「おじさ……っ、ん……や、こんなとこ、で」
「しーっ。静かに、ね?」
おじさんの、いつもと同じ穏やかな声が耳の後ろで囁く。ぼくは口に片手を当てて、漏れ出てしまう喘ぎを押し殺した。がっちり腰を掴まれて、ズボンは足首のあたりに絡んでいる。下着はほとんど下げられないで右足のほうを強引に引き上げられ、剥き出しにさせられたそこに、音をたてないように、なのか、おじさんの腰が短い振り幅で強めに押し付けられている。息を忘れそうなくらいの快楽。
人がしょっちゅう来るトイレの個室。話し声、水の音、音楽、さまざまな音がほぼ途切れないおかげで、ぼくたちがたてる微かな物音にたぶん気づかない外の人。本を買いに来たはずなのに、どうしてこんなことをしているのだろう。
昼過ぎからおじさんと来たのは大型のショッピングモール。海の近くにあって、上の階のレストランからきれいな景色や夜景が見られると有名なことは知っていた。さまざまある店の中のひとつに海外の本を幅広く取り扱う専門店があり、おじさんの目当てはそこだった。
波打つ黒髪を流して、腕まくりしたミントブルーのシャツにグレーのパンツ、同じような色合いのスエード素材のレースアップシューズ。おじさんはいつでも爽やかだ。
本屋のスペースに入ると、にぎやかな通路とは違ってとても静かだった。ちらほら人がいて、たくさんの高い本棚と向き合っている。おじさんはぼくの手を引いて慣れた足取りで奥に進み、何語かよくわからないような本を抜き出した。よくわからないけれど、背表紙の文字の終わりに4と数字が書いてある。続き物、なのだろうか。
「その本?」
「うん。十年ぶりくらいの新刊」
「十年……ぼく、六歳」
「六歳? それはそれは……」
苦笑いしたおじさん。ちょっと待っててね、と手をそっと放してお金を払いに行く。本棚の間をぐるぐる巡っていたら絵本のところに出た。言葉はわからなくても挿絵がかわいいことはわかる。ほかの本と違って広い棚に表紙が見えるように並べられているので飽きない。英語のを一冊手に取り、ぱらりと中を見る。
面白くて見入っていたら、いつの間にか後ろに気配があった。そしてお尻を撫でられていることに気付いた。おじさんかと思ったけれど感触が違う。こんな触り方もしない。
まさか本屋で痴漢に遭うとは。
溜息をつくとその手がびくっと動いた。そしてすぐに感触がなくなる。顔を上げ、右、左と見ると左側、少し離れた場所でおじさんが見知らぬ男の頭をがっちりつかんでいつもと同じ柔らかな笑顔で何やら話していた。まだ若そうな男。ぼくの尻を触っていた犯人、だろうか。
捨てるように斜め下へ男の頭を放り、転ばせる。それに見向きもしないでこちらへやってきた。じっとぼくの目を見て、それから頭を撫でる。
「お待たせ。行こうか」
反対側に歩いて本屋を出る。
「せっかくだから一周する?」
「うん」
続けて並ぶテナント。時計、服、雑貨、いろいろ。
「あ」
「うん?」
「あのお店、この前、なつとシノちゃんが言ってた。おいしいって」
「フルーツジュース?」
「うん」
「飲んでみる?」
「うん」
いろいろな野菜や果物のジュースとスムージーの専門店。迷いに迷って、メロンのやつを選んだ。大きさは小さいやつ。人が何人か待っていて少し時間がかかるらしく、おじさんはぼくに本を渡して「あそこに座って待ってて」と、エスカレーター近くのベンチを示した。
紙袋を膝に載せて、待つ。
おじさんが隣にいた女の人たちに話しかけられていた。こちらをちらちら見ながら何やら話をしている。かっこいい。いつもにこにこして、優しくて。話しかけられてぼくみたいにむっつりしないで、普通に話している。
「ひとり?」
隣の人に話しかけられた。おじさんから視線を外して横を見ると、大体同じくらいの年齢の女の子。
「ひとりじゃない」
「親?」
「……恋人?」
「でも今はひとりだよね。話そうよ」
じっ、と、その子を見る。それから、おじさんと同じように笑ってみた。とたんに、その子は黙ってしまった。頬を真っ赤にして。
「右京、はい」
間に現れた手。その手にはストローの刺さった透明のカップ。しっかりした手首を辿って上を見るとおじさんの姿。
「早かったね」
「前の人が譲ってくれたからね。さ、行こう?」
ぐっと腕を引かれ立ち上がる。歩きながら、ジュースを飲んだ。おいしい。あの二人が話していただけある。
「おじさん、おいしい」
「よかったね」
「飲む?」
「ううん」
おじさんはぼくを見て笑う。けれど、その笑顔はなんだか、違う。ごくりとぼくの喉が音をたてた。メロンのジュースが喉に詰まるのは初めてだ。無言でしばらく歩いていて飲み終えたそれを近くのゴミ箱に捨てるなり手を引かれてトイレへ。
そして今に至る。
「右京、さっきの子、かわいかった?」
「さ、っきの、子?」
耳元の声。ゆすゆす揺さぶられながら聞き返す。
「右京が笑いかけた子」
「……もう、わかんな……ぁ……っ」
「右京とは、あんまり人が多い場所に来ないほうがいいかもしれない。俺が死にそうになる」
「なん、で」
「嫉妬で。みんな右京のこと見るから」
ぎゅうっと、胸がおかしな風に動く。それと一緒にお尻も動いた。中にいるおじさんのをきつく締め上げてしまう。
「右京のこと見せて回りたいけど、見せたくないような気もする」
ずるっと中から抜き出されてぐるりと身体を反されて、おじさんのほうを向く。壁に肩を押しつけられ、おじさんがぼくのに、下着の上から擦りつけてきた。耳元で少し息を荒らげるおじさん。それを聞くといつも背中がぞくぞく。いくらも経たないうちに出てしまった。下着が先を包んでいたので服が汚れなくて済んだ。
「右京はかわいいから、いつも心配」
鎖骨のあたりをきつく吸い上げるおじさん。
「こうやって、痕でもつけて見せつけておこうかな。それとも、閉じ込めちゃおうか。俺以外の誰も、右京を見ないように」
「おじさん……?」
「嘘だよ」
立っていられなくなったぼくを座らせて、ハンカチとトイレットペーパーで後処理をしてくれた。
「……怒ってる?」
「怒ってはない。いきなりごめんね」
「ううん」
「なんか右京といるようになってから、俺、子どもっぽくなってる……要反省だね……」
困ったように笑って、おじさんは人がいない外に出て手を洗った。ぼくは鍵を掛けておじさんが戻るのを待つ。新しい下着を買いに行ってくれたおじさんを。
どんなおじさんでも好きだし、嫉妬してくれるのも嬉しい。だから、あんな困ったような顔しなくてもいいのに。
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