「ただいま」


 帰って来たおじさんは、いつもと違う雰囲気だった。無表情、声も低くて別人みたいで、ネクタイもシャツもスーツも今朝着ていったものと違う。


「おかえり……なさい」
「うん」


 ぼくの頭を軽く撫でて、いつもだったらリビングへ行くのに書斎に入ってドアを閉めてしまった。いつもより早い、夜九時の帰宅にあの雰囲気。何かあったのだろうか。
 閉めきられたドアの前に立ち、どうしようか一瞬迷う。結局、声をかけることもしなかった。
 おじさんが出てきたのは、それから一時間後。
 ダイニングテーブルで待っていたぼくの顔を見て、一瞬眼を細めた。ぞくっとするような冷たい眼差し。今までに一度も見たことの無い暗闇じみた目。思わず目を背けてしまって、キッチンでグラスを取り出したり冷蔵庫から何かを取り出したりする音と気配だけを感じた。
 それからソファに座ったので、ぼくからはおじさんの後頭部あたりが見える。


「……なんかおじさん、変、だよ」
「そうかな」
「うん」
「今日はいろいろあったから。ごめんね」


 謝られるようなことではないけれど、戸惑っているのは事実。どう接したらいいかわからないのなんて初めてだ。一気に飲み干したグラスの中は透明で、多分お水。


「右京、お風呂入った?」
「まだ、だけど」
「一緒に入らない?」
「……」


 一緒にお風呂に入ろうと誘われるのはいつものこと。でも、今日はおじさんがおじさんじゃないみたいだから少し迷った。イライラしている感じではないが、冷ややかな感じでやっぱり怖い。


「嫌ならいいんだ」


 グラスをテーブルに置いて、よいしょ、と立ち上がる。
 少し遅れてその背中を追いかけた。あの状態のおじさんをひとりにしてはいけないような気がして。


「おじさん」
「うん?」
「一緒に入る」
「……いいの?」
「うん。待ってたから」


 頭を撫でてくれる手はいつもと変わらない。ただ雰囲気や目がいつもと違う。
 丁寧に服を脱がせてもらい、髪や身体を洗ってもらって洗ってあげて、一緒に湯船に入る。いつもと同じだ。ただ何も話さないことを除いて。
 湯船に入るとおじさんの足の間に座って身体に背中を預ける。


「……おじさん、なんかあったの?」
「んー……まぁね。今日は、あんまりいい日じゃなかったな」
「大変、だったんだ」


 頷く気配がした。


「人相が変わるくらいには、よくなかったよ」


 自覚していたのか。ぼくが肩を竦めると、おじさんの両の手のひらがそこを撫でた。ごめんね、と、頭のてっぺんやや後ろに口付けが降る。おじさんの怖い顔はこれからもたびたび見ることになるかもしれないから、慣れておかなければならない。ストレスが溜まった顔。


「怖がらせてごめんね」
「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
「ごめん」


 謝ってくれるおじさんの手を取って、親指の根元の辺りに噛み付いた。見える場所だからあまり強く噛むことはできない。はむはむと甘噛み程度。おじさんの手は骨ばっていて綺麗で、ちょっと硬いけれど中は柔らかくて噛んだときの感触がとてもいい。


「右京にあんまり心配かけないようにするから」
「いいよ、少しくらい。たまにはぼくにも心配させて」
「いいの?」
「たまにはね。いつもは、嫌だけど」
「俺も嫌だよ、毎日心配かけるのは」


 だんだん、おじさんの雰囲気が親しみのあるいつものものへ変わっていく。こちらのほうがやっぱり好きだ。甘やかで穏やかで、優しいおじさん。新しい顔を見られるのはいいけれど、怖い顔はあんまり見たくない。


「おじさん、ご飯は?」
「お風呂から出たら食べるつもり」
「お魚あるよ。焼く?」
「うん。ご飯食べたら、ちょっと触らせてね」
「いいよ」


 おじさんの唇が肩に触れ、じゃあ先に出るね、と声を掛けて立ち上がる。
 身体を拭きながらお風呂場を見ると、おじさんと目が合った。
 いつものように、にっこり笑ってくれて、胸がきゅん。かっこいい。


「ところでおじさん、朝着ていったスーツやシャツは……?」
「あー……えっと、諸事情で着られなくなってしまって」
「事情……?」
「いろいろと、ね」


 苦く笑うおじさん。
 あとでご飯を食べているときに、さりげなく聞こう。

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