攫われたのは

 
『お友だち(偽)』『有澤さんと高牧くん』『父の閑話』のMIXです。





 鬼島夏輔は預かった。命が惜しければ鬼島優志朗の名義で5000万円用意しろ――

 そんな手紙が舞い込んだのは、なぜかお隣の有澤邸であった。
 最初に発見したのは部屋住の若衆であり、内容を読んで血相変えて北山のもとへ飛び込んできたのである。お隣のナツさんが、と。北山はなぜ家に、と心の中で首を傾げつつ、ナツに電話をしてみる。出ない。
 この時間ならばまだ学校にいるはずだ、と談に電話をしてみるが、こちらも応答がなかった。二人まとめてどうにかされてしまったのだろうか。しかしナツひとりならまだしも、談をどうにかするのは難しい。あのカラスでさえ爆破物で狙ったくらいなので割と手ごわいのである。そんなことを調べずに攫う輩がここに来ているはずがないし、と思いつつ、お隣を訪れた。

「鬼島さん」
「はーい。こんばんは北山さん」

 ひょうひょうと出てきた鬼島は既に仕事を終え、ひと風呂浴びましたというさっぱりした顔をしている。これを、と紙を見せると一瞬、眼鏡の奥の目が細く眇められた。

「えっナツくんの命安すぎ……? それはさておき、GPSはまだ学校から動いてないのよね」

 鬼島はナツの至るところにGPSを仕掛けている。チェックしているのはナツの携帯電話のようだった。

「談ちゃんのも、学校前から動いてない」

 オレンジの点滅が談のようだ。緑の点滅がナツ。

「誰かに脅されて携帯電話を持つ暇もなかった、とかか……?」

 鬼島の右手が電話を掛ける。うんそう、はいはい、よろしく。短い応答だけで電話を切り、着替えてきます、とのんびり立ち去った。
 どんな時でも鬼島優志朗がたじろぐことはない。それは最近になり、ますます硬くなってきた。カラスの一件を経て、相当落ち着いたように見える。いいのか悪いのかわからないが、北山の目には立派になったな、と映る。
 譲一朗もあれだけの落着きが欲しいが、と考え、ふと、まだ自分のところの長に報告をしていなかったことをようやく思い出した。鬼島が動いてから有澤、というのがなんとなく刷り込まれているなと苦笑し、いつもの白いシャツに黒いスーツを着た鬼島と共に有澤邸へと戻った。

「ナツさんが攫われてなんでうちに脅迫文が届くんでしょう」

 和服姿の有澤は太い腕を組み、首を傾げる。それは鬼島も、今、この場にいない北山も持っている疑問であり、不思議で仕方がないことと言えばそうだ。満和は動揺させないよう、北山と別室にいる。新作の和菓子を買ってきましたよ、と言われ、それに釣られて北山にうまく自室に誘導されてくれた。

「ナツくんがここに来てた……わけないか。今日は学校だったしね?」
「来てないですよ。ナツさんはサボりませんし、談だって迎えに行ってるんでしょう」
「そうだねえ。なんだろうな、この違和感」

 有澤がもう一度脅迫状を読み返す。紙が一枚ぽいっと郵便受けに入っていただけで、特に封筒やあて名の類はない。直筆ではなくパソコンで打たれたもので、分析してもらえばどこのメーカーの何のプリンターで、ということくらいはわかるだろうし、もしかしたら指紋も出るかもしれない。

「和一に頼んでみますか」

 和一とは有澤の弟で、警察勤めをしている。しかし鬼島はゆるりと手を振った。

「いやーまだ早いなー」
「こういうことは一刻を争うものでは?」
「なんか違和感があるのよ。むにゃむにゃもそもそ、俺のどこかが違和感警報発令中なの」

 いつもならばナツに関わることであれば、鬼島は迅速に動く。それがどうだろうか、今日はこのスローな態度。有澤のほうがいらいらしてきてしまうようだ。ナツは満和の親友であり、そのナツに何かあれば満和が悲しむ。有澤が世界で一番、いや宇宙で一番大事にしている満和が、である。

「鬼島先輩が動かないなら俺が動きますけど」
「ちょっと待ちなって」

 黙ること小一時間。いよいよ有澤が我慢ならなくなり、携帯電話を取り出したところで北山が入ってきた。音もなく開いた襖、廊下に座っている北山。その顔はなんとも言えない、苦虫を噛み潰したような表情とはこのことであろうか、というようなものであった。

「どうした、北山」
「いえ、今、満和さんのところにナツさんからメッセージが来まして」
「それで? 内容は」

 前のめりになった有澤。すわ新たな脅迫かと思ったのだろう。しかし北山が口にしたのは全く想像だにしない言葉であった。

「今日も寒いね。寒いから晩ご飯はカレー食べるんだ! です」

 北山の低い、落ち着いた声にそぐわない口調。場が一瞬、時を止めたように静まり返る。

「……暗号か?」

 難しい顔をする有澤に、後ろ手をついた鬼島が天井を見上げて溜め息を吐いた。

「だから言ったでしょ、違和感警報発令中だって」

 鬼島、有澤が鬼島邸へ行くと、門扉に明りがついていた。談の車も車庫に収まっている。
 がらがら、玄関の引き戸を開けるとナツが飛んできて「おかえりなさい!」といつもの笑顔で元気いっぱいに告げた。

「……ナツくん、携帯電話は?」
「それがですねぇ、学校に忘れちゃったんです。今日は結婚指輪を磨きに出していたので、それを取りに行った後に学校に戻って取ってきました」

 じゃん! ぴっかぴかですよう。と左手の薬指を見せるナツの満開の笑顔。有澤は思わずじっと見つめる。そこでナツはなぜか有澤が一緒にいることに疑問を持ったようだ。

「どうかしたんですか、有澤さんまでいらっしゃって。さてはカレーを食べたくて!」
「いや……また今度いただきます。何事もなければいいんです。では」

 失礼します、とぐるり、鬼島邸を半周して自分の敷地内に入る。ますますおかしい。ナツは元気いっぱいで、今頃何も言わないのであろう鬼島と一緒にカレーを煮込んでいるのだろう。
 しかしいたずらで脅迫状が投げ込まれるとも思えない。
 鬼島夏輔と書いてあった辺り、きちんと鬼島とナツとが結婚をしたことを知っているし、家を間違えたとはいえ若衆に気付かれずに入れている。
 どういうことだ……。

 有澤の疑問は、きっかり三十分後の午後七時に解消された。

「秋が帰ってきてねえんだが、まだそっちに邪魔してんのか」

 峰太からの電話で、すっきりというとおかしいが、ようやく胸のつかえがとれた。脳内もぱあっと晴れた気分だ。

「そっちか……!」
「ん? どっちだよ」
「いや、秋さん、家に来てたのか」
「ああ。満和と一緒にお茶するんだって、午後二時ごろ出掛けて行ったぜ」

 自分がいないときに秋が来ていたのだ。邸内に入って北山を呼び、確認すると確かに訪れていたという。北山もハッとした顔をして「そっちでしたか」と同じ言葉を口にした。

「確か……三時半ごろ家に着いて、五時半ごろ帰りますって出ていきました。一応駅まではお見送りしましたよ。そのあと六時頃、脅迫状が投げ込まれているのが発見されています」
「なるほどな……峰太、聞こえたか」

