家に行ってから直からは電話がなくなった。不思議なくらい静かだ。
 何か言ってくるだろうと思っていたけれど予想外れだった。右京に尋ねてみると、普通に仕事をこなしていると言うので、なにかトラブルがあったとか怪我をしたとかというわけではなさそうだ。そうでないのならよかった。直が連絡もできないほど大きな何かがあったのかと思った。

 就職活動が始まる前の月、ようやく電話がかかってきた。
 久しぶりに聞く直の声は相変わらずよくわからない。感情があるような、ないような。

「右京くんから聞いているよ。大体の方向性を決めたそうだね」
「うん」
「好きな道に進みなさい。鈴彦くんの人生だから」
「急に物分かりの良いこと言うじゃねーか」
「僕も色々考えたんだよ」

 ふんと笑う鈴彦に、直が笑った気配がする。

「家には帰ってくる?」
「帰らねー。ひとりで暮らす」
「そう。困ったことがあったらいつでも言うんだよ」
「わかってる」
「僕はいつでも、鈴彦くんのことを待っているからね」

 はいはい、と言って電話を切る。
 久しぶりに話したけれど何も変わらない。いつも通りの会話だった。
 これでいいんだろうな、と思う。家族としてやっていけたらそれでいいのだ。直は恋愛的に好きなのかもしれないけれど、家に帰らない限り押し付けてくるようなことはきっとしないだろう。
 距離を取り、たまに会うくらいでちょうどいい。


 就職活動は驚くくらい順調にいった。
 第一志望と定めた会社はあまり大きくなく、面接に来ていたのも十数人ほど。それでも人と関わるのに苦手意識があるので、面接がうまくいくだろうかと不安だった。とりあえずなんとかなったようだ。ありがたいことである。
 卒業までは研究以外にあまり授業が無い。取れる単位を取るだけ取っていたのが幸いした。とりあえずアルバイトの時間を増やしつつ、いい形で卒業したいという目標に向かってやっていくつもりになっていた。

 右京が喜んでくれたので、直に報告はしなかった。きっと右京から直に伝わるだろうと思ったのだ。喜んではくれるだろうが、それは別に聞いてもいいし聞かなくてもいいような、そんな気がした。

 直への関心はもはや家族以下であることに、本人は気付いていない。
 右京から伝わるだろうと何を報告することも無くなり、忙しいという理由で電話を受けることもなくなってしまった。そしていつの間にか電話が途切れたことにも気付かなかった。
 仮に気付いたとしても、今の鈴彦には「ふうん」といった程度だったかもしれない。



「鈴ちゃん、卒業式には十里木さんに来てもらうの」

 と、右京から電話を貰って初めて気づいた。ひとりで終える気でいたからだ。

「いーや、直も忙しいだろうし。うきょーんとこは?」
「おじさんが来てくれる」
「そうか。終わったら写真撮って送ってくれ」
「鈴ちゃんも、って言いたいところだけど、会いに行く。確かぼくの学校の次の日だったよね」
「そう」
「また終わる時間教えて。写真撮ってあげる」
「よろしくー」

 電話を切り、卒業式か、と呟く。
 就職を決めた日から今日まで、だいぶ早かったような気がする。あっという間に過ぎてしまった。
 引っ越ししなければいけないので少しずつ荷物の整理を始めて気付いたのが、四年間であまり物が増えていないことだ。最小限、最低限の物があれば構わないと思っていたので、一番多いのは服でも本でもなく、料理関係のもの。就職してから料理を楽しむ余裕があるだろうか。慣れないうちは忙しいだろうけど、と思い、一応引っ越し先に持っていくことにした。頻繁には使わないものを箱に詰めていく。買い直すには少々高いものばかりだからだ。

 ごそごそしていると電話がかかってきた。画面には直と表示されている。久しぶりに見たな、と思いつつ、スピーカーで応答した。引っ越しの準備中で手が離せないからだ。

「鈴彦くん? 卒業式、ひとりでいいの」

 挨拶もなく、直は本題を切り出した。向こうも忙しいのかな、と思いつつ「うん」と声を出す。

「いーよ。忙しいだろ」
「時間空けるよ」
「いらねー。そう言って来ねーじゃん」

 少し、間があいた。

「……鈴彦くん、僕に失望しているようだね」

 箱にものを詰める手が止まった。
 画面がある方を見つめる。シンクの上、そこに直がいるかのように。

「家に帰れなかったことは本当に申し訳なかったと思っているよ」
「いつの話だ。いっつもそうだからわかんねー」
「鈴彦くんが、僕に何を話す気がなくなったのもわかる」
「忙しい、って言えばなんでも許されると思ってんだろ」
「思っていない。けれど、そう思われてしまうのも当然だ」
「……何が言いてーの。『忙しい』から切るぞ」

