中国組 | ナノ

親愛的小星星 6


 

陸(ルゥ)





 その当時の維星の目に映る大人は全て悪魔に見えた。好き勝手にこちらの身体を弄ぶ、救いようのない存在。逃げないよう痛みを与え恐怖で支配し、怯え泣き叫び痛みにのたうちまわる様を楽しそうに眺めるのだ。

 夜中に目を覚ますと、身体がじっとりと濡れていた。夢の中でまた、見てしまった。あのときの大人の目を。息がし難いのは夢のせい。ベッドを抜け出し、窓のカーテンを開けて、きれいに磨きこまれたガラスのサッシを横へ滑らせた。深夜にも関わらず庭に、夜警の若い男たちが歩き回っている。
 眠るとき、永進が常に配置してくれているのはドアにふたり、河が裏手に面した庭に五人。それから維星の部屋に続くあらゆる廊下にひとりずつ。昼夜問わず必ず傍に控えている龍は隣の、続きの部屋にいる。ふたつの部屋を繋ぐ細い出入り口には扉の代わりに普段は衝立がしてある。維星は声が出せないので、永進が扉を払ってしまった。何か物音で異変に気付くことができるように。それからベッドと机の上にはいつも鈴が置いてある。

 急に、永進の顔が見たいと強く思った。今まで出会った誰とも異なる、静かで柔らかな瞳で見つめられたい。呼んだら、来てくれるだろうか。

 窓の傍に置いてある電話は一度も使ったことがない。古びた外見のそれは、受話器を持ち上げるだけで永進の書斎に繋がる唯一の直通電話。
 永進の声が聞きたい。あの低い声で、ただ名前を呼んでほしい。
 小さな手で、少々重たい受話器を持ち上げた。


「維星?」


 すぐ聞こえた声に、なぜだか涙がこぼれた。悲しいわけではない。ただ少し怖いだけだ、と思ったのに、それは溢れて止まらない。


「星星、どうかしたのか」


 震える息が出るばかりで答える声はない。
 電話が切れ、空しい電子音が聞こえる。受話器を戻して、ベッドに座った。白い頬を伝う涙はぽとぽと膝へ落ちては寝間着に染みを作る。


「維星」


 ドアが開き、焦ったような様子で永進が入って来た。薄暗がりでもわかるような凛々しい目元に戸惑いを浮かべ、維星の前へ膝をついて目を合わせる。華奢な肩を両手で掴み、それから抱き締めた。


「また嫌な夢でも見たのか」


 腕の中で維星が小さく頷いた。
 維星が見る夢はあの館に囚われている夢。
 永進も時折、あの日の事を夢に見ることがある。
 維星と出会った日の夢だ。



 地方の寒村に似つかわしくない豪華なホテル然とした建物の中で繰り広げられていた、五十人弱の子どもに対する凄惨な扱い。
 身体に傷を負った子ども、身体の一部を失くした子ども、心をなくした子ども。
 狭い部屋に並べられたベッドの上で、床で、地下室の明らかな拷問部屋で、牢のような場所で。家畜のように扱われていたことが一目でわかった。

 我が子が誘拐されたことを嘆く親がこの光景を見たらどう思うだろう。

 永進自らその娼館に向かい、首謀者である誘拐犯を捕えた。その男とその地域一帯を領土としている黒幇とは繋がりがあったからだ。永進が率いる『四號街』に対立する黒幇で、薬と人身売買を主な生業としていた。それで稼いだ金で現地公安と腐った繋がりを持ち、この館のことが外部に漏れないよう便宜を図らせていたのである。

 子どもを利用するのが一番嫌いな永進の手で男の手首は切り落とされ、屋敷の地下へ連れ帰られた。黒幇の人間は全員拉致されて山奥へ。そこで何が行われたかは永進の知らぬこと。同じことをしたのか、なんなのか。ただ、一か月も二か月も悲鳴が聞こえたという。

 維星はその館に隠れていた。他の子どもが、ばらばらの方言を口にしながら永進と部下に縋って助けを求める中、何が起きていたのかわからなくて怖かったのだろう。子どもを外に出し、病院へ連れて行くべく複数台の車に乗せていたらその中のひとり、明らかに年長と思しき少年が呟いたのだ。


「……維星が、いない」
「維星?」


 聞きつけたのは様子を見守っていた龍。少年じみた優しい顔立ちのおかげか、他の部下より子どもに話を聞きやすいようだ。その少年も龍を見上げ、頷く。


「維星っていう、ちょっとちっちゃい子がいないんだ。維星は怖い目にたくさん遭ったから、たくさんの大人の声を聞いて怖くて隠れてるのかもしれない」


 おれ、探しに行く。そう言ってその少年は館へ駆け出した。慌てて龍はその旨を永進に伝え、館に火を掛けるのを辞めさせた。汚らわしいものは焼いてしまうに限る。そう言って部下に火を点けさせる寸前だったのだ。


「まだ子どもがいるのか」
「そのようです」
「……他のは、忙しそうだな。龍はここにいろ。俺が探す」


 子どもの面倒を見たり病院に連絡を取ったり、様々な手続きを踏まなければならない。人数は最小限。多数だと子どもが怯える。あらゆる人間が忙しくしている中、龍を身代りに置いて永進も中へ入った。
 異臭がする。妙な薬を香に混ぜて焚いていたのだろう。あらゆる窓が開け放ってあるというのにまだ充満していて、気分が悪い。顔をしかめながら、物音のする台所の方へ足を伸ばした。
 少年が、床下の収納を覗きこんでいた。他の子と同じく酷く痩せているが、幼さを残した伸びやかな手足は十代半ばであることを示している。


「いたか」
「うわっ! ……おじさん、顔、きれいだけど怖いね」


 他の子どもと異なり、ずいぶん「普通っぽい」少年だった。しかしここで働かせられていただけあり、きれいな顔立ちをしている。その目の大きさと彫りの深さは西方の人間のような雰囲気だ。


「生まれつきだ。俺も手伝う。名前は?」
「維星」
「それがお前の名か」
「おれの名前は陸、探してる子の名前は維星」
「わかった。陸、維星は普段どこにいる?」
「部屋は、四階の奥。でもそこにはいないと思う」
「なぜだ」


 覗きこんでいたのをやめ、陸が立ち上がった。華奢な白い首を反らして永進を見上げる。


「維星は頭が良いんだ。嫌な客の声が聞こえたから会いたくなくて隠れたことが何度かある。一度も見つけられたことはない。ま、あとになって出てきたときに酷い折檻を受けるんだけど」
「なるほど」
「可愛いから、一度にたくさんの客の相手をさせられることが多かった。それが嫌だったんだよ」


 さらりと言うけれど、嫌な内容だ。しかし彼らにとってはそれが日常。とりあえず一階二階は陸という少年に任せて階段で四階まで上がった。


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