休日、鈴彦はひとりで街をぶらぶらしていた。オフホワイトのシャツに暗めの赤のカーディガン、細身のグレーのパンツ、黒のショートブーツ。鞄は持ちたくない方なので、ポケットへ無造作に財布を入れている。人でごった返す街中で盗まれても困るほどの金額は入っていないし、一応カードはシャツの胸ポケットに入れてある。直に言われて別々に持つことが習慣づいているのだ。

 注意した十里木直は、戸籍上は鈴彦の兄ということになっている。保護者であり、性行為もするし、キスもするし、手もつないで歩く。昔からそうだ。直に「好きだよ」「かわいいよ」と言われて触れられて育ってきて、今やすっかり当たり前、言われて恥ずかしいし疑問は浮かぶが、本当に嫌だと思ったことはない。

 財布が入っているのと反対側のポケットの携帯電話が小さく短く震えた。
 ちょうど服のショップに入って、気になったものを手に取ったところだったので、それを戻して他の客の邪魔にならないような場所で画面を確認した。メッセージアプリに入ってきていた新着メッセージ。


「……?」


 その文面を飲みこんで、ゆっくり顔を上げる。
 ショップの、道に面した大きなガラス。その向こうに直が立っていて、鈴彦と目が合うと爽やかに笑って手を振る。途端に店内が小さくざわめいた。ひそひそと交わされる言葉が耳に入り、鬱陶しくなって外に出る。
 鈴彦の手に握られたままの携帯電話、その画面には「その手に取った服、似合うね」という直からのメッセージが表示されたままになっていた。


「なんでここにいるんだよ」


 きゅっとつり上がった目に睨み上げられ、まだ幼さをもったままの声が不満そうに突き出される。直は、可愛いな、と目を細め、赤っぽいツーブロックの髪のてっぺんあたりを撫でた。


「鈴彦くんとデートがしたくて、お仕事終わったからすぐ戻って来たんだ。もともとそういう約束だったしね」
「……予定と全然違うけどな」


 むっと唇を尖らせ、きつい目を緩めない鈴彦。それを涼しい笑みで見下ろす直。
 道を行く人は、ちらりとその様子を見て親子喧嘩かな、と思ったりもする。

 少々波打っている灰色の髪をきれいに整え、その下には目尻の皺、皮膚の少々の陰りも魅力的な端正な顔がある。くっきりした眉に魅力的な二重の目元、いかにも理性的な光りを宿す落ち着いた茶色の瞳。しっかり隆起した鼻に、バリトンに分類されるような落ち着いた声を紡ぐ唇。身長が高い方である鈴彦よりも上背があり、しっかり張った肩やすっきりした体型はシャープさ、俊敏さをを保ったままだ。今はその身体をネイビーのニット、深いワインレッドのパンツ、カジュアルな革靴で装っている。きれいに整った直はどう見ても上質な男性。いかにも隙が無い。

 鈴彦のぎりぎりした睨みも可愛いと思う直の目には、周りの誰も入らない。どんな美人も美男もきれいだと思うだけで皆同じ、等しく鈴彦より下である。

 本来、直と鈴彦が約束していたのは、今日の休みは少し離れた場所の山に登ろうということ。山と言っても丘のようなもので、あまり装備もいらない、けれど紅葉がきれいだったり遺跡があったりするところへ行こうと言っていた。
 が、いつもと同じで直は仕事。それで鈴彦との約束はなしになったはずだった。昼が過ぎたばかりの今、出発したところで間に合わないだろう。


「うん。ごめんね。だからせめて一緒に街を歩こう?」
「……直と歩いたって別に面白くねーから」
「そう? なら、僕は勝手に付いて行くから、ご自由に」
「落ちつかねーよばか」
「じゃあ一緒に歩こう?」


 にこにこにっこり。穏やかそうな、その下に何を隠しているのか一切読み取らせないような完璧な笑顔。しばらく見つめていた鈴彦、ふっと息を吐いて、直の大きな手に自然な様子で手を滑り込ませる。


「……欲しいって言ったら全部買えよな」
「喜んで」


 見なれた街を、ふたりで歩く。
 鈴彦がふらりと入った店で、直は似合いそうだねと言って何でも買いそうになる。最初に買えと言ったのは鈴彦の方なのに、その鈴彦が止めなければならなくなった。何軒目かに入った店でも、お前は大物芸能人か、と小声で突っ込みつつ、大丈夫です要りませんから、と店員に頭を下げ、直を連れて表に出た。
 ぐいぐい背中を押されて、カフェに入った。人がまばらな店だったので適当な席に座り、注文より先に鈴彦のお説教タイム。


「鈴彦くんは何でもよく似合うから、ついつい買ってあげたくなっちゃうんだよ」
「そういうのやめろ」
「可愛い子に貢ぎたくなるのは本能なんだ」
「……可愛けりゃ誰にでも買ってやるのか」
「可愛いって思うのは、鈴彦くんだけ」


 机の上に置いていた鈴彦の手をさらりと取って両手できつく握りしめる。温かな手の向こうにある直の瞳に、それぞれ自分が映っている。可愛さなどかけらもない、どちらかと言えば人が怖いと言う顔。直は昔から可愛いと言い続けている。