 スピーカーになっていた携帯電話に向かい、話しかける。

「事情は察した」

 さすが峰太、現状把握が早い。

「秋が夏輔の代わりに攫われたんだろ」
「そのようです」

 北山が頷きながら声を出す隣で、有澤が深いため息を吐いた。犯人たちにすでに同情してしまう。

「よりにもよって秋さんに手を出すとは……」





 同時刻、某海辺の倉庫内。

「おなかすいたー喉乾いたーお尻が痛いー床が固いー手首が痛い!」

 ぎゃんぎゃんと口にする秋。おいおいおい、と黒づくめの一人が困ったように傍らを見る。

「おとなしい、心優しい、静かな高校生じゃなかったのかよ」
「事前情報ではそうだったはずなんだがな……」

 困ったような雰囲気を出しているのは、もう二人も同じだ。犯人は全部で三人、同じような黒づくめの恰好をしていて、一応目出し帽で顔を隠している。

「普通こういう状況だと静かにならねえか」

 一人が話しかけると、ふん、と笑う。

「あいにくと拉致監禁には慣れてるんだよね」
「どんな生活環境してるんだお前……鬼島優志朗のそばにいると日常茶飯事なのか?」
「鬼島?」

 そこで、秋にも攫われた理由がようやくわかった。

「はっはーん、なーるほど」
「なんだよ」

 にやにや笑う秋に、ぎょっとした声を出した。

「いや、なんでもない。あのさあ、寒いの苦手だからもうちょっと暖房こっちに近づけてよ。自分たちばっかりあったかいのずるくない?」
「姫かお前……さっきから言いたい放題してるな。わかったよ」

 よいしょ、と電気ヒーターを近づけてもらい、暖かさに目を細める。ようやく静かになった、と安堵した犯人グループ。少々おまぬけさんな彼らは、寒さに弱い秋がハイネックの薄手のセーターを着ているので人違いに気付いていないのである。刺青を見れば一発でわかりようもあろうが、この時期特有の日の入りの早さによる薄暗さもあいまってか、全く気付かないようだ。

「俺ってばまだまだ高校生で通っちゃうのね……罪な三十代だぜぇ……」

 ぼそりと言った秋の言葉は、わいわいと話している犯人グループには気付かれなかった。
 この時に気付いて問いただしていれば、その後の熊の襲撃は防げただろうに、実に可哀想である。





「秋のこと、駅までは見送ったんだな?」

 スピーカーから峰太の声がする。はい、と北山が応じた。

「電車に乗るところまでは見てないです。改札前までお見送りしたので」
「それで三十分以内に脅迫状の投函となれば、犯人は複数、秋は駅構内で攫われたと見るのが筋だろう。大体三人から四人、無害そうな顔をしてる素人だ。家を間違えてるし、大方金に目がくらんだ輩ってところか」

 プロじゃねえだけ勘弁してやるか、と峰太の呟きが聞こえたが、有澤も北山も聞こえなかったふりをした。

「その辺りにはもういねえ。どっちかって言うとこっち寄りにいる」
「なんでそう思うんだ」
「ヤサがお前んところの近場にあれば縄張りってんで情報が出てくるだろ。さっき優志朗に聞いたが出てきてねえ、ってことは、少なくとも鬼島・有澤の領外になる。それでいて顔が広い鬼島と有澤の目につかねえ場所ってのは俺のとこの周りだろ?」
「そこは……なんていうか、弁天町と同じ扱いだからな。東道会が覆っているが、手は出さない」
「倉庫街も多いし、一個ずつ潰せば朝までには見つかるだろ。多分命の危険はねえ。多少強引な推測だが、車で回ってみるからお前らは気にするな。この件は俺が引き取る」

 峰太がいるから誰も手を出さない、とは言わずにおいた。本人が一番よくわかっているだろう。また、最強の一般市民とも警察・東道会両方に認識されているのは知っているのかいないのかわからないが。
 朝までに、どころか野生の嗅覚で一瞬で解決しそうだ。

「あ、脅迫状は取っておけよ。警察に突き出すから」
「わかってる。気を付けて」
「はいよ。ありがとう」





 熊がうろうろし始めた、とはつゆ知らず。
 犯人グループは秋の目の前で食事タイムである。

「おなかすいたーって言ってるのに食べるなんてひどくない? 俺にもなんかちょうだい!」
「手ぇほどいたら逃げられるかもしれないだろ」
「逃げたりしないよ。食が一番!」
「わからねぇからだめだー」

