いつも公園にいるのを見かけていて、かわいい男の子だ、と思っていた。そして二ヶ月前にとうとう拾って同居を始めた。
彼はウキョウと名乗った。
俺はカガと名乗った。
ウキョウは見た目がきれいで派手目に見えるが、大人しくて静かであまり出歩かない。公園時代から学校へはきちんと通っているようだし、買い物や散歩に誘えば大人しくついてくる。が、能動的には動かない。部屋の角で膝を抱え、じっとして何かを考えていることがとても多い。
ご飯も少し、水も少し。よく生きているなあと思うくらいだ。身体も細くて抱きしめると腰骨が当たる。食べさせようとしてもなかなか進まない。
毎晩一緒に寝るけれど、必ず俺が先にベッドに入る。仕事でどんなに遅くなっても絶対、俺が横になってから入り込んでくるのだ。
ウキョウは何をしても嫌がらない。性的なことも含めて色々試してみたけれど、ひとつも嫌がらなかった。
食費も光熱費も抑えめで特に金もかからないし物欲もない。
ただいるだけ。
でも、俺にはウキョウがとてもかわいい。ご飯を食べるとこも、ぼんやりしてるとこも、ベッドで気持ち良さそうに寝ているとこも。
ただひとつ困ったことといえば噛み癖があることだ。
おかげで俺の身体中歯型だらけで、あざになったり傷になったりしている。
「おじさんの身体、ウキョウの痕だらけなんだけど」
一緒に風呂に入っていたら、やはり噛み付いてきた。尖った歯がきりきりと刺さるが今日は甘噛みの気分らしく、さほど痛くない。黒髪をかきあげると二重の猫目がちらりと俺を見る。両手で持った俺の右手首の脈あたりへ噛み付いたまま。
「あんまり見えるとこだと、ちょっと大変なんだよね。着替えたりしなきゃいけないときもあるから」
「……?」
「見えたら一発で歯型ってバレちゃうでしょ。バレると周りの人におかしな目で見られちゃう」
しばらくして、ゆっくり口から手首を外した。やはりひどい痕にはなっていない。ウキョウは細い指先でゆっくりたどり、それから腕へ。あちらこちらの歯型を撫で、肩、首、鎖骨、胸、腰や背中まで。
腰や背中に至ると上半身が密着する。板のように扁平な身体だが不思議と柔らかみがある。
腰を掴んでも無反応。肩へ顎を乗せて、急に落ち着いたようだ。
「ウキョウはなんで噛み付くの」
返事はない。右手で後頭部をなで、もう片方の腕で腰を抱いて湯にもう少し沈む。ウキョウが冷えないように。
すると軽く耳に噛み付いてきた。やはり甘噛みの域を出ない。
癖のない黒髪が柔らかくて気持ちいい。撫で続けているうち、ずっと耳を噛まれている。
撫でるのをやめたら噛むのもやめた。
「……好きだから」
湯の表面が波打つ音にかき消されそうなくらい小さな声でウキョウが言った。
「なにが好きなの?」
身体を少し離し、両手で頬を包み込む。じっと黒い瞳が俺を見る。
「おじさん」
いつもの調子でぽつんとこぼす。
「……俺が、好きなの」
「うん。おじさんが好き。好きだから噛み付いて、たくさんぼくのこと残したい」
「今まで噛み付いてきたのも、好きだから?」
「うん。おじさん、優しいから好き。怖いことしない。いっぱい気持ちいい、し、好き」
「……今まで嫌とか一回も言わなかったのも?」
「おじさん優しいから」
ひどくわかりにくい。甘え方なのだろうか、この噛み癖は。まるで動物の赤ちゃんだ。
ただ見つめ返してきていたウキョウの目が、一緒に暮らし始めて初めて揺れた。
「ぼく、いつも上手にできない。好きだから噛み付きたいのに、みんな嫌だって言う。おじさんも、ぼくがきらい?」
顔をくしゃくしゃにしてぐずりはじめた。初めて見る感情の大きな揺れ。
「うまくできなくて、それで捨てられて公園にいたの」
こくり、と頷く。
「ぼく行くとこないから。うるさいって言われて静かにしたし、邪魔って言われてじっとしたし、いろいろ直したけど、噛み付いたら嫌だって言われて、次の日にポイって、簡単に」
たくさんがんばったのに、と幼い子のように泣きじゃくる。この年になるまであまり子どもなどと接したことがないので、かなり戸惑った。
とりあえずまた抱きしめ、背中をなでる。
「おじさん、捨てないで」
しゃくりあげながら言う。
愛しい、と思った。
こんなただのおじさんにしがみついて、捨てないで、と泣く。特別優しく甘やかしたわけでもないのに。
もっと優しく甘やかしたらどうなるのだろう。
「ウキョウ、この年齢の男の愛し方は重いよ?」
一生、離さない。その言葉はかろうじて飲み込んだけれど、即座に頷いたから思わず笑った。
「俺もねえ、ウキョウがすきだよ」
お風呂から上がって、少し話した。
ご飯はきちんと食べること、噛み付いてもいいから見えないところにすること、どこにでも自由に行っていいけど必ず家へ帰ること。
でもどうしても、先に寝ていることは嫌だという。
「冷たい布団嫌い。絶対嫌」
「そうかー」
「ソファで寝る」
「うーん……わかった。きちんと寝てね」
「うん」
「ウキョウはなんかないの。要望」
「要望」
難しい顔で少し黙り、それから口を開いた。
「……近くにいてもいい? 家にいるとき」
かわいすぎてなにもいうことができなくて、ソファから床へ崩れ落ちたくなってしまった。
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