中国組 | ナノ

親愛的小星星 9


 省内の会合を終え、家に帰ると門を入ってすぐのところに、若衆やら龍やらが立っていた。囲まれているのは巨木。樹齢何年になるのか、この寒冷地でもたくましく生きているそれを揃って見上げている。


「何してる」


 龍に尋ねると、お帰りなさい、と言ったあとで苦笑いのような表情を浮かべながら上を指差した。


「……維星」


 四方八方に張り出した枝。その中の一本に維星が座っている。


「病院に行くの、黙っていたのですが気付かれてしまって」


 維星に出会ったときも天井裏にいた。どうやら嫌なことがあるとどこか高い場所に行くのが癖のようで、嫌いな病院に行くときや俺が長期の出張に出るときなど、いつも木の上へ行ったり屋根に登ったりして、なかなか下りてこない。困らせるつもりはないようだが、高い場所にいると安心するのだろう。


「小維、下りておいで」


 龍が言っても、首をふるふると横に振って下りてくる気配はない。俺と目が合うとぴくっと反応したけれど、すぐにぷいっと横を向いてしまった。それどころか、軽い身のこなしで更に上の枝へ。かなり高い場所なのだが、危なげなくそこにいる。小柄なのが幸いしているようだ。


「維星、下りてこい」


 俺が声を掛けてみてもだめで、ふうっと息をついた龍。


「仕方ないですね」


 そう言って、すぐそこの枝へ手を掛ける。まるで体重を感じさせないような軽さでそこへよじ登ると、上へ上へ。維星は枝を伝い、屋根に逃げる。すると龍もそれを追いかけた。
 山奥の農村出身である龍は、こういうことには慣れていると言う。維星をこうして追いかけるのもすっかり慣れたようで、母屋の屋根の上で維星を捕まえると言葉を交わし、いやいや下りてきた維星は俺にぎゅっと抱きついてきた。


「病院、やだ」


 微かな声で訴える。
 黒髪を撫で、しゃがんで頬へキス。屋根に登ったりして冷えた頬は冷たくて、けれど動いたために赤みが差している。くりくりとした目、ぷっと膨れた頬に、やや尖った唇。


「維星、病院へ行って発声の練習をしなければいけない。長く話すためには、忘れている機能を目覚めさせて正しく使う練習をしなければいけないんだ」
「……病院、きらい」
「俺と、たくさん話したくないのか? もし星星が望むなら、俺が一緒に行ってもいい」


 小さな両手を取る。維星はしっかりと握り返してきて、唇を尖らせたままに頷く。


「永進、まだ仕事。龍叔叔といく」
「そうか。偉いな」


 頭を撫でて抱きしめて、龍と手を繋いで車に乗るまでを見送る。嫌そうな顔も可愛らしいが、少々可哀想な気もする。喉を傷つけたのもどうやら医者であったようで、それ以来病院も医者も好きではないようだ。しかし維星の声を戻すためには、プロに任せなければならない。


 帰って来た維星は酷い顔をしていた。大嫌いな病院に何時間も居させられて相当嫌だったのか、しかしいつもよりも更に酷い様子だ。外套も脱がずに書斎へ真っ先にやってきて、膝に乗り、抱きついてきたまま動かない。冷えた空気を含んだままの服を着ていると風邪を引いてしまうかもしれない。脱がそうとしても、頑として動かなかった。


「今日は、ちょっと」


 書斎の戸口に現れた龍が、気遣わしげな視線を維星に送りながら言う。


「どうかしたのか」
「ええ……普段担当してくださっている先生が学会でいらっしゃらなくて……あ、それは事前に電話を頂いていたので、聞いていたんです。代わりの先生にきちんと申し送りをしておくから安心してください、と言っていたので、今日は変更せずに行ったのですが、何と言いましょうか、何やらミスでもあったのか……」


 維星の事情をよく理解してくれている先生ではなかったので、嫌な思いをした、というところだろうか。なるほど。


「星星、良く頑張ったな」


 ぐりぐり、肩へ額を押し付けてくる維星。そのうちに、しくしくと泣き始めてしまった。龍は「予定を変更するべきでした」と言ってとても申し訳なさそうにしていて、お前に非はない、と言って慰め、下がらせる。


「星星、悲しかったのか」


 こっくりと頷く。維星が早くよく話せるように、と焦った俺も悪い。


「すまなかった。悲しい思いをさせてしまった」


 泣く維星に、胸が痛む。
 どうやって慰めたらいいのか解らず、途方に暮れた。こういうときに言葉が少ない人間だということを理解する。何か良い言葉や掛け方があると思うのに。ひたすらに撫でたり慰めたりするしかできない。
 そのうち、泣きやんだ維星は顔を上げた。


「……がんばる」


 ぽつりと、維星が言った。真っ赤な目で俺を見て、小さな手で俺の頬を撫でる。


「永進と、たくさん話したい、から……がんばる」
「そんなに頑張らなくても良い」
「ううん、だいじょうぶ」


 ふうと息を吐き、何かを納得するように頷いて。


「だいじょうぶ。永進がいるから」
「そうか……」
「だいじょうぶ。がんばれる」


 維星は膝から下りて書斎を出、そこにいた龍にも「だいじょうぶ」と言っていた。龍は実に申し訳なさそうに謝り、けれど維星は首を横に振る。


「まけない」


 ふん、と鼻息を荒らげ、龍を見上げる。その様子に笑って頭を撫でた。
 維星が大丈夫だと言うのなら見守ってみよう。これもある意味の成長、と言うのだろうか。なんだかしみじみしてしまう。


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