「おかえり、鈴彦くん」
「ただいま……」
「お化け見た、みたいな顔してるけど大丈夫?」
「足はあるらしいな」
「一応ね」


 すらり、とした足を組んで、俺を見上げて笑う。先に帰っているなんてとても珍しいことで、すでに部屋着に着替えている直に笑いかけられると違和感でもぞもぞした。着替えてくる、と一応口にして、階段を上がった。いつもだったら制服のままだらだらすることもある。が、その場所には直が座っていたし、なんだかやってはいけないような気がした。

 部屋のドアを開けると、まだ薄暗いくらいだった。外がようやく暗くなり始めた程度。夏はあまり好きじゃない。暑いし、なんだかどこへ行っても人が多いようで落ち着かない。直がいれば多かろうが少なかろうが構わないが、ひとりでは嫌だった。まとわりつくような視線が、嫌いだ。
 入って右手側、ベッドの隣にある勉強用の机。
 その上に、見覚えのない箱が置いてあった。
 黒い、手のひらの上に置ける程度の箱。近づいて手に取り、よく見てみる。銀色で小さく文字が書いてあった。筆記体の英文字。ブランドの名前で、集めているアクセサリの中にいくつかある。最近欲しいと思っていたリングがあって、まさかと思いつつ開けてみるとやはり、記憶と全く同じものがそこに収まっていた。
 直はいつもこうだ。しばらく家を空けた後、こうして何かを持ってくる。

 机の引き出し、一番上を引く。
 ガラスケースの中に多数のブレスレットとリング。ほとんど直が買ってきたものだ。しかも、どれも欲しいと口にしたことは一回もない。今回と同じで、どうやったのか察知して部屋に置いておく。

 空いた場所へ入れて、着替えて階段を下る。いい匂いがしてきて夕飯を作ってくれていると知った。今日の晩はどうやら魚がメインのようだ。焼くよりも蒸したものが好きだと知っている直は、いつも合わせてくれる。
 リビングの入り口からキッチンを見ると、そこに立っていた。背が高いので換気扇のフードに顔が隠れてしまいそうだ。直の身長に合わせてあるからかろうじて顔が見える。
 一見すると、温和な男だ。
 柔らかく波打つグレーの髪、秀でた額、二重の横に広い目も色素が薄く、高い鼻や唇、骨格などは同じ人種と思えないほどだ。小さな頃の記憶、おぼろげに覚えている直の父親もそうだった。とてもかっこよくて、笑うと可愛らしくて、こんな人が父親になってくれるのかと幼いながらに嬉しかった。何度か膝に乗せてもらったことがある。いつも優しい人だった。突然死んでしまったが。

 直が引き取ってくれるまで、施設にいた。母親は自分を食わせるのにいっぱいいっぱいだったし、あの人が死んでしまったことに深く傷ついていた。本当に愛していたのだと思う。施設は人が多く、あまり好きじゃなかった。どこへ行っても何をしていても視線を感じて、それが十里木の家にいたときの周りのものと重なり、苦しかったように思う。直と暮らすのは戸惑ったが、家族といるのは嬉しかった。あまり帰ってこないことを知ったのは暮らし始めてしばらくしてから。お手伝いさんという人は優しかった。でも、なんだか嫌だった。直が傍にいてくれたらいいのに、と毎日思っていた。


「なんでそんなところに立ってるの、鈴彦くん」


 こちらを見る直。柔らかな視線、穏やかな口調。


「別にー」
「ご飯、できるよ」
「手ぇ洗ってくる」


 直の目は、最初から嫌じゃなかった。
 どんなに見られても、なぜか嫌じゃなかったんだ。なんでだろうか。
 洗面所で手を洗い、椅子に座る。蒸した魚に野菜のあんかけがかかっていてとてもおいしそうだ。


「鈴彦くんは魚が好きだね。僕とどっちが好き?」


 とても軽い口調で尋ねてくる。魚、と答えたらどんな顔をするのだろう。答えかけて、黙った。直の顔を見ていたら何も言いたくなくなってしまった。当然自分を選ぶだろう、という顔をしているように見えたからだ。


「いただきます」
「うん。いただきます」


 きれいな手が箸を使う。器用に魚の身を切り分け、おれの皿に置く。それからあんと野菜をかけてくれた。


「直は食わねーの」


 直の前には米も皿も置いていない。
 穏やかに笑い、これが先、と酒の入った瓶を振る。


「酒ばっか飲んでんじゃねーぞ」
「仕事が終わって家でゆっくりできる日だけだよ。鈴彦くんの顔を見ながら飲むのが一番おいしいからね」
「誰にでも言ってんだろ」
「そう思う?」
「……別に、興味ねーから」


 魚が美味しい。
 直が奇妙な笑顔を浮かべていなかったら、きっともっと美味く感じただろう。


「直さ」
「何かな」
「なんでおれが欲しいもん、わかるの?」
「愛」


 恥ずかしげもなく、まるで真実のように言って甘ったるく笑う。絶対嘘なのに。黙ると手が伸びてきた。テーブルの上の左手を握る。


「つけてくれないんだね。左手に」
「出掛けるときにつける」
「じゃあ薬指にしてね。僕の鈴彦くんだって、すぐわかるように」
「絶対しねー」
「僕がつけてあげる」
「やだ」


 楽しそうに微笑む直は、おれが嫌がるのを楽しんでいるようだった。優しそうに見えて意地が悪いのだ。


「それとも鈴彦くんは首輪のほうがいいのかな」
「すげーやだ」
「そんなことはしないけどね」


 意地悪そうに言いながら手を撫でる直の手は温かい。そういえば最後に触れたのはいつだったか記憶にない。鈴彦くん、と呼ぶ声を直接聞くのも久しぶりだ。


「鈴彦くん、一緒にお風呂入ろうね」
「やだよ」
「もう準備できてるよ」
「ひとりで入れば」
「寂しいな」
「知らねーし」


 入る入らないで揉めたが、魚の身がきれいになくなる頃にはなぜか「直がおれの身体を洗う」と言いくるめられていた。かなわない。
 もちろん、直が洗うだけで終わるはずもなかったのだが。



「鈴ちゃん、昨日、十里木さん帰ってきた?」
「うん。なんでわかんの」
「顔に書いてあるよ。楽しかった、って」

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