 忙しい、を殊更強調して鈴彦が言う。直が小さく息を吐いた音がした。

「……いや。なんでもない。卒業式楽しんで」
「じゃーな」

 手を伸ばし、携帯電話を掴んで通話を切る。
 暗い画面を見つめ、今更何を言われても。と鈴彦は思う。忙しい忙しいと言って家に帰って来なかったし、勝手に愛情をぐりぐり押し付けてきて飲み込んだのは直だ。今更何を言われようと届かない。
 言ってほしいとき、傍にいてほしいときに結局いてくれなかった。
 離れてみてわかった。
 何かの節目に、いつも直はいなかった。鈴彦のことを考えてくれているらしいが、全然わからない。伝わってこない。たまに帰ってきて猫かわいがりしてくれる存在、その程度。
 全くの赤の他人を兄弟として育ててくれたことには感謝している。
 でも、これからは違う人生だ。直は直の好きなように生きたらいいし、自分は自分の好きなように生きる。

 改めてそう思ったらすっきりした。
 さてさて、と手を動かす。卒業式の次の日には引っ越しせねばならない。職場の近くに安いアパートがあって安心した。家賃保証も出るのがありがたい。



 卒業式の日、式典が終わる時間になると右京が外で待っていた。なぜか礼服姿で。なので、顔もあいまって非常に目立っている。大学四年間でだいぶ洗練され、顔の整い方にも磨きがかかって輝くような美形と言える右京。礼服となればなおさらだ。

「うきょー……なんでそんな恰好してんだ……」

 目立つの嫌だな、と思いつつ、近付く。
 右京も人が多いねと顔を顰めたので、腕を引っ張って会場裏に連れて行った。公園になっているそこは静かで、あまり人がいなかった。

「なんでそんな恰好してんだ」

 改めて尋ねる。右京がぱちぱち瞬き。

「だって、鈴ちゃんのはれの日だから」
「お気遣いどうも……」

 明らかに高そうな、細身の礼服。きっと加賀さんがオーダーメイドしたんだろう、と思う鈴彦の前で、写真写真と無表情に言う右京。

「公園で撮ってもな」
「人が落ち着いたらまたあっちに戻ればいいよ」

 まずぼくらで一枚、と顔を寄せてくる。かしゃりとシャッター音が鳴った。

「髪の色、あんまり変わってないんだ」
「ん? ああ、会社が服装規定無いっていうから」
「自由だね」
「そういうところが気に入って受けたからな」

 あまり大きくないのも良かったし、髪型や色々なことが自由なのもよかった。あまり厳しいと息が詰まる。
 右京を誘って公園のベンチに座った。学位記はベンチの座面に無造作に置いて。

「うきょー、就職して落ち着いたら会ってくれよ。うきょーなしだと悲しい人生になっちまう」
「もちろん」
「自分で金が稼げるっていいよなー大人って感じで」
「鈴ちゃん、十里木さんに会わないの」
「んー。別にいいや」
「いいの」
「いい」

 いつものように、そう、と言う。
 礼服姿の男子が二人、公園のベンチに座っている姿は卒業式らしいだろうなと鈴彦は考えていた。天気がとても良く、良い時間帯なのでお腹が減ってくる。

 右京の卒業式の写真を見せてもらい、ひとりの写真で嫌そうな顔をして写っているほかは普通だった。加賀と仲睦まじい様子が見える。そういえば久しく右京の家にもお邪魔していない。入社式までは少し時間があるので、遊びに行って一緒に料理をするのもいいかもしれない、と思う。

「腹減ったな」
「そうだね」
「何食う?」
「おじさんがお昼ご飯作って待ってるよって言ってた。家に来る?」
「……いや、家に帰ってなんか作って食う。明日引っ越しだけど、まだ道具出してあるし」
「そっか」
「また今度お邪魔する」
「待ってるよ」

 時間を見て会場に戻った。右京に言われるまま写真を撮り、駅で別れる。鈴彦は徒歩で寮に戻った。鞄は持っておらず、紺色の学位記だけをぶら下げて。
 この道を通るのも最後だなと思いつつ、咲き始めた桜を見上げたり、何回も寄ったナンが大きいカレー屋を外から見たり。ぶらぶらと歩き、すっかり見慣れた寮が見えてきた。

「お帰り、鈴彦くん」
「……来ると思ってた」

 出入り口の前、銀色でアーチ形の車止めに直が腰かけていた。ダークブラウンのスーツに黒いロングコート姿で、足元は輝くように磨かれた細身の革靴。足が長く余っている。
 はあ、と鈴彦は溜息を吐く。

「だから加賀さんちに寄るの断ったのに。行けばよかったな」
「残念だったね」

 立ち上がり、鈴彦の前へやってきた。

「背が伸びた」
「嫌味か」
「顔がより素敵になった」
「大人になったろ?」
「うん。魅力的だ」

 悠々とした態度で見下ろしてくる直はあまり変わっていないように思えた。老けてもいなければ若返ってもいない。変わらないというのは少々不気味だ。撫でつけてある髪すら変化がない。

「卒業おめでとう」
「どうも」
「家に帰ってくる気はなさそうだね」
「ねーな」

 ふ、と笑う。それにさえ色気が滲み出ている。

「見極めはついたかな?」

 鈴彦の目が真っすぐ、直を見上げた。

「おれはお前が嫌いだと思った」
「おやおや」
「約束は破るし、話は聞かねーし、不気味だし、何考えてるかわかんねーし」
「酷い言われようだ」

 肩をすくめた直。鈴彦は、ふん、と息を吐く。

「家族じゃなかったらすげー嫌いだね」
「そうかい。家族だから?」
「辛うじて好きなんじゃね。ぎりぎり」
「それならよかった」

 それ以上は聞かれなかったので、鈴彦も答えなかった。食事でも行こうか、と言われて一緒に昼食を食べ、帰りの車内で直は言った。

「できたら、電話には出てほしい」
「努力はするけど忙しいと無理だな」
「……忙しい、って言われると結構傷つくものなんだね。後回しにされている気分になる」
「実際してただろ」
「返す言葉もございません」

 じゃーな、と車を降りる。エントランスへ入る直前、鈴彦くんと呼ばれた。

「愛しているよ」
「家族としてな」
「僕は違う」
「……もっとおれに時間を割いてくれたら、おれも好きだって思えたかもな。錯覚でも、そう思い続けてたかも」
「今からは?」

 振り返る。

「今から?」
「溜まりに溜まった有給休暇を一括で申請してきた。今度はちゃんと鈴彦くんの帰りを待とうと思うんだけど」
「……つくづく勝手なやつだな、お前」
「僕には、躊躇している時間はないと思っていたから巻き込んだ。でも思ったより多くあるようだ。少ないかもしれないけどね。その時間を、鈴彦くんに好きになってもらうために使おうと思う」
「おい」
「愛している」

 はあ、と息を吐く鈴彦。

「お前の人生に付き合えってか?」
「付き合えだなんて。付き合ってください」
「お前しぶとく長生きしそうで嫌なんだよな……」
「鈴彦くんが望むなら何歳までも頑張ろう」
「こわ……」

 直の人生に付き合ってやるつもりになった。さんざんあれこれ考えていたが、結局自分は直に弱いのだ、と思う。顔を見てしまうとだめで、あっさり、自分でも驚いてしまうくらい簡単になってしまう。

「金払っちまったけど、新しいアパート」
「安心して。それはもう解約しておいた」
「は?」
「鈴彦くんは必ず家に帰ってきてくれると思ったからね」

 怒りのような、先を越された悔しさのような、なんとも言えない気持ちに言葉が出てこず、鈴彦の口からは「キッ」と小さな声が漏れただけだった。

 鈴彦の気持ちは白紙に戻っている。家族としても、恋愛対象としても直を見ていない。
 これから恋愛的に好きになるかもしれないし、ならないかもしれない。それは直の努力と鈴彦の受け取り方次第だろう。


「加賀くん、大変だよ」
「どうしました?」
「しばらく見ていなかったせいか、鈴彦くんがますます愛しくてたまらないんだ」
「それは、鈴彦くんは嫌がっていることでしょうね」
「とっても。毎日可愛いねって言っているんだけど、毎回顔をくしゃくしゃにして嫌がっている」
「ほどほどにしてあげてくださいね」

「直がやべーんだけど」
「大変だね」
「気持ち悪い」
「日々素敵になる鈴ちゃんが可愛くてたまらないんじゃない?」
「どうしたらいいかわからん」
「十里木さんは一生、鈴ちゃんを追いかけるんだろうね。体力ありそう」
「怖……」


 数年後、鈴彦は直に尋ねてみた。

「おれが絶対家に帰らねーって言ってたら?」

 直は穏やかに微笑む。

「それでも追いかけたさ。一生ね」
「お、おう……」
「鈴彦くんだけは諦められないんだ。僕の大事な鈴彦くんだけは」
「そうか……気持ち悪いな……」
 
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