中国組 | ナノ

親愛的小星星 2


 

 北方に冬が訪れた。酷いときには零下三十度にもなる、まさに凍てついた季節。
 今日は比較的暖かなほうで、それでも五度にもならない。

 靄漂う、寒い朝の市場に維星の姿があった。
 厚い外套を着込み、首にマフラー、青いマスク、同じ色の毛糸の帽子という姿でトラックから品物を下ろす手伝いをしている。


「坊、悪いね」


 申し訳なさそうに傍らに座っているのは、この場所で毎日野菜や果物を売っている男性。その足には包帯。つい先日、凍った道路で転倒した際に酷い捻挫をしてしまったのである。維星はいつもここで果物を買っていて、捻挫をしていることを知って手伝いに来たのだった。
 男性は最初、維星は「あの」邵永進の関係者、手伝ってもらうなんてとんでもないと思っていた。しかし一生懸命働いてくれる姿を見ていると、単純に可愛い。五日目の今では孫でも見ているかのような心境になっている。

 維星は華奢な割に重い荷物も平気で運ぶ。その運び方は手馴れていて、どうやら以前荷運びをした経験があるようだと男性は見抜いた。
 今は永進のところに住んでいるが、それも長い話ではない。声を失ったことといい、ここに来る前にいろいろなことがあったのだろう。特に嫌なことが多かったに違いない。そう思うと、胸が痛い。

 荷物さえ下ろしてもらえれば、あとは並べて売るだけ。場所はそんなに広くないのでひとりでも大丈夫である。
 心配そうに見上げてくる維星の手を握り、賃金代わりの果物をやる。維星の好きな果物ばかりが入った袋を受け取るといつも嬉しそうに笑う。それがまた可愛らしい。


「ありがとうな、坊。気をつけて帰れよ」


 頷いて手を振り、維星は市場を抜ける。朝の市場にはすでに人がたくさんいる。朝ごはんを食べる子ども連れのお母さん、労働者風のおじさん、開店準備をする人々。
 漂うのは油の匂い、空気の匂い、国営の暖房を稼動させるための石炭の匂い。空気が煤ける時期だ。
 にぎやかな市場を出て、河沿いに歩いて帰る。道端にある家からも様々な匂い。

 ひとりで歩くのは、まだ慣れない。
 どこかから誰かが来てまた攫われるのではないか、と思うからだ。今でも夕方になると、ひとりではだめだ。
 もし誰かが来たら、酷い目に遭う。
 厚い手袋に包まれた指を、知らず知らず喉元にやる。マフラーの下に巻かれた青い布。その下には醜い醜い傷がある。今でも忘れられない、あの笑い声、罵る声、与えられた痛み。毎日働かされて苦しかった頃。まだそんなに前ではないから、余計だ。
 今のこの静かな時間のほうが夢なのではないか。
 目が覚めて、あの地獄のような場所にいるのではないか。
 背中が寒い。気温のせいではなく。足が止まる。ここがどこかわからない。不安が湧き上がってきた。


「維星」


 男の声がした。身体を竦ませる。


「維星?」


 その声は、あの嫌な声ではなかった。静かで凛とした低い音。氷柱みたいに冷たいけれど、本当はとても温かい人の声。
 顔を上げると少し先に、黒い外套を着て襟巻きを巻いた長身の男性の姿があった。軽く首を傾げ、こちらを見ている。
 その顔を見た瞬間、足を掴んでいた恐怖が一瞬怯んだ。駆け寄って、腰に腕を回す。硬い外套に顔を埋めるとすぐに頭を撫でられる。


「どうした」


 首を横に振ってぎゅうぎゅう抱きつく。
 その様子を見て永進は聞くことをやめた。肩を抱き、家の方へ歩き出す。いつもより帰りが遅いから市場までの道をたどってみたら、維星が立ち尽くしていた。何かに怯えるように。
 この明るい場所でも、維星はまだ怖がる。それも当然だろう。こんな、どこにでも当たり前にある景色の中から突然切り離され、非日常的な空間に放り込まれた。
 その間に受けた傷はきっと一生消えない。


「……また果物、くれたのか」


 頷く。袋を受け取ると中には形の良いりんごやみかん、冬棗などがぎっしりと。どうやら市場のおじさんもすっかり維星を可愛がっているらしい。好きな果物ばかりだ。
 どこでも愛される少年。けれどその心の深くはまだまだ硬いまま。ゆっくりゆっくり、浸透させてゆくしかない。どれほど愛される人間なのか知って欲しい。

 家に帰り、服を脱いで丁寧に衣装掛けに掛ける。それから部屋着に着替え、すぐに永進にくっついてきた。抱き上げ、椅子に座って膝の上へ。
 維星はなにもせずにじっとしている。永進と触れ合っている部分からなにかを得ているようにも見え、話しかけないでおいた。ただ撫でて時間を過ごす。

 もうすぐ朝食の時間だ。それまでには、いつものように笑ってくれるだろうか。


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