「右京、おはよう」


 まだ寝ぼけていてふわふわしたままおじさんに抱きしめられた。素肌に触れるシャツの感触が心地いい。挨拶をしようとしてもただふにゃふにゃするばかりのぼく。それから少しうとうとし、短い夢を見て今度こそ目が覚めた。


「……おはよう」
「おはよう」


 額に口づけられ、髪を撫でられてほっとする。こんなに穏やかな朝は久しぶりのような気がした。おじさんが忙しかったからだ。ぼくが家出騒動を起こして解決した直後からしばらく出張に行ったり家に帰って来なかったり。
 昨日ようやく全てが終わったと言ってよれよれと帰ってきて、お風呂に入って遊びみたいに触れ合って、寝た。昨日が金曜日でよかった。今日は特にすることもない。
 思うままおじさんに擦り寄り抱きしめられて、何をしようか話し合う。


「どうしようね。いい天気だし、どこか山とか丘を歩くのもいいかもしれない」
「お弁当」
「うん」


 けれど顔を見ると、なんだかいつもより疲れが残っているような気がした。よほど忙しかったのだろう。じゃあ近場で何か。
 いろいろ考えていたら、おじさんの背後から軽快な着信音が聞こえた。携帯電話だ。のっそりとそちらへ寝返りを打ち、耳に当てる。


「もしもし、お疲れ様です。加賀です」


 背中にくっつき、ふんふんする。石鹸の匂いがして、なんだかほっとした。こうやって温かなおじさんの感触が一番いい。


「わかりました、午後二時ですね。お待ちしています。失礼します」


 電話を切ってゆっくり身体を起こす。
 お待ちしています、ってことは誰か来るのかな。敬語だったから、この前のお友だちではないだろうけれど。あの人は少し怖くて、なんだか苦手になってしまった。
 おじさんはぼくを見下ろし、また髪を撫でる。


「十里木さんが、確認したいことがあるから帰りがけに寄るって」
「十里木さん……って、あの? 上司の?」
「うん」


 壁に掛かっている時計を見ると、十一時。二時まではまだ少しある。
 一応掃除をして、あ、洗濯。ご飯。


「洗濯と掃除とご飯だね。何食べようか」


 と言うおじさんを、押し倒す。全裸なのでまるでそういうことがしたいみたいになってしまった。と気付いたのは、驚いたような顔をしながらもするりとぼくの腰を撫で上げてきたとき。


「右京、まだしたいの?」
「ちが、そうじゃなくて」
「しよっか」
「違うってば。おじさんは寝てていいから、って言おうと思っただけ。何もしないでいい」
「え、でも」
「いいの。そんな顔してるおじさんがうろうろしてたら心配になるから」



 俺、そんなに変な顔してる? と言いながら顔にぺたぺた触る。疲れている自覚がないのが一番怖い。そういうところを超え、過労に繋がるのだ。


「おじさんはお休み。ぼくがやる。もう少し寝て、もし疲れが取れたら手伝って」
「……わかった。ありがと。ごめんね」


 無理をするより休んでもらったほうがずっといい。おじさんの上を下りて裸のまま部屋に行き、服を着た。普段から掃除をきちんとしているので、そこまで気合を入れる必要もない。洗濯は洗濯機任せで干すだけだし、料理も重たいものを作るわけじゃないからささっとできてしまう。
 休みのときや遅出のときはいつもやってくれたけれど、今回は。その代わり次回頑張ってもらうつもりでいる。

 掃除をしてから寝室を覗き込むと、ぼくの枕を抱えておじさんが寝ていた。

 キッチンに行って食パンを厚く切り、トースターに入れる。きゅうりとハムとレタスを用意してフライパンにバターを溶かし、卵を割り入れ。この焼ける音、結構好き。黄身まで固めに裏表焼いて塩と胡椒と花椒少々をふる。火を止めて焼けたたまごの上にチーズを乗せ、蓋。
 パンをお皿に出して全部一緒に挟む。簡単。ツナマヨ胡椒たっぷりも作って、また別に焼いたパンに挟んだ。
 これでおじさんが起きてきてすぐ食べられる。

 移動して洗面所。洗濯物を籠に入れ、洗濯機横のベランダへ繋がるドアを開けて外に出た。
 快晴、暖かいからすっきり乾きそうだ。てきぱき干して行く。おじさんの物ばかり。
 ……おじさんのワイシャツやパンツを見るだけで胸がキュンとするのは重症だろうか。一枚くらい拝借してもわからないんだろうな、と、思うことがときどきある。でもばれたときが恥ずかしいだろうし。

 干し終え、並ぶ洗濯物を見上げながらモヤモヤ考えていたら、後ろから抱き締められた。


「うきょーありがとー」


 すりすり、髪に頬擦りしてくるおじさん。
 顔を見ると、先ほどよりもずっと良かった。やはり寝かせてみてよかった。一時間でもかなり変わるのだ。
 ちゅ、とキスをして、正面から抱き締めてもらう。体温のない布より、やっぱりこの厚みに敵うものはない。好き。


「そろそろ来るかな」


 白いVネックの七分袖に黒のパンツというとてもシンプルな恰好でおじさんはソファに座ってのんびり言った。ぼくのほうがずっとそわそわしている。だっておじさんの上司だ。
 そんなぼくを笑い、名前を呼んで隣へ座らせた。


「大丈夫だよ、怖い人じゃないから」


 十里木、というからには、クラスメイトで後ろの席の鈴彦と何か関係がありそう。それにしても上司。緊張する。

 そしてその人がやってきた。
 ぼくはどうしたらいいのかわからなくてキッチンでお湯を沸かしていたので、顔を上げたらその人がいてびっくり。対面式キッチンのカウンター部分からこちらを見ている。


「こんにちは」


 ライトグレーのスーツをスマートに着こなし、優しく笑う男の人。背が高く、首を反らさなければならないくらい。


「こんにちは……」
「そうか、君がね。予想をはるかに超える可愛らしさで驚いたなぁ」


 お腹に響くような低い声とそれがぴったり似合う渋い男前。痩せ気味で、灰色の髪を柔らかく撫でつけている。目は大きく二重、薄い茶色の瞳、鼻がすっと高くて唇が薄い。その全身を包むような自信は過去に裏打ちされているのだろう。なんというか、どっしり落ち着いている。


「俺が一緒に暮らしている右京です。右に京都の京で、右京」


 おじさんが紹介してくれたので、頭を下げる。すると十里木さんは一層笑みを深くした。


「右京くんか。素敵だね。わたしは十里木直です、よろしく。おいで」


 最後の「おいで」は、十里木さんがリビングの外に向かって言った。
 そこからおずおず入って来たのは――いつもは制服姿で後ろにいて、あれやこれややり取りをしているクラスメイト。今日は当然私服姿。


「うきょーの声がしたと思ったんだよ」


 顔が赤い。なぜだか妙に恥ずかしそうな様子。普段制服姿で教室でしか会わないから、だろうか。照れくさいのかもしれない。


「やっぱり。十里木さんって聞いたときからそうかなって思ってた」
「ふたりは知り合い?」


 驚いたように目を瞬かせる十里木さん。鈴彦にクラスメイト、と言われ、ぼくと鈴彦を交互に見、ふわりと微笑んだ。


「そっか。君が噂の、前の席の秀才くん」
「右京、秀才なの?」
「成績だけはめちゃくちゃいいんですよ」


 鈴彦の言葉を聞き、凄いねとぼくを見つめるおじさん。頬を染めると十里木さんに可愛いと言われ、なんだかまた照れてしまった。


「わたしの大切な子の十里木鈴彦です。こちらが、いつも美味しい物をくれる加賀陵司さんだよ」
「はっ! いつもお世話になってます」


 目を輝かせ、おじさんに向かってぺこりと頭を下げる鈴彦。おじさんが差し入れをすると言って買っていたお菓子はいつもそちらに流れていたのか。それにしても嬉しそう。かわいい。
 四人でダイニングテーブルに着き、焼き菓子を出して緑茶を出して改めて顔を見合った。おじさんの隣に十里木さん、おじさんの前に鈴彦、十里木さんの前にぼく。なんだか面接みたいだ。隣を見ると鈴彦も、なんだかいつもより肩が上がっていた。


「鈴彦くん。可愛いですね」
「いや右京くんもかなり」


 なぜか互いに褒め合い始めた。目の前でされるとどういう顔をしたらいいかわからなくなる。


「鈴ちゃん、十里木さんかっこいいね」
「はっ? 別にかっこよくねーよただのオッサン」
「そうかな。優しそうだし、顔もきれいだし」
「優しい!? 全然優しくねーから。ちょー性格悪いぞ」
「え、そうなの」
「すっげー」


 ちらりと見ると、おじさんと十里木さんがこちらを見てにこにこしている。笑ってんじゃねーよ直、と鈴彦が悪態をつくが、十里木さんは怯むことなく一層笑みを深める。それがにこにこよりでれでれといった感じで、その顔のままおじさんの方を向いた。


「この一生懸命毛を逆立てているような様子がたまらなくかわいくてね」
「何言ってんだばか! へ、変なこと言ってんじゃねーよ!」


 あわあわ、慌てた様子で言う。しかし言えば言うほど十里木さんは甘ったるい顔。

 おじさんを見ると真っ赤になっている鈴彦を目を細めて見ていて、ああこれは可愛いと思っている顔だな、とすぐにわかった。
 鈴彦は三白眼で、結構目つきが鋭い。顔つきは凛々しい方で背もぼくより結構大きいから、今までは可愛いというよりかっこいいと思っていたのだけれど、確かにこうして激しく赤面している様子はなかなか良い。


「なんでうきょーまでにやにやしてんだよお」


 困ったような顔で、あああ、と顔を覆ってしまった。


「ごめんね、虐めすぎたかな」
「別に負けたわけじゃねーぞばか」


 機嫌を取るように言った十里木さんに、弱弱しい声で応じる。隣から手を伸ばして膝をさすると、ばかあ、ともう一度言った。


「右京くんはお人形さんみたいだね」
「きれいでしょう」


 なぜかきらりと光るおじさんの目。きれいだなんて、とんでもない。


「いえ、あの、無表情で気持ちが悪いとよく言われます」
「そうかな、ミステリアスでいいと思うけど。それを崩せたら、って、なんとなく考えちゃうよね」


 若いころからこの人はきっと相当遊んでいるだろう。話し方に嫌味がなく爽やかで相当モテたはずだ。今は鈴彦ひとりなのだろうか。それともまだまだ現役なのだろうか。今度鈴彦とふたりきりのときに突っ込んでみよう。


「さて加賀くん、この書類なんだけど」
「あ、はい」
「ぼくの部屋に行こう、鈴ちゃん」


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