「はい加賀です。お疲れ様です」
「加賀くん? 右京くんは無事に帰ったかい」
「そこにいますけど……どうかしたんですか」
「実は、鈴彦くんが駅の階段から落ちてしまってね。ああ、別に怪我自体は大したことないんだよ。ちょっと足と肩をやってしまって、頭をぶつけたくらいだ」
「いや、大事じゃないですか」
「今は入院手続きをしているところで、鈴彦くんは眠っているんだけど、看護師さんが言うにはずっと『右京』と繰り返していたそうで……気になってね」
「なぜ、でしょうか」
「さあ。目を覚ましたら聞けるだろうけど、まだ、だから。もし目が覚めて理由を聞けたら聞いてみるよ」
「わかりました。ありがとうございます。何かできることがあればお手伝いしますので、本当にあの、遠慮なさらずに」
「ありがとう。そうさせて貰うよ。夜にすまなかったね」
「いいえ、お大事になさってください」
「うん。じゃ、また」
「はい、失礼します」


 心配そうな顔で近くに来ていた右京の頭を撫で、どう切り出すべきか迷った。大切な友だちが怪我をしたと聞いたら、動揺しないはずがない。
 とりあえずソファへと誘導し、肩を抱いて密着する。そして「実は」と切り出した。しかし右京の動揺は、加賀が思っていた物よりもずっと大きかった。顔を青みがからせ、目はうろうろと困ったように揺れて涙ぐむ。


「右京、何かあったんじゃないの。本当に何もないんだったら、今俺の目を見て何もないって言って」


 両頬を両手で挟み、上を向かせて尋ねる。すると右京は、物がなくなるのだ、と言った。相手も目的もわからない、けれど物がなくなる。もしかしたらその相手が鈴彦をどうにかしたのかもしれない。と。


「前にもあったんだ。先輩なんだけど、同級生に追いかけ回されて怪我させられたような事件。学校は勉強ばっかりでストレスが溜まるから、ときどき妙な具合に爆発するみたいで」
「そうなんだ」
「どうしよう、鈴ちゃん、ぼくのせいで怪我したんだ……どうしよう、ぼくが、もっと早くなんとかしようとしてたらよかったのに」


 右京の大きな目が悲しみで溢れる。流れた雫が、加賀の手を伝った。
 そうは言えない、とは言えなかった。特に恋愛妄想から飛躍することはよくある。右京と仲の良い鈴彦に対して排除を考えることも、自然だ。恋愛感情に似たものを持っていたらの話だが。

 ふつりふつりと、腹の底が熱くなる。可愛い右京を怖がらせ悲しませたうえに鈴彦にまで手を出したとなれば、窃盗の上に傷害だ。もはや子どもの事、とは言えない。


「……右京、安心して」


 こんなのすぐ終わるから。
 加賀は泣きじゃくる右京を抱きしめ、そっと囁いた。どの程度、どの期間続いたのかなどもう関係はない。怪我をして傷ついた、その事実だけあれば動ける。
 もう十里木に話すことは決めていた。「右京の私物を盗んだ相手が悪意を持って鈴彦を傷つけたかもしれない」そう知ったなら十里木が黙っていられるはずがない。大切な大切な鈴彦を傷つけられてただで済ませるような人ではないのだ。あの穏やかな表情と温厚な口調の下に隠れている顔がどのようなものであるか、加賀は知っている。
 証拠も残さず、速やかに対処する。自分が手を下すより、ずっと上手に。餅は餅屋という言葉に則り、十里木に対処してもらうことに決めていた。

 右京を宥め、お風呂に入って温まって寝かしつけた加賀は十里木に連絡を取った。鈴彦はまだ目を覚ましていないと言う。
 すべてを洗いざらい話すと、聞いていた十里木の相槌が少しずつ減って、最終的には無言になり。


「……鈴彦くんは、誰かに突き落とされた、と思っていいんだね?」


 いつもよりも更に低い、何かを押し殺しているような声。恐らく、と加賀が告げると、再び上司は無言になった。


「……幸いにも、鈴彦くんが落ちた駅には知り合いがいてね。もう防犯カメラの映像を見せてもらうように頼んであるから、これから行ってくるよ。ああ、加賀くんは明日普通に出勤してくれればいいよ。わたしは明日有休を取るつもりだからよろしく。何かあればメッセージを送ってください」
「わかりました」
「鈴彦くんに手を出したのか……そうか……そうかそうか。こういう手合いにはね、容赦をしてはいけないんだよ。根絶やしにしないと、いつまでも手を伸ばしてくる。右京くんにはもう危害を加えさせない。安心して、と伝えて」
「何かお手伝いすることがあれば言ってください」
「それは、誰に言っているのかな」


 低い声は、小さく嗤う。


「俺ひとりで十分だよ」


 十里木直は言い切って「おやすみ」と電話を切った。久しぶりに上司らしい上司の声を聞いた。
 中途半端に手を出すと十里木に叱られる気がして、とりあえず右京と鈴彦のケアに回ろうと思った。右京が傷つけば鈴彦が気にする。鈴彦に何か残れば右京が気にする。出来る限りのことをしていこうと思った。


 それから三日後、有休を使った十里木は実に晴れやかな顔で仕事場にやってきた。周りから「リフレッシュできたみたいですね」と声を掛けられ「実に良い休みだったよ」と応じる顔は普段となんら変わらない。

 右京の物に手を出し、鈴彦を突き落としたのは一学年上の男子生徒だった。右京が好きですきで、一方的に鈴彦に嫉妬をした。持ち物は自らの欲望を満たすために盗み、自室に保管してあって取り出しては好きなように使用していたらしい。右京の写真があったり、想いを綴ったノートがあったり。もし右京がこのまま振り向いてくれなければ実力行使に出るつもりでロープやらスタンガンやらを準備していたそうだ。
 あらゆるものは処分した。心配いらない。
 そう十里木から連絡が来た。証拠写真もきっちりと。しかし当人をどうしたのか尋ねても笑顔で「深く後悔していたから、来世でやり直すんじゃないかな」としか言わなかった。

 右京は翌日、目を覚ました鈴彦に会って泣きながら謝った。しかし鈴彦は「お前が悪いんじゃねーから」と言って右京に抱きしめられていた。
 意外と頑強な身体をしているらしく、肩足は打撲程度で頭も異常なしという結果だったので、十里木が仕事復帰したのと同日には退院し、普通に学校へ来た。


「うきょー、もう大丈夫だから心配すんな」
「やだ、今度はぼくが鈴ちゃん送る」
「大丈夫だって」


 しばらくは右京が鈴彦をホームで見送る事が続いた。鈴彦は苦笑いしながら、それでも少し嬉しそうだった。

 あれから私物が失くなることは、一切ない。


「急に止まった」


 そう不思議そうに報告してきた右京に「良かったね」と言った加賀。
 ベストの対処をしたと思いながら、右京を抱き寄せてキスをした。自分で手を下すばかりが方法ではない。

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