前髪が目が隠れちゃうほど長くて内気な女子が、僕の通ってる学校にはいた。たまに話しかけてもおどおどしてばっかりで、友達がいないということにも頷けた。
でもごくたまに、ドジなそいつが落としたノートや筆箱なんかを拾ってやるとそいつは、長くて真黒な前髪からきらりと大きな目を覗かせて笑う。うじうじしてる奴は嫌いだけど、その笑い方はどうにも嫌いになれなかった。
自信がなさそうに、申し訳なさそうに笑うその目は、透き通っていてきっと静かに過ごす学校生活の中で僕よりもたくさんのことを学び、僕には到底考え付かないような凄い事を考えているんだろうと思った。それはあながち間違いではないらしく、週に1、2回話をすれば、僕にはよく解らないような言葉を呟く。その言葉の意味に気づくのは毎回、その言葉を聞いてから数ヶ月もたってからだった。
大人が聞いても驚くようなことを、そいつはいつも考えていた。

「佳主馬くんってさ」
「うん」
「昔いじめられてたんでしょ?」
「……まあ、」

普通の奴等は出さないような話題を、そいつはいとも簡単に口からこぼした。穏やかな表情で、だから嫌な記憶も、すんなりと呼び戻すことができた。

「佳主馬くんって、そのいじめっこの事を恨んだりする?」

また、きっとそいつは小難しいことを考えているんだろう。僕はちいさく「わかんない」と呟いた。「そっか」、と囁くようにこぼした声が耳にこびりついて、僕の頭もとうとうそいつにやられたんだと思った

「きっとね、本当に恨むべき人なんてこの世にはそうそう居ないんだよ。好き嫌いがあるだけで、本当に心のそこからうざい人とか、いないんだよ。苦手な人でも、その人にもきっといいところがあるんだよ」

そしてまた、はは、と自信なさげに笑って、小さく首をかしげ、さらさら流れる黒髪から光る瞳をちらつかせる。「わたしは、そりゃあ苦手だなって思う人もいるけど、その人のいいところも知れればいいと思うんだ」いつも難しい事ばかり言うけど、今回のことは僕にも理解できた。そうか、頭がいいとか臆病とか弱いとかそういうんじゃなくて、そいつは優しかったんだ。

「…前髪、」
「え?」
「あんた、前髪、切らないでね」

好きだった。その流れる黒髪が、そこからきらりと覗く真黒な瞳が、囁くような声が。彼女にはもっと、遠くから、全てを知ってもらいたかった。

翌日、僕は言葉を失った。無性に泣きたくなった。どうしてこんな酷い事をするんだろうと思った。そいつは恨むべき人なんてそうそう居ないと言ったけど、きっといま僕の目の前にいるのが恨むべき人間なんだと思った。そうとしか思えなかった。

わたしね、佳主馬くんのことがすきだよ

あのあと小さくこぼしたあの囁くような声が、耳鳴りのように姿を変えて僕の脳内を麻痺させていく。教室中にばらまかれた黒い糸。包帯で、そのきらりとひかる瞳を隠したそいつ。僕の姿を見つけたそいつは、それでも笑ってこう言った

「ほら、若気の至りって言うでしょう?」

どうしてそこまでして他人を愛でるのか、僕には理解できない。僕が下校したあとを狙ってそいつから黒髪と瞳を奪った奴等は、今更自分のしたことの重大さに気づいたようにはらはらと涙を流していた。化粧品のこびりついた、きたない、にごった涙だった。

もうさらさらと流れるような黒髪も、その黒髪からきらりと覗く澄んだ漆黒の瞳も、囁くようなその優しい声も、姿を変えて、ただただ僕を攻め立てている。

「ねえ、あんたはいっつも僕に、小難しい事を言うけど、知ってる?」

「この世で一番恐いのは、優しさなんだよ」

いつものように穏やかな弧を描いた口角が、僕の言葉にぐにゃりと歪んだ。ああ、ああ、もう、あの頃にはもどれないのか




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