中国組 | ナノ

親愛的小星星 1


 
 広大な中国大陸には多くの人が暮らし、多数の社会生活が形成されている。活気ある市場、急成長する都市、肥大する生活範囲。その裏には同じほどの黒社会。数多くの黒幇が乱立し、領土と覇権を巡って日夜水面下での争いが行われている。

 その中のひとつである『四號街』は北方を中心に勢力を拡大した老舗黒幇。現トップはまだ若い邵永進という男だ。端正な顔立ちでインターネットを中心に高い人気がある。実際に本人を目の前にするとその目の鋭さと圧倒的な雰囲気に大抵の人間は凍り付いて何もできなくなってしまうが、写真で見る限りは冷ややかさがたまらないとか。
 冷徹な判断力と、裏切った仲間や周りを荒らす人間を容赦なく粛清する冷酷さ。理知的な部分と暴力的な部分を併せ持った、まさに老大である永進。
 広く支配しているが故に一月のほとんどを外出して過ごし、自宅へ帰ることは少なかった。
 しかしここ数か月は主に自宅で過ごしている。その理由は――

 書斎のパソコンで地方を任せている幹部と会談していた永進は、ふと気配を感じた。話を終らせ画面を閉じ、回転式の椅子で振り返る。
 入り口のところに小柄な少年の姿があった。
 顔を覗かせ、こちらをじっと伺っている。


「維星、どうした。来ればいい」


 しかしそこから動かない。ちらちらとパソコンを見て永進を見て、その目の動きでなんとなく言いたいことがわかった。


「心配するな。もう仕事は終わった」


 その一言で顔が輝いた。ぱたぱた走ってきて抱きついてくる。首に回る細い腕の感触はゆったりした民族風の衣装越し。頬に当たる首には薄墨色の布がしっかり巻かれている。
 膝へ抱き上げた身体は軽く、上目遣いで見てくるその顔は実に愛らしいもの。少女めいた、性別のわからない不思議な魅力ある少年である。
 この少年こそが冷酷非情と恐れられる黒老大の唯一にして最も大切な存在、唐維星。
 数か月前にようやく心を通わせた恋人、そして家にいる理由でもある。

 広い肩に頬を寄せて甘えてくる少年の髪に口付け、滑らかな肌を撫でる長い指。


「昼寝は? いいのか」


 先ほど昼ご飯を食べていたはずだ。昼を食べたら昼寝、それはこの国では当然で、家の中も静まり返っている。維星も普段は寝ているはずであるが――しかし首を横に振り、永進の首へちゅっと可愛らしくキスをする。欲望など欠片も見えない子どもじみたそれに笑った。
 こんな風に笑うのも維星の前でだけ。組織の人間には無表情さが恐ろしいと言われているのに、その恐ろしさも愛しい人間の前ではすっかりなりを潜める。

 維星がじっと見つめてきた。それから膝を降り、両手で永進の大きな手を掴んで軽く引っぱる。どうやら外に行きたいらしい。柔らかい表情のままで立ち上がると、維星と永進の身長差は歴然だ。
 引かれるままに廊下へ出て突き当たりのドアから外に出る。途端に冷えた風が身体を叩いた。


「維星、風邪引くぞ」


 維星が身に着けているのは暖かい室内用の薄い服。永進も似たようなものだが。しかしぐいぐい手を引いて、裏庭の古い木戸を開けた。そこにはすぐ大きな河が流れている。海と見紛うような広い河は、初めて見たときから維星の気に入りだ。内陸育ちの少年はまだ海を見たことがない。見せたいと思っているが、家にいても仕事仕事でなかなか思うようにいかない。
 時間を取ってやれないうちに寒くなってしまった。


「冬の河はどうだ。色があまり良くないが――これも好きか」


 こくりと頷く。
 よく晴れた青い空と広い河。流れているのかどうかすらわからない緩やかな動き。維星はわずかに身を乗り出して足元の流れを見つめていた。
 その襟足で、首の布の結び目が緩んでいる。
 そこに手を伸ばすと弾かれたようにすばやい動きで振り返った。大きな目に浮かんでいるのは恐怖、怯えた様子で永進を見る。
 自分で結び目を直そうとして、震えた指のせいでうまくいかなかったらしい。するりと解けた布は強い風に吹かれて遥か離れた水面に落ちた。

 少年の華奢な首には、くっきりと、厚みある刃物でつけられた古い傷痕。右耳の下から左耳の下に至るまで首を半周し、更に乱雑な縫合痕がジグザグに傷の上を走っているため、傷痕を余計残酷なものに見せていた。
 維星の大きな目に、みるみる涙が溜まる。泣いても声を一切出さない。声を持たないからだ。


「維星、大丈夫だ。もうお前に怖いことをするような奴はいない」


 貫くような冷たい風の中、維星を抱きしめる。華奢な身体はかわいそうなほどに震えて、声を出せずに泣くのが余計胸を締め付けた。
 維星は声を失った過程を何も覚えていない。大きな恐怖と衝撃、痛みは子どもの声と記憶を奪うには充分だったのだ。これだけ大きな傷をつけられていながら、器質的には何の問題もない。声を出せないのは心のほうに理由がある。
 声を聴ける日が来るのかどうかはわからない。それでも永進は待っている。大切の人の何もかもが欲しいから。

 名前を呼び、髪を撫でて何度も何度も口付け。大丈夫だと言い聞かせ、あやし続けるとやがて落ち着いようだった。涙を指で拭い取り、腕に抱き上げる。


「俺が守ってやる。どんな奴からもどんな事からも、だ。もう二度とお前が苦しむ事はない」


 涙に濡れた目が永進を見る。きらきらと星のように光る瞳に笑いかけ、低い低い声で囁いた。


「苦しめる奴があったら、八つ裂きにして豚にでもくれてやる。生きているときにはカスやクズでも、なかなか良い餌になるからな」


 お前の首に傷をつけ声を奪いいいように扱っていた、あのゴミのように。とは心の中で言い、黒髪に頬擦りをした。
 親愛的小星星、俺の宝物。

 優しい低音に慰められ、暖かな腕の中で安心して目を閉じる。やがて胸へ頬を寄せ、眠ってしまった。
 すやすや甘い寝息をたてるのを聞き、永進はゆっくりゆっくり部屋へ戻るべく足を踏み出した。


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