少し悲しいかもしれないお話です注意。





 自分で作ったおつまみを肴にお酒を飲むおじさん。午前まで仕事をして帰宅してお風呂に入って着替え、四時ごろからだらだらぼちぼち飲み続けている。その向かいでぼくはお勉強中。来週早々試験があるからだ。一か月に一度の到達度試験に赤点があったら退学処分になることもあるらしい。よく知らないけれど。

 休憩するたびに、おじさんの目が変わって行く。最初はしっかりしていたのに、二時間ほど経った六時の今はふにゃりふにゃりすっかり眠そうな目だ。
 それでもしっかり晩御飯は作ってくれて、お酒を飲み始めたころから気長に煮込んだソースを使ったハヤシライスをもぐもぐ食べているぼくをにこにこ笑いながら見ている。


「右京は可愛いね。いっぱい食べていい子」
「……おじさん、酔ってる?」
「酔ってないよー」
「……なんか目がふらふらしてるけど」
「気のせいーかも? あ、どうだろう、酔ってるかも」


 これは酔っているな。
 おじさんが酔うのは初めて見た。ときどきお酒を飲んでいるけれど、こんな風になっているところは見たことが無い。今日は朝から少し妙だ。いつもと違う時計を昨晩出してきたのにいつもと同じ時計をしていきそうだったり、身支度をぎりぎりまでしなかったり、見送りはいいからってわざわざぼくがトイレにいる間に出勤して行ってしまったり。

 今はワインを注いだグラスを持ったまま、なんか妙な具合に左右に振れている。


「……もう、飲むのやめたほうが良いよ」


 カウンターには空になった一升瓶や外国のビール瓶、ワインボトルやウイスキーボトルが整然と並んでいる。それから使用済みのグラスが数種類。普段はこんな飲み方をしないのに今日は一体どうしたのだろう。


「仕事で何かあった?」
「何もないんだけどね。なんとなく飲みたい気分でねー」


 語尾が伸びて消える。自分でもまずいと思ったのか、グラスを置いて冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出してきた。それをごくごく飲む。
 ふわふわした目でぼくを見て、ふうと溜息。腕を伸ばして頭を撫でて笑う。


「右京はいい子だね」
「いい子かな」
「いい子だよ。俺の心配してくれて、嬉しい。ありがとう」
「当たり前だと思うけど」
「そうかな。でも嬉しい。ありがとね」


 ぼくにはよくわからないけれど、なんとなく何かあったのではないか、と思った。
 そのうちおじさんはテーブルに伏して寝てしまい、そんな姿を見たのも初めて。
 寝室に行って毛布を持ってこようと通りすがったウォークインクローゼットのドアが少し開いていて、不思議に思って顔を上げ、気付いた。玄関のコート掛けのところに黒いスーツがカバーに入ったまま掛けられている。どう見ても、喪服だ。
 リビングのドアを振り返る。開けたままのそこからはおじさんの背中が見えた。
 誰かが亡くなったのだろうか。おじさんに、あんな風にお酒を飲ませるような人が。そういえば飲んでいたお酒の銘柄はどれも良い物で、時代も結構古かったり、多分当たり年と言われるような年代のものが多かったように思う。そういうのに頓着しない人だから珍しいと思ったのだけれど、そういうことをおじさんに教えた人、なのだろうか。

 一瞬鈴彦のとこの十里木さんが浮かんで、でもなんだか違うような気がした。
 毛布を持ってきて、おじさんの肩に掛ける。
 元通り向かいに座り、鈴彦にメッセージを送信した。「十里木さん、今日喪服着てた?」と。するとすぐに返信が来た。
「午前中な。珍しいよな、午前中の葬式。なんかわかんないけど偉い人が亡くなったらしー」
 その偉い人が、おじさんにとって特別な人だったのかもしれない。「ありがとう」と返信をして、おじさんを見た。
 髪をそっと撫で、上半身を乗り出して口づける。
 悲しい時は、笑わなくてもいいのに。寂しいって言っていいのに。

 ぼくがおとなだったら、おじさんはそう言ってぼくの前で泣いてくれただろうか。こういう理由で悲しいんだ、って、言ってくれただろうか。

 でもぼくは子どもだから、こうやっておじさんに触れることしかできない。そしてぼくのときも悲しんでくれるのかな。なんて、変なことしか考えられないんだ。ごめんねおじさん。

 瓶は触らず、グラスだけ洗った。
 それから勉強の続きをして、きりのいいところでお風呂に入って、寝る支度をして、リビングの照明を消える一歩手前のオレンジ色にして、おじさんの肩をそっと揺さぶる。


「おじさん、寝るならベッド行こ。身体痛くなるよ」
「んー……」


 もぞもぞ、身体を起こしたから肩から毛布が滑り落ちる。拾う前に、ぎゅっと抱きしめられて動けなくなった。おじさんは座ったままぼくを抱きしめ、お腹の辺りに顔を埋めている。
 頭を撫でた。


「……右京」
「何? おじさん」
「うきょう」
「うん」
「呼んだら答えてくれるって、尊いね」
「……そうかも」
「今日、すごく思った」
「そうなんだ」


 それだけしか言うことができなかった。おじさんがぽつりぽつり漏らす言葉に対して、ぼくは何も言ってあげられないでただ相槌を打つことしかできない。そのうち完全に黙ってしまって、今度はその肩を撫でてあげることしかできなくなってしまった。小刻みに震える肩を。

 おとなが傷つくと、深いんだよ。と佐々木さんが以前言っていたのを思い出す。かといって子どもが浅いって言う話じゃないんだけどね。と言っていた。
 深い傷はどの辺りにあるんだろう。いや、例えそれに手が届いたとしても、ぼくができることは、きっとない。

 しばらくしておじさんは、ふうと溜息をついた。薄暗い部屋の中で立ち上がり、今度はぼくを抱きしめてくれる。


「好きだよ、右京」
「ぼくもおじさんがすきだよ」
「うん、ありがとう。ごめんね、情けなくて」
「ううん」


 頭のてっぺんあたりに口づけられ頬にも口づけられて、手を引かれてリビングのドアをくぐる。手を伸ばして灯りを消すと廊下も何もわからないような真っ暗になった。でもおじさんはしっかり歩いていて、ぼくはただそれに着いて行く。


 翌日のおじさんは起きてきたぼくをリビングで迎えて、少し照れくさそうに「おはよう」と言った。ぼくはいつものように「おはようおじさん」と返した。

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