誰にだって理想の自分っていると思う。私にだっている。もっと素直で、綺麗な人間になりたいと思う。だけど現実の私は今私が認識している"自分"よりも遥かに醜く卑怯な人間だ。私はただ、現実から目を逸らしてその場を凌いでいるだけ。髪をかき乱してベットにうずくまる。眠ってしまいたい。このまま死ぬまで、静かな呼吸を繰り返してたおやかに呼吸を止めたい。純白のシーツに、私の黒髪が罪のように見えた。ふと、あの笑顔が私を掠める。頭がちりちりと痛んだ。笑顔の裏に、酷い感情を持っている男。笑顔を貼るだけで、その感情を隠そうとはしない。たいがい彼も酷い奴だ。きっと私を玩んで喜んでる。瀟洒な微笑みに、より一層深みが増した。まるで蜃気楼のようだと思う。私の目には見えるのに、他の人にはわからない。手を伸ばせば届きそうなのに、あと一歩で消えてしまう。確かにぬくもりはそこにあったのに、残るのはひんやりとした寂しさだけだ。今日は半年振りにあの人がここに来る。私はささやかな望みを諦め、シーツから這い上がった。
「髪、伸びちゃった」
「じゃあ切るよ」
「おねがい」
ストレスの溜まる仕事なのだと思う。顔がわれるといけないから無闇に外出することもできないし、任務はどれも陰湿で長期に渡ることが多い。仕事の為にはどれだけの拷問にも堪えなければならないし、血を流しながら手に入れた情報のせいで更に命を脅かされる。真選組監察方。それが彼の肩書きだ。
黒く垂れた髪に鋏をいれる。しゃきんしゃきんと鋭いような音をたてながら鋏は動く。白い床に落ちてゆく髪。ほとんど無心で鋏を動かし続け、彼の伸びて不恰好になった前髪に触れた。さわやかな、黒く鋭利な視線に貫かれる。口元は微笑をたたえている。私はこの人のものだ。すうっと肺に吸い込まれてゆく空気がクリアに感じられる。彼の髪を切るのは私の仕事だ。髪を切る時だけ、彼は私に無防備になった。
「できた」
「ありがとう。相変らずうまいね」
「そうかな」
「そうだよ」
目を細めて、私の顔に手を伸ばす。頬、目、鼻、唇。順に辿っていって最後に顎にたどりついた。私は腰をかがめる。任務から帰ったばかりだという彼の髪からは僅かに鉄錆の匂いがした。私は満たされる。いつか私も、彼を彩る香りになりたい。だけどきっとそれは叶わない。私は彼の味方でなければならないから。私を見上げる顔を、今だけは私のものだと言ってもいいだろうか。決して受け止められる事のないこの想いを、少しだけ棄ててしまってもいいだろうか。彼に受け取ってもらったと思い込んで、そのまま醜く垂れ流してしまいたい。溢れんばかりのこれは、やがて私を突き破って勝手にどこかに行ってしまいそうだから。少しずつ排出して、少しでも長く繋ぎとめていたい。想像もしたくない"いつか"に、私はいつも脅かされている。
「………」
「どうしたの?」
「ううん、なんでも」
あなたには私がいないとダメだって。今だけそう思わせて。彼の髪を切るのは私だって。私しかいないって。そう言って欲しい。たとえ蜃気楼のような関係であったとしても、少なくとも今はそれに縋っていたい。私が今に疲れて諦めたくなってしまったとしても、彼のうららな瞳に射抜かれてしまえば、すぐに私は元に戻れるんだろう。私が手痛くぐしゃぐしゃにされてしまっても、あなたになら全て許してしまいそうだ。白昼夢を見ているようなこの恋愛が、恐ろしくも愛おしい。

その優しい嘘に肉がついたそのときから愛は腐り始める

企画サイト「契」さまに提出
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -