おじさんが、怒っているらしい。
 隣に座ったまま口も聞かないしこちらも見ないから、そうなんだろう。理由はなんとなく察しがつく。手を見ると、長袖の余りが甚だしい。確か少し緩いくらいだったのが、風が吹いたらはためくくらいに余裕ができてしまった。

 おじさんが帰ってこない間、暑さに参っていてぐだぐだと過ごしていた。食べたくないときは食べないで、寝て学校へ行って、たまに遊んで寝て、という生活をしていたら、もともと肉のつきにくかったぼくの身体はみるみる痩せていったようだ。気づいて裾をめくれば浮いた腰骨、あばらがあった。胸骨あたりも顔を出している。

 前々から、きちんと食べるんだよ、とよく言われた。おじさんがいたらそうもできるけど、ひとりだとなんだかおいしくない。きっとそれをわかっているから「ご飯食べて」とメッセージは送ってきてくれた。「食べてるよ」と返事をしたときはきちんと食べていた。それを楽しみに一日一食、しかも食パン一枚とか、そんなことをしていたのが全部わかってしまったみたい。


「……おじさん」


 ぷい、とあっちを向いてしまうおじさん。
 ぼくはとても悲しくなった。いつもみたいに撫でてもくれないし、抱きしめてもくれない。


「おじさん、怒ってる?」
「怒ってるよ」


 やっと返事をしてくれて嬉しかった。
 でも、玄関でぼくを見たときのおじさんの顔を思い出したら、また悲しくなってしまった。傷ついたようなおじさんの顔。
 怒っている、のではなく、悲しんでいるのかもしれない。ぼくが、おじさんがいない間にこんな風になってしまったから。


「おじさん、ぼく、ご飯食べなかった」
「見たらわかるよ」
「でも、おじさんがメッセージくれたときは食べたよ」
「……毎日三食食べてたら、そんな風にはならないはずだけど」


 おじさんがこちらを見る。
 冷ややかな眼差し。でも、悲しそうだった。
 ごめんなさい、と小さく謝る。おじさんは息を吐いて、ようやくぼくの頭を撫でてくれた。


「右京、ご飯は大事だよ」
「わかってる、つもりだった」
「ひとりだと食べたくなくなる?」


 首を横に振りかけ、縦に振りかけ、曖昧なままで止まる。ひとりだと、というのもあったし、暑かったし、面倒くさかった。妙に。
 おじさんはぼくの頬を撫でた。それから、肉がない、と呟いた。そんなに変わるのかわからなくて手のひらを当てる。手に、おじさんの手が重なる。温かくて大きくて、とても嬉しい手。


「今度から、夜は少し帰ってこようかな」
「でも、おじさん、大変だよね」
「右京が骨と皮になるよりはいいよ」
「肉もある」
「申し訳程度にね」


 おじさんが、ぼくを抱きしめる。
 その腕はいつもより余っていて、手が妙な位置にある気がした。記憶と少し違っていて、なんだか落ち着かない。
 そわそわ、腕の中で位置を少しずつ変える。おじさんはたまに抱き直したり、腕を締めたり、緩めたり。


「なんだか、落ち着かない」
「俺もだよ、右京」


 おじさんの唇が首に触れた。
 そのとき、なんだかぼくの心が急にいっぱいになってしまった。おじさんがいるんだ、とわかって、腕を回して抱きしめると、きちんと身体の感触がして、いつの間にか浅くなっていた息を深く吐いて吸ったら、おじさんの匂いがした。
 ぼくはどうやら、とても寂しかったらしい。
 理解したら、ひくりと身体が震えた。なみだがぽろぽろとでてくる。泣くのはとても疲れるのに、止められなかった。
 ぼくが食べなかったのは、食べられなかったのは、とても寂しかったからだ。面倒くさい、と思ったのは、本当は、おじさんがいないテーブルにひとり分だけ置いて食べるのが嫌だったからなんだ。


「右京、泣いてるの」
「泣いてる」


 おじさんの手が、背中を擦る。でこぼこした背中の骨を優しく撫でてくれる。


「寂しかったんだね」
「うん」
「ごめんね」
「ううん」


 おじさんはぼくの顔を見て、頬を包んで瞼に口付けた。


「なんか、少しずつ溜まった寂しいのが、爆発した気がする」


 おじさんでしか埋まらない寂しさがあって、それはどんどん溜まっては心の奥へしまわれていって、そこがいつの間にかぱんぱんになって、いきなり爆発して身体をいっぱいにしてしまって、お腹いっぱいになったような。
 言い表そうか迷うぼくに、おじさんは笑った。それで少しだけ、いっぱいだった心が軽くなった。


「右京がご飯を食べられる方法、探さないとね」
「ひとりでも食べる、よ。おじさんが悲しくなるから」
「……うーん……」


 でもむりして食べるのは良くないよな、と呟いて、指で涙を拭ってくれて、目元にキスをしてくれた。


「やっぱり、夜は帰ってくるよ。で、右京とご飯食べる」
「でも」
「俺も右京の顔が見たい。ひとりでも大丈夫、なんて、勝手に決めつけてたね。ごめんね」
「おじさん」
「右京といる時間が少しでも欲しいな。わがままだけど」
「わがまま、じゃないよ」
「なるべく早く帰れるように、日中もっとがんばるからね」


 きっとそういうことではないだろうに、おじさんはぼくを思って言ってくれる。そんなに無理しなくていいよ、と言うべきだとわかっていても、ぼくはそれを言わなかった。
 ずるく黙って、おじさんの胸へ顔を埋める。


「ありがとう、おじさん。ごめんね」
「ううん。毎日右京の顔が見られるのは幸せだから」
「おじさん、好きだよ」
「うん。愛してる」


 腕はまだ迷って、ぼくの薄さに慣れていない。戸惑いをにじませた優しい抱き方には違和感しかなかった。
 でも、きっとすぐに戻るだろう。ぼくは、おじさんとご飯を食べるときはいっぱい食べられるのだから。


「今日は早く寝ようね」
「うん」
「お風呂入ろうか」
「……でも、今、あんまり」
「痩せたから?」
「骨だらけだよ」
「そう。じゃひとりで入ろうかな」
「見ててもいい?」
「いいよ。一緒に行こう」


 手を引かれて、リビングを出るときにダイニングテーブルを見た。引かれることのなかったぼくの向かいの椅子は、きっと毎日動くのだろう。
 そう思うと、ただ嬉しかった。

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