明日はバレンタインだから右京に何かやってあげたい。何が良いかと首をひねっていたが、結果的にありきたりなことにすると決めた。

 周りに喧嘩を売るつもりで半日有給申請表へ明日の日付を記入する。理由はパートナーを喜ばせるため、と堂々と。

 メールに添付し送信して五分も経たないうちに上司から呼び出し。ロマンスグレーの渋くダンディーな彼はあらゆる方面から人気の柔らか笑顔で机から何かを取り出し、俺の手のひらに滑り込ませながら硬い握手をかわしてきた。


「気張りなさい」


 深みのある低音でたった一言。
 怒られるかと思ったけれどそんなことは一切なかった。一体何をくれたんだろう。薄いそれを、手のひらを開いて確認する。
 高級な包装をされた正方形手のひらサイズのチョコレートかと思ったが、違う。これはコンドームだ。
 上司を振り返るとナイスミドルな笑顔で電話応対中。なぜデスクに入れているのかわからなかったが、あの人にも色々ありそうである。

 上司の計らいで定時に仕事を終え、その足でチョコレート専門店へ向かった。以前右京にあげ、喜ばれたショコラティエのバレンタイン当日発表予定の新作を前々から予約している。
 高級ホテルのエントランスのような店内に足を踏み入れるとすっかり顔なじみとなった女性スタッフが対応してくれた。


「加賀様、本日は何をお求めですか」
「明日の受け取りの確認と、食後すぐでも食べられるようなものを探しに」
「少々お待ちくださいませ」


 備え付けのソファに腰掛け、店内を見渡す。意外と人がいない。明日の準備は皆終わったということか。


「加賀様、お待たせいたしました。まず明日の確認ですが、お受け取りは午後三時でよろしいですか」
「よろしくお願いします」
「承知致しました。それからこちらがお求めのものに近いと思われるチョコレートです」


 銀のトレイに盛られた、miniSDカードほどの長方形のチョコレート。産地などの説明を受けつつ、ひとつひとつ割りながら試す。


「あ、これおいしい。いつものようにしてください」
「承知致しました」


 クレジットカードを渡しサインをして、また少し待つ。その間、わずかに客が増えた。学校仕事帰りと思しき女性が、真剣に棚のチョコを見比べている。どんな内容が頭に浮かんでいるにせよそれは見えないので、素敵な横顔だ、と感想を持つ。どうして店で選び物をしている人は綺麗に素敵に見えるのだろう。


「お待たせ致しました」
「ありがとう」
「また明日、お待ちしております」


 店の外まで見送られ、車に乗って家に帰る。駐車場に入る前に外の道から見上げると、部屋にはきちんと電気が点いていた。何度見ても嬉しくなって笑ってしまう光景。


「ただいま」


 優しい我が家。暗い廊下に電気を点け、靴を脱ぐ。右京が不思議そうに、正面のドアから顔を覗かせた。


「……おじさん? お帰りなさい。早いね……?」
「ただいま。仕事が早く終わったから」
「そうなんだ」


 近付いてきて、抱きついてくる。抱きしめたらとても温かかった。早く帰ってきて良かった。右京がこんなに嬉しそう。


「……でも、よくよく考えるとね」
「?」


 部屋着に着替え、ビーフシチューとチーズフォカッチャ、タコのマリネサラダの夕食を食べながら右京の顔を見る。こうして差し向かいで夕飯も随分久しぶりだ。


「早く帰ってくるだけで喜んでくれる、って、いっつも遅すぎるんだよね。すみません」
「ううん、慣れたから」


 慣れたから、が、また突き刺さる。うっ、と呻くと右京が笑った。


「遅くまで仕事してるの、心配にはなるけど憎くはならないよ。それがおじさんの仕事だし、働いてる姿は見たことはないけど、見送るときはいつもかっこいいと思ってるから。スーツ姿。これでお仕事してるんだな、って」
「……右京」
「それよりもおじさんの仕事が聞きたいけどね。内容じゃなく、職業が」


 ふぅふぅして冷ましながら食べる姿がとてもかわいい。猫目で猫舌なんて、本当に猫なのではないか。この愛らしさ。


「気になる?」
「気になるよ。ゼロがちょっと多めについたお金が毎月生活費で振り込まれてるんだから」
「足りない?」
「……おじさん、反社会的な感じの悪いこととかしてないよね?」


 真剣に聞いてくるのが面白く、スプーンを置いて笑う。あまりに笑われたからか右京は唇を尖らせ、黙々とあれこれ口に運んでいた。


「はぁ……ごめんね」


 ぷい、と、明らかに無視された。やっぱり猫みたいだ。可愛らしい反応に自然とにまにましてしまう。

 いやいやにやついていないで明日の作戦に向けて動き出さねばならない。なるべくキリッとした顔を作り、右京、と改めて名前を呼ぶ。


「明日なんだけど、ごめんね。仕事で遅くなっちゃうかもしれないから先にバレンタインのチョコレート、渡しておく」
「……明日、帰り早いんじゃないの」
「本当にごめんね」
「わかった。ありがと、おじさん」


 丁寧にラッピングされたチョコレートの箱は開けられないまま、テーブルの上に置かれっぱなしだった。明らかに寂しそうに夕飯を食べ、口数が減った右京に心が痛む。
 明日の夜は豪勢な夕飯を考えていてくれたに違いない。計画をなしにして嘘だよごめんねと言ってしまいたい。
 これで明日外したら俺は終わりだ。背筋が寒くなるような危機感。

 どことなくしょんぼりした右京とベッドに入り、抱きしめる。


「右京、ごめんね」


 いろいろな意味で。
 ううん、と小さな声で答えた右京とキスを交わし、その夜は静かに眠った。



 翌日。
 普通に身支度をして家を出た俺。午後から有休を取っているので、それまでは普段通りバリバリ仕事――の合間に、様々な同僚先輩後輩から山ほどお菓子やらプレゼントやらをいただいた。中には貰ってもいいのか疑うほど高級なブランド品もあって少々困惑。とりあえず来月頑張ってお返しします。
 山盛りの紙袋を横に決意しつつ、二時に退席して車に乗り込む。

 まずは買い物をしなければ。それからグラスを取りに行って、チョコレートを取りに行って……。

 いろいろ寄り道をしてからチョコレートを受け取り、マンションに帰る。時間は三時半。
 部屋に入ると室内は静かだった。やはり右京は出かけている。いつもだいたいこの時間に買い物に出掛けているからと賭けた甲斐があった。

 しかし右京がいなければこんなに寂しいのか。ずっとひとりで暮らしていたのに他人の部屋のようだ。

 寂しさを振り払うよう、さっさとテーブル周りを整える。
 チョコレート色のマットを敷いて銀のカトラリーを揃え、先ほど右京のために買ってきたガラスのグラスを箱から出す。表面にカットがかけられ、角度によって模様が変わる不思議な細工がされている。右京も見るたび可愛らしい表情をたくさん見せてくれるからぴったりだ。

 以前右京もこういう食事周りの用意をしてくれた。同じ、とは芸がないが、それだけ嬉しかったことが伝わったら良いのだが。

 テーブル周りを終えてからキッチンで夕飯の準備をする。牛肉のブロックをオリーブオイルとにんにく、バターで短時間表面のみをロースト、冷ましながらクレソンを醤油とオイルで和えて付け合せのサラダを作る。芋を茹でて粉吹にし、そこにパセリを散らして塩コショウで味を整えた。
 深い鍋でパスタを茹で、まだ肉の旨味が残るフライパンに麺を入れて炒めながら茹で汁を少し混ぜて生のトマトと合わせ、塩味のトマトパスタ。

 五時になり、玄関が開く音。素晴らしいタイミング。匂いで気付いたのか、急ぎ足の足音の後にリビングのドアが勢い良く開いた。


「お帰り、右京」
「……今日、遅いって」
「うん。ごめんね? 嘘ついちゃった」
「おじさん……」
「ごめんね」


 椅子を引いて座らせ、頭を撫でる。


「……今日もひとり、って思ってた……」
「今回は、って思ってたんだ。右京はいい子で優しいから、寂しいって言わないでしょ。いつもありがとね、家で待っててくれて凄く嬉しい。愛してるよ」


 うん、と頷いた右京は泣きそうに目を赤くしたけれど泣かなかった。我慢しているようだ。その様子が可愛くて抱きしめてから夕飯を並べる。一皿にまとめた肉料理はどうやら喜んでもらえたらしい。


「おじさん、このグラスすごいきれい……」


 アルコール抜きのシャンパンを注いだグラスはきらきら光って、様々な角度から右京に見られて照れたように中身の泡が弾ける。その無邪気な表情にこちらも笑ってしまい、実に癒やされる。


「右京は可愛いな」


 しみじみつぶやいた声はどうやら耳に届かなかったらしい。
 夕飯を終え、一緒に片付けをしてチョコレートの箱を差し出した。昨日のものよりいくらか小さく長細い。


「……わ、きれい」


 箱の中に規則正しく並んだ、はっきりした色合いの艶コーティングがされたチョーク型のチョコレートたち。赤や青や黄色、カラークレパスのようだ。実際にモチーフにして作られたらしい。


「色ごとに風味が違うんだって。何がいい?」
「んー……赤」


 指で赤のチョコレートをつまみ、差し出す。唇で挟んで食べた右京は目をキラキラ輝かせて俺を見た。


「りんごの味がする。おいしい」
「赤はりんごか。青は……ぶどう。へえ……」


 色ごとに味があるのだ。黄色はゆず。
 しかしそれはすぐに差し出さず、持ったまま右京を招く。


「おいで、右京」


 唇に挟んで上を向く。立ち上がってこちらに来た右京は、俺の肩に手を掛けてチョコの端に噛みついた。ぱき、と割られて真ん中から折れてしまったけれど気にせずそのまま後頭部を引き寄せて口づけを。
 柔らかな唇から甘い味とゆずの香りが漂う。舌を差し入れ、奔放に舐め回してチョコを溶かすように絡ませる。


「……もっと欲しい?」
「チョコレートより、おじさんがいい」


 最近こういうことをしていなかったからか、目元を赤くして言う。頬を撫でると撫でた手を取られて指先を噛まれた。
 久しぶりに覚えたその歯の感触が、肌に欲しくてたまらなくなってしまった。


「右京」
「なに?」
「……いっぱい、噛み付いてね」
「いいの?」
「いいよ」


 ……そう言ったのを後悔することはなかったけれど、ようやくできるようになった腕まくりが再びできなくなってしまった。
 更にもうすぐ健康診断があり、X線やら採血やら内科検診やらしなければならない事態があったことを、歯型だらけの腕をさすりながら見た通知メールで思い出した。
 欲望で突っ走るのはなかなか危険だ。

 上司にもらったうすーいチョコレートもどきはしっかり利用させていただきました。
 使い心地がなかなかよく、インターネットで検索して箱買いしましたと上司にメッセージを出したところ「わたしもこれが一番好きだよ。うちのかわいい男の子にも評判がいいしね」とまさかの返信があった。
 あのナイスミドルに愛されている男子、少々気になるところだ。
 お礼を込めてチョコレートをプレゼントしたら「うちの子といただくよ」と微笑まれた。

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