「俺のどこが可愛いと思うのか全然わかんねーんだけど」
「顔もそうだし、性格もとっても可愛いと思うよ。つんつんしているけど本当は僕のほうをずっと見ていてくれるし、心配もしてくれるし、お家でもがんばってひとりで耐えていてくれているし」
「……もう子どもじゃねーんだから、ひとりだって平気だし」
「そう。頼もしいね。いい子」


 柔らかな微笑みを浮かべたまま鈴彦の指先へ口づけ。そこへおずおずとやってきた店員に直は手を握りしめたままでさらりと注文。癪なことに鈴彦が今食べたいもの飲みたいものを的確に。鈴彦のほうは直のことなど何一つわからないというのに。


「このあとはどうしようか」
「もう店には入りたくねー。適当に歩いて帰る」
「じゃあ買い物して帰らないといけないね。家にはなにもなかったから……今日は作るよ。何が食べたい?」
「……牛丼」
「甘めのやつで玉ねぎ、牛肉、白滝入りでつゆだく?」
「うん」
「他には?」
「焼きしいたけ、大葉と大根おろしで食べたい」
「おいしいしいたけ買って帰ろうね……鈴彦くん、まだ怒ってる?」
「なんで」
「なんとなく」
「別に、もう怒ってねーけど」


 運ばれてきた大きな季節のパイをざっくり切り分け、自分の皿へ取り分ける。一緒に飲んでいるのはブレンド茶。甘いお茶が苦手な鈴彦は普段から無糖の茶を好んで飲んでいた。
 直はパイに手を伸ばすことなく、ただコーヒーを飲んでいる。その目は片時も鈴彦から離れない。絡みつくように。見られている方は慣れているようでちっとも気にしてはいないが、傍から見ればかなり異様だ。余所見をしなさすぎる。


「スーパーに寄って帰ろうね」
「おう」
「あ」


 直は鈴彦の頬を包んで上を向かせると、ぺろりと口の端を舐めた。


「ばっ……かじゃねーの。外で何してんだよ」
「あ、ごめん、つい家の癖で」
「家でもしねーだろ!」


 真っ赤になった鈴彦を楽しそうに笑う。口の端にパイがついていたんだよと言って、殴って来そうな手を掴んで止める。


「ごめんね。嫌だった?」
「いや……いやじゃねー、けど、恥ずかしいだろ……」


 しりすぼみの声。頭を撫で、恥ずかしいことなんて何もないよ、と囁いた。


「家族なら当然だから、心配しないで」
「……嘘だ」
「そう思うならそれでいいけど」


 取った手を握り、そのまま歩き出す。街路樹もいつの間にか木の葉を散らして樹皮も色を変え冬の様子になり始めている。秋はあっという間に過ぎてしまう。そして寒く暗く重い冬になる。ひとりでいる時間が妙に長く感じて、どうしようもなく不安になることがある時期。
 鈴彦は、先を歩く直の背中を見て、もし自分が寂しいと言ったら傍にいてくれるだろうか、と考えた。すぐに出た答えは、否定。ごめんね、と言って、きっと出て行く。留まる想像など出来はしない。


「……直」
「どうかした?」
「やっぱ鍋食いたい、鍋。野菜いっぱい入れて、鶏肉入れて」
「じゃあそっちにしようね」


 スーパーへ行って、手を繋いだままで買い物をする。鈴彦は次々と手慣れた様子で野菜を入れて行き、直は肉を選んだり、瓶詰や缶詰を買ったり。たまに帰ってきてお酒を飲むので、そのための買い物だ。鈴彦は鈴彦で、ときどき飲みたくなる果物のジュースを真剣な様子で選んだ。紙パックの小さなのと、大きなのとどちらもを籠へ。


「あ、魚がおいしそう」


 海鮮のコーナーに来たとき、直が呟いた。並べられた魚たちを見て、鯖を選んで買った。


「塩こしょうしてホイル焼きにしよう」
「味噌煮食いたい」
「それでもいいけど」
「じゃあそれがいー」


 それから牛乳を買って、シリアルを買って。
 買い終えて食材がたくさん入った買い物かごを、直が乗って来た車のトランクへ納めた。駐車場へ停めた車に乗ると、鈴彦はすぐに小さなパックのジュースへストローを刺した。


「このりんごジュースうまい」
「初めて買ったの?」
「うん」


 こくこく飲んでいる鈴彦の肩を抱き、上を向いたその唇に唇を合わせる。その間から入りこんだ舌が、まるで味わうように自由に口の中を動く。


「本当だ、おいしいね」
「……今のでわかんの?」
「……なんとなく」


 ちゅっと軽い口づけをもう一度。それからハンドルを握り、車を動かす。


「久しぶりに鈴彦くんとお出かけできて楽しかったよ」
「一緒に、ってわけでもなかったけどな」
「最初はね。でも鈴彦くん、見てたから」
「……そういやいつから見てたんだ?」
「んー、電車降りて、駅から出たところから?」
「最初からじゃねーか! もっと早く声掛けろよばか!」
「街の中をふらふらする鈴彦くんも可愛くて」
「ばっかじゃねーの……ばか、ばーか」


戻る
----- 
誤字報告所

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -