頭が痛い、喉が痛い、あちこちがずきずきする。目を開けるとぼんやり明るい部屋の天井。寝室だ。
自分だけの体温しかなくて冷たいベッドが嫌で身体を引きずり、リビングへ行く。いつものようにソファに丸くなると安心した。
ここにいればおじさんが帰ってきてくれるはずだ。大好きな体温が恋しい。いつもひとりのときに感じない部屋の静けさが今日は妙に気になる。胸が押しつぶされるような寂しさを感じた。
息ができない。
目の奥が熱い。
ぼんやりと視界がにじむ。急に悲しくなる。どうして?
ひとりだから?
わけのわからない気持ちに振り回される。
身体を横にして膝を抱えた。身体を縮めて目を閉じる。
おじさん、早く帰ってきて。
寂しい。悲しい。怖い。
怖い? 何が怖い?
おじさんがいるこの場所に怖いことなんかないはずなのに。
息が引き攣れる。子どもみたいだ。小さなときだってこんなふうに泣いたことはない。
いつも家にひとりだった。
成績だけが関心事で、それについてはわざわざ電話をよこす両親。なのに病気だろうが何だろうが構わない。平気で何日も家を空ける。それぞれ別の家庭をもう持っているから。
胸の中に何か乾いた部分があって、それはアルバイトをして人に触れられても抱かれても変わらなかった。好きだよって言ってくれた人もすぐぼくを邪魔扱いする。ますます乾く。
そしておじさんに出会った。
スーツ姿のかっこいい人だと見かけるたびに思っていた。身長が高く姿勢がよく、優しそうな目元に惹かれる。あんな目が見つめてくれたら幸せな気がして、つい背中を見送った。
あの日。
「君、いつもここにいるね。行くとこないの。家、来る?」
いつも少し遠くに見ていたあの目が注がれた。これがあればどんな扱いを受けてもいられる気がした。
邪魔にならないように嫌われないように。
それだけを考えて暮らしていたけれど噛むのはやめられない。おじさんは怒らず、少し困った顔で笑ってくれた。
おじさんが笑って話しかけてくれるたびに、乾いていた部分に何かが満ちる。ひたひたと満たして、それはやがて言葉になった。「すき」なんていう、短い二文字。
それを伝えて抱きしめられてセックスをして、どこまでも優しいおじさんの眼差しに見つめられて乾きなどもう感じなかったはずだったのに。
今、は、それを久しぶりに感じる。
欲張りだ。おじさんにたくさん貰って、心はまだ足りないなんて叫び出す。抑えようとしてもままならない。
おじさんが好きだよ。世界でいちばん。だから捨てないで。ひとりにされると本当は思う。おじさんも帰ってこない? 無視していた恐怖を見つめると震えるくらい怖い。
おじさん。おじさん。
喉も胸も震える。身体も。
いつの間にか声を上げて泣いていた。
「ウキョウ……?」
髪に優しい体温を感じた。
目を開ける。
おじさんが、こんなに明るい部屋にいた。息を切らしてネクタイを乱して。
「心配になって、たくさんあった有休ねじ込んでもらってきたんだ。どうしたの、どこか痛いの。病院行く?」
心配そうな声、優しい指先が頬を撫でて。
もう止められない涙が派手に溢れる。わんわん泣くのは何度目だろう。おじさんの前ではひどく泣き虫になる。
おじさんはぼくの身体をそっと起こして抱きしめてくれた。肩に顔をうずめて震えながら泣く。スーツを掴んでもまだ怖い。
「た、」
「うん?」
「たすけて、おじさん」
「どうしたの」
「こわい」
「何が怖いの」
「いなくならないで、捨てないで」
「捨てないよ」
「ぼくを見て。ぼく、ここにいるのに」
「うん」
「おじさん」
「大丈夫だよ。俺はウキョウが望んでくれるだけ傍にいるから」
強い力で抱きしめられた。
背中をゆっくり、手のひらが撫でてくれる。
「俺はウキョウだけを見てるよ。帰る場所だってここにしかないし、好きな人が待ってる家以外のどこに帰るの」
おじさんの低い声は柔らかく届いて心を包む。落ち着かなかった何かが、大人しくなるのを感じる。
「ウキョウだけが好きだよ。何が怖いの。俺がずっと傍にいるのに。まあ何もできないおっさんだけど」
首を撫でられ、そっと身体が、少しだけ離れた。優しい目が顔を覗き込む。
「熱のせいで少し不安になっちゃったね。大丈夫だよ。さ、ベッドに行ってもう一回寝よう?」
「やだ」
「今度はずっと傍にいるから」
肩を抱かれてベッドへ戻る。おじさんはスーツから着替えて布団に入った。左腕をついて手のひらへ頭を乗せ、右手でぼくの頭を撫でる。
「ゆっくり寝たら楽になるよ。優しい夢が見られるからね」
いつもより甘い低い声に連れられるように目を閉じると、眠気がすぐにやってきた。
「おじさん……いる?」
「うん。抱いててあげようか」
「うん……」
首の下に腕が差し入れられ、硬い感触を感じる。抱き寄せられてぼくはまるで生まれたてみたいに安心してよく眠った。
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