 ひどいや! とへそを曲げた秋がぷいとそっぽを向く。その様子に苦笑いの犯人たち。今時の高校生はこんなに肝が据わっているものなのだろうか。
 そういえば珍しく携帯電話も持っていなかった。必須アイテムだと思い、身体検査をしたのだが通信連絡手段の類は持っておらず、メッセージのときはどうすんだ、と聞くと「必要なくない?」ときょとんと返されてしまったのだった。友だちがいないのかもしれない。
 なんといってもあの鬼島優志朗の伴侶になってしまったのだから。
 このグループは鬼島優志朗に直接何かをされたわけではないが、雇い主がなにやら遺恨があるらしかった。金をやるから攫ってこい、と言われ、二人が駅を張り込み、一人が家を張り込んでいた最中、写真と同じ顔をした人間が出てきたので、連絡をしてひとりになったところを攫ったのである。

「おーなーかーすーいーたーなー!」
「うるさいぞー。てかもっと怯えるとかねぇのかお前。悪い人に攫われてんだぜ」
「悪い人は大体友だちだもん」
「どんな人生送ってんだよ……だから友だちいないんだろ」
「勝手に決めないでくれる? お友だちいるもん! 悪魔みたいな笑い方する庭師さんとか!」
「なんだそりゃ」

 本当になんだそりゃ、である。
 そして食事を終え、一人が、雇い主からの連絡時間だと車で出て行った。秋は眠くなってきたのか、床に伸びてすやすや眠っている。いや図太いな、と他の二人に思われながら。

「お、出てきた出てきた……」

 峰太はと言えば、一番近場の倉庫街から潰していくかと車を出し、無事に一発目で当たりを引き当てた。誰もいないはずの時間に、ひとつだけ煌々と明りのついた倉庫は目立つ。シャッターが開き、車が出て行った。自動で閉まるようだったので空のドラム缶を噛ませ、それ以上、下りるのを妨害した。
 そして中へ踏み込む。

「悪い奴らじゃあなさそうだな」

 食事中に目出し帽を取っているあたり、そんな気しかしなかった。
 犯人二人は突然現れたむくむくの男に動揺が隠せない。誰だ、とお決まりの言葉を言いながら後退る。

「誰だかは置いといて、うちの秋、返してもらおうか」
「ワーコワカッタヨオ」

 白々しく言ってみせる秋に苦笑い。こういう場数も踏んでるのかと微妙な思いだ。

「嘘つけ。さっきまで寝てたろ」
「お腹空いたよ、ほーた」
「おう。さっさと帰って飯食おうな」
「秋……?」

 一人がようやく気付いたころには遅かった。あれよあれよという間に気付けば失神させられていて、目が覚めるとどこぞのカフェのような場所に連れてこられていた。車で出て行ったはずの一人も、傍らに伸びている。両手両足縛られ、轡まで噛ませられていてうんうん言うことしかできない。
 カフェのひとつのテーブルについた峰太が笑う。

「悪いな、事情聴取とかで飯食ってる暇なくなっちまうからよ。先に秋に飯食わせとかねえと。俺も腹減ったし」

 それから、とゆるりと首を傾げる。

「警察に引き渡すより先に、誰が雇い主なんだか吐いてもらわねえとな。そのためにも体力が必要だろ?」

 鬼島夏輔は攫われていなかったが、一民間人の日置秋輔が攫われたということで警察は無事に動いてくれた。その代わり出てきたのは地域の組織対策課。鬼島絡みということで磯村も乗り出してきたが、今回は直接的に関わっていない、空振りということでおとなしく帰って行った。

 後日、峰太から送られてきた情報をもとに鬼島がなにやらしたようだが、それは誰もあずかり知らぬことである。

「あー。お茶おいしい。寒い時期はやっぱり緑茶だねえ」

 有澤邸の客間、峰太の隣でぬくぬくとこたつにあたりながら緑茶をすする秋に、変わった様子は一切見られなかった。恐ろしい人だな、と有澤は薄く思ったそうだ。

 
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