加賀(かが)
右京(うきょう)





「ただいま、右京」
「お帰りなさい」


 早めに帰って来た加賀、キッチンにいる右京のところへまっすぐ足を向け、後ろから抱きしめると肩の辺りに鼻を埋めて思い切り息を吸った。Tシャツ越しに、ボディーソープの香りがする。もう風呂に入ったのかと首の当たりに鼻を寄せるとやはり清潔なさっぱりとした匂いがした。


「今日のご飯は、ねぎとたけのこの鳥そばだよ」
「何か手伝う?」
「ううん。お風呂入ってゆっくりして。すぐできるから」
「わかった。ありがとう」


 耳の少し上の辺りへ口付ける。ふわん、と、暖かな匂い。右京はどこもかしこもいい匂い。それとも自分が、彼を好きだからだろうか、などと考えながらネクタイへ指を掛けつつ、ふと、それが目に入った。手が止まる。


「……右京、今日、どこか行って来た?」
「え? えっと、学校行って……」
「だけ?」


 突如、加賀の声がひんやりとした。それがわかった右京は火を弱めて振り返る。


「……おじさん?」


 目を細め、気に入らなさそうな顔。ネクタイを緩めシャツのボタンを外し、自分の首を指で数回叩いて見せた。


「蚊に刺されじゃなさそうな、何か、があるけど」


 手をやってみる。腫れていないし、肌に目立った異常は無い。蚊に刺され、と言うからには赤くなっているのだろうか。そこを撫でつつ、今日のことを思い返す。そして――


「あ」


 右京が小さく声を漏らしたのに、加賀は眉を跳ね上げた。


「どこの誰?」
「あの」
「学校の子? 何かされたの」
「ちが」
「じゃあなんでそんなところに痕がつくの」
「えと」
「触らせたの」
「違う」
「じゃあどうして」
「おじさん、ぼくの話、聞いてよ」
「……俺が最近いなかったから」
「え?」
「寂しくなった? 俺なんかより、もっと傍にいてくれる人がいいよね、やっぱり」
「おじさん、何言ってるの」
「……ごめん、なんか疲れてるみたい。変な方向にしか行かない」


 困ったような顔でカウンターへ寄りかかる。ぐしゃりと髪をかき回し、先ほどよりもっと深く息を吐いた。


「おじさん、本気で思ってるんだったらぼく怒るよ」
「本気じゃない」
「ほんと?」
「……こともない」


 今度は右京の目が、一瞬細くなった。


「……おじさん」
「ごめんね」
「これ、おじさんが思うような理由じゃないよ」
「どういうこと」
「鈴ちゃんが持ってた、なんていうんだろ、なんか変な健康器具の痕だから」
「……」
「キスマークにしてはどす黒いでしょ。ぼく嫌だよ、こんな強烈に吸われるの」


 ほら、と右京に見せられる。幾分色が薄くなっていてどす黒いというほどではないが、確かにキスマークにしては色が濃いようだ。それに範囲も少々大きい。
 こうしてまじまじ見てみると、それらしくはない。全くかけ離れていて、どうしてそのように見えたのか不思議なくらいだ。


「……おじさん、本当に疲れてるんだね。最近、忙しかったもんね」
「ごめんなさい」
「お風呂入ってきたら」
「そうします……」


 右京の髪を撫で、ふらっとした足取りで加賀は廊下へ出て行く。
 ぐつぐつと程よい具合になった鍋をかき混ぜつつ、右京は小さく溜息をついた。


「いくら帰りが遅くても、忙しくても、離れてても、おじさんだけがいいのに」


 おじさんはそうじゃないのかな。ぼくが誰かを好きになると思ってるのかな。


「そんなこと、ないよ」


 呟きに対して返事があり、振り返る前に抱きしめられた。


「ごめんね。本当に」
「……うん」
「もう二度とあんなこと言わないから」
「うん。……ちょっと、傷ついた、かも。疑われた、みたいで」
「ごめんなさい。申し訳ありません」


 肩や、耳や、髪に口付けが降る。しばらくそうしていて、右京の手がぽんと加賀の手首のあたりを叩いた。


「……もう、大丈夫」
「ご飯できる?」
「うん」
「じゃあ、食べてからにしようかな。右京も一緒に入らない?」
「ぼく、入ったよ」
「よければもう一度」
「……いいけど」
「ありがとう」


 加賀の場所と自分の場所とに鳥そばの丼を置き、きんぴらにしたにんじん、きゅうりの漬物などを真ん中へ。


「おじさんが向かいにいるの、久しぶり」
「そうだね。ごめんね」
「ううん」


 一緒に手を合わせ、いただきますと言って食事を始める。加賀がおいしいと笑ってくれる顔を見ると、先ほどまでのもやっとした気持ちが少しずつ晴れていくのを感じた。漬物をぽりぽりしつつ、簡単だな、と思う。
 一方で、加賀の違う顔が少しずつ見られるようになってきたのが、少し嬉しくもある。いつでも余裕があるところも好きだけれど、今日みたいに怒ったり、ちょっと悪そうだったり、余裕が無かったり、だらしなかったり。そういうところも、好き。見るたびにますます愛しくなる。
 ちらりと目をあげ、向かいを見た右京。
 しかし何も言わず、加賀と同じように幸せそうに麺を口に運んだ。

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