な色に、今までにない心の熱さを覚えた。薄暗い場所では、決して見ることのできなかったうつくしい輝き。ただじっと監察して、たったひとりで考えるだけでは、決して理解することのできなかった熱量。馬鹿は私だ。今ならわかる。今なら言える。熱風に晒されて縦横無尽に踊り狂う髪が、今の私の心をそのまま表しているようだった。

「生きよう」


先生が私に教えてくれたことは、今でも私に強く根付いて、鼓動を絶やさない。先生が私に教えようとしてくれたことは、現在進行形で私に教えてくれる人がいる。先生が私に最後に言った言葉は、今でも私の心臓を握って離さない。先生の心を翳らせた自分を、私はまだ許せていないからだ。だけど、わかる。先生は私にそんなことを思わせる為にあんなことを言ったわけじゃない。先生も、私を万物と同じように愛してくれた。決してそれが私ひとりに注がれるものじゃなかったとしても、私はそれが嬉しい。今は亡き私の生涯ひとりの師に、これからも全ての愛を捧げていこう。それはきっと、いいえ。必ず。今私を支えてくれている人たちにふりそそいでくれるはずだから。



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