私は不眠症だった。…過去形にする必要はないかもしれない。だけど兎に角私は、不眠症であった。何とか眠りに就こうと布団を被ってきつく目を瞑る。きっとこんなことをするから余計に眠れないんだろう。解っていても眠れないことによるストレスは異常だった。なんとかして眠らなくては、でも睡眠薬などは極力使いたくない、けど…という、脅迫されているようなプレッシャーの中ですごす深夜というものは、私に多大なストレスを与えていたのだ。不意にがたりと不穏な物音が聞える。1人暮らしであるはずの私の部屋に、私以外の物音が聞える筈が無い。意を決して音のしたほうを見ると、脂っこいぎらついた目をした蒼い男性がこっちを見ている。恐怖が先走って咽の機能がついていかない。無言のままの私に、蒼の人は「ここはどこだ」と一言言った。やけに寂しそうな声だった。

暫くして、彼は幽霊のようなものだということが解った。彼は戦国時代に生まれ奥州筆頭として名を馳せた独眼竜伊達政宗らしい。私はその名前にちくりと心が痛むのを感じた。だけど私は彼に触ることは叶わなかったし、それは彼からしても同じだった。彼には自分が死したときの記憶が無いらしい。だけど自分が死んだ事は解っていて、今は平成という時代なのだという事を言っても「そうか」と浅く頷くだけだった。時に垢抜けて時に物静かな彼と私は妙に気が合って、彼は私に憑く幽霊的なポジションについた。聞くところによると取り付くとか祓われるとかいうことに、特に決まりやきっかけなどは必要ないらしい。

「でもまあ、憑かれたらなにかしら良くねえことが起こるだろうな」
「たとえば?」
「友達が減ったり、大怪我したりとかだな。憑く奴によりけりだ」
「政宗の場合は?」
「俺の場合は…視力が低下する、とかだな」

私は何となしに政宗(意気投合した私達はお互いを呼び捨てで呼ぶようになった)の眼帯で覆われた右目を見た。彼の右目である片倉小十郎によって抉られたという彼の右目が、その視力低下に繋がるのかはよく解らなかったけど、別に視力なんて私にはどうでもいい。

私と政宗はいつも一緒だった。だからと言って政宗は私以外の誰にも見ることは叶わなかったし、言葉の数が多いわけでもなかった。私が一番政宗を感じられたのは、誰も私と政宗が話すことを咎めたりしない夜だった。まったく眠くならない不眠症は、意外なところで役にたった。政宗と話すことによって、私の心が軽くなって、知らぬ間に溜まっていたストレスもとい小さなイラつきはなりを顰め、しばらく充実した毎日が続いた。どうしても睡眠が足りないんだったら、授業中寝ればいい。そうすればきっとずっとこの生活を続けられる。そんな馬鹿なことを私は本気で思っていた。

「どうしたの?」
「いや、なんでもねえ」

政宗が考え事をすることが多くなった。ぼんやりしていたり、無言でこっちを見ていたりする。聞くと必ず「なんでもない」と答えるので詳しいことは解らない。

「楽しそうだな」
「うん、政宗のおかげだよ」

不意に話題を変えるように政宗は言い、微笑んだ。いつか見たような、寂しげな顔で。

目が覚めると、いつもより身体が軽かった。全てが夢のようだった。私は自分のベッドに横たわっていて、まずその事に驚いた。不眠症がいつの間にか治っていたのだ。そして、そのことを報告しようと政宗を探した。そしてまた驚いた。政宗がいないのである。どこにも。私は随分前のように感じられるあのこと自然に脳裏に描き出した。


私には、伊達政宗という幼馴染が居た。人前では自信家で垢抜けていて、私や家族の前だと、思いのほか静かな人だった。彼とは妙な腐れ縁で、幼稚園から始まり私はずっと彼と同じ道を歩んできた。隣にいれば手を繋ぐのは当り前で、中学時代それでからかわれた事もあったけど、それでも私たちの関係は変わらなかったし、政宗の手の心地よい冷たさも決して変わることなどなかった。彼は小学校の低学年の頃に事故で右目を失っている。だけど彼はそのコンプレックスを「戦国武将みたいでカッコイイだろ」と逆に笑いの種にしてしまうような人だった。

だけど彼も現代社会に生きる人間で、その右目と、生意気と見られても文句は言えないような性格のせいで高校に入ってすぐ先輩に目を付けられて、それが原因でいじめられるようになった。彼はそんなこと気にしていないようだったし、私だってそれが原因で彼から離れるなどとうてい考え付かないことだった。だけど政宗のなかでは少しずつ痛みが蓄積されていて、とうとうずっと繋いできた手が私から離れた。飛び降り自殺。その出来事は小さなニュースとして小さく報道された。あの頃からだ。私が眠れなくなったの。

そう、私は高校二年の冬に突如として現れた「戦国武将でカッコイイ伊達政宗」を「戦国武将みたいでカッコイイ伊達政宗」にかぶせていたのだ。今更弁明する気にもなれない。私は彼を騙していたと言っても過言ではない。確かに、彼らはよく似ていた。一晩中語り合っていた幽霊の政宗に、ただひとつ、このことだけは言うことができなかった。"政宗"の戦に飢えたぎらついた瞳と、"私の政宗"の瞳が、どうしても一致しなかったからかもしれない。政宗が居なくなってから、私は眠れるようになった。だけど徐々に睡眠時間は少なくなっていく。心を許せるたった一人の存在が居なくなって、不安で仕方なかった。私は世界で一番醜い女だ。

幽霊の政宗が居なくなってから3ヶ月、私は事故によって左目を失った。失ったといっても治療が済むまでの間だけで、完全に失明した訳ではなかった。幽霊の政宗の言っていたことを思い出す。視力低下どころの話じゃない。クラスメイトの中には右目の無かった政宗との因果関係を推測する連中も居たらしいけど、その因果関係とやらを完全に否定しきれないので放っておいた。
片目のない生活は、両目の生活に比べ酷く不安定だった。物をうまく立体的に捕らえられないし、視界が狭まるのは凄く不便だ。こんな世界で生きていたんだ。2人とも。もしかしたら私の知っている政宗はひとりだけなのかもしれない。暗闇の中は、片目を失っていることなんて微塵も気づかせないほどの安定した世界だった。幽霊の政宗がいなくなってから、私の世界は再び色褪せた。私の左目の眼帯の取れる頃には、私もふたりの居る場所に行こうと思う。

また違う瞳をしているくせに、寂しげに弧を描く口元は悲しいほどに似ているふたりの話である。

これは、僕の心の奥底に眠る優しい人の話だ。
もしもう一度逢えるなら、今度はしっかりと手を握って欲しい。変わってしまったものなど何も無いのだと、私に言い聞かせるように。
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