「ただいま」
「おかえり」


 制服姿のままでリビングへやってきて通りすぎ、キッチンにいる僕のところまでやってきてじいっと見上げてきた。赤っぽい茶色の、最近また形を整えたツーブロックの髪を撫でてあげると少し嬉しそうにする。それから、腰のあたりに腕を回して横から抱き着き、肩にすりすりと額をすりつける。
 それが終わると何事もなかったかのようにつんと部屋へ上がっていってしまった。
 この可愛らしさを持て余して僕はどうしたらいいんだろう。そわそわする手を上げたり下ろしたり、結局手はじゃがいものポタージュを混ぜることに使われた。


「おいしい?」
「ふつー」
「鈴彦くんは魚と僕、どっちが好き?」
「うまいほう」


 質問に対して曖昧に答えつつ残さず食べきり、おかわりしておなか一杯という様子で、隣に座ったまま頭だけ肩へ預けてくる。こういうスキンシップが最近増えた。甘えなおしなのか、それとも近くにいればもともとこういうことがしたい性質なのか。僕が知らない鈴彦くんの姿はまだまだあったようだ。


「鈴彦くん、お風呂入らないで寝ちゃうの」
「なわけねーだろ」
「一緒に入る?」
「べつにいーけど」


 勝手にすれば、と言いながら着替えをもってお風呂場へ。
 洗い物を終えて脱衣室の前を通りがかると、引き戸が少し開いていた。入ってもいいということだろうか。ふらりと足を向けてお風呂場の戸を押し開けると、なんだよ入るのかよ、と言わんばかりの目がぎろりとこちらを向く。何も言わずに服を脱ぐ。身体を洗っていたら、三本目四本目の手がにゅっと乱入してきた。


「たまには洗ってやる」
「どうもありがとう」


 背中やら、首やら、肩やら腕やら。きれいな肌の鈴彦くんが一生懸命洗ってくれて、髪も洗ってくれて。お返し、と言うと激しく抵抗した。お風呂を嫌がる猫のように。


「もう洗ったし」
「ちゃんと洗えたか見てあげるよ。おとなしくしなさい」


 椅子へ座らせ、タオルで身体中を拭う。
 ぶすっとしていたのに、心地よかったのかふわんと緩む顔が可愛い。髪はつるつるしていてしっかりとしたコシがある。肌の張りも、やはり僕とは大違いだ。


「鈴彦くんはきれいだね」


 思ったことを口にしたのだけれど、肘が飛んできた。もちろんやすやすと受け止めることができるようなもの、だったけれど。
 丸い浴槽にそろって沈み、息を吐く。
 鈴彦くんは僕の手を取って重ねたり、指と指の間を広げたり。


「鈴彦くん、今日はどんな一日だった?」
「変わんねーよ。いつも通り」


 膝を抱え、顎までお湯に浸かっている姿が可愛い。ふと、丸い耳たぶに目を引かれた。どうしてかはわからない。丸くて白くてふわふわしている、柔らかできれいな形の耳たぶ。穴がぽつぽつあいている。
 そっと触るとぎょっとした顔。なんだよ、と払いのけることはされなかった。ただ唇を、何か言いたそうに尖らせただけで。


「鈴彦くん、ピアスの穴増やしてみる?」
「なんだよ急に」
「ちょっと興味がね。鈴彦くんのここにきらきら光るものがもっともっとたくさんあればきれいなんだろうな、と思って」
「いらねーよそんな興味。痛いの基本嫌だし」
「そうか。鈴彦くんは今でも注射が嫌いだっけ」
「うるせーな。肉に針刺すなんてありえねーだろうが」
「そう言われると生々しい感じがするね」


 鈴彦くんらしい感想に笑うと、


「笑いごとじゃねー」


 と怒られた。素直に謝って、濡れた髪を撫でる。そのまま頬に行くともちもちとしていて柔らかかった。男子高校生もこんな肌をしているのだな、などと改めて思う。今までいかに鈴彦くんとの触れ合いが少なかったのかも。
 急に抱きしめたくなり、腕を伸ばして肩を抱く。逆らうことなく、こちらにやってきた。


「一緒にいるって幸せだね」
「ずっと前から知ってたし」
「そうなんだ」
「……そうだよ。なんだよ、なんか文句あんのか」
「ないです。ごめんね」


 髪に口づけ、頭を寄せ合う。温かなお湯の中で、目を閉じるととても幸せだった。お湯の温度だけでなく、特別な何かがぽかぽかと身体を温めてくれた。


「鈴彦くん、今日は抱きしめて寝てもいいかな」
「寝て起きたら離してるくせに」
「今日は頑張って抱きしめるから」


 別にいいけど、さ。
 鈴彦くんは最終的にはなんでも許してくれる。だから僕は、年甲斐もなく甘えてしまうのだ。本来は逆のことをさせてあげなければいけないのに。


「先に出るから」
「うん」


 上って、ドアの向こうに行く。すりガラス越しの鈴彦くんというのもなかなか悪くなかった。今度リフォームしてここをガラス張りにするのもいい。そんなことを考えながらゆったりお湯に浸かり、出てきてみるとすでに鈴彦くんはソファでうとうと夢の中とこちらとを行ったり来たり。
 僕は髪を乾かして、少しだけニュースを見て、うとうとの鈴彦くんを起こして寝室である和室まで連れて行った。布団を敷いて寝かせて、抱っこする。


「おやすみ」
「おやすみ……」
「鈴彦くんはどんな夢を見るのかな」
「……なおしのゆめ」
「僕の夢を見るの?」
「なおしが、でる」
「お化けみたいだね」


 身体を撫で撫で、尋ねると鈴彦くんは素直に答えてくれる。


「鈴彦くんは誰が一番好き?」
「……さいきんは、うきょー」
「僕は抜かれちゃったのかな」
「なおしは、にばんめ」
「二番目か。まあ、二番でも愛してくれているならいいよ」
「でもいちばんになりそう。かえってきてくれる」


 そこまで言って完全に夢の中へ。
 またも愛しい気持ちをどうしたらいいかわからないまま、寝つきのいい僕が眠れずに、しばらく腕の中の鈴彦くんをねっとり眺めていた。

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