中国組 | ナノ

4−2


 康昊はそう言ったが、顔を見てみればまったく良くないように思える。変なところで我慢してしまう人だから、佳人は肘をついて下から康昊の顔を覗き込んだ。


「いいんですか。脱がせたら、俺もうやめられないよ?」


 半分嘘で半分本当だ。できる限りの自制はするけれど、好きな人を目の前にして大人しくできるほど余裕がない。
 康昊は佳人の頭をゆっくり撫でた。


「いいよ。お前になら、苦しめられても構わない」


 その言葉を聞いて音がしそうなほどに佳人の顔が赤くなる。康昊はやはり恰好いい。ずっと上だ。
 照れている佳人を見ていたら、頑なになっていたどこかが少し解れたような気がする。目を見つめ合って笑って、どちらからともなく唇を触れ合わせる。

 佳人は一度ベッドから降り、傍の窓のだけではなく全てのカーテンを閉め切った。完全遮光ではないためにそこまで暗くはならないが、さきほどよりは少し濃さを増した。


「……布団の中とかで、します?」
「暑いだろ。大丈夫だ、もう腹くくったから」
「……そう。ありがとう」


 なんだかとても無理をさせているような気がする。足の近くに座った佳人は、正座したまま難しい顔で幅の広い黒いズボンを見た。


「今更何悩んでる? 俺が良いって言ってんだから脱がせろ。ズボンの下にもう一枚とタイツ穿いてるからさっさとしてくれ。さすがに俺もきつい」


 康昊の白い手が、物語をたくさん紡ぎ出して、人に夢も希望も絶望も与えてきている論理的な手が、自らの股間を撫でている。きついというのはそういう意味のようだ。
 佳人はまず分厚い靴下を脱がせた。冷え防止に朝、自ら穿かせたものを脱がせる。暗い中で何度もやっていることなのにどうしてか、手に汗をかくほど緊張する。
 片足は白く、片足は心なしか色が濃い。
 そっと片足ずつ軽く持ち上げ、身体を傾けて爪先と足の甲へ細かく唇を寄せる。


「王子様みたいだな」


 康昊が笑った。しかしそれはいつもより強張った笑み。緊張しているのはどちらも同じだ。


「脱がせますね」


 一応断ってから、腰の辺りに手を掛けてまず一番上のズボンを脱がせる。今日は調子が悪くないので、ゆっくりながらも腰を上げたり足を曲げたりできるので協力して脱がせやすいようにしてくれた。
 下には言った通り、もう一枚、少々幅が広く足首でしまったものを穿いている。これも黒だ。
 また一呼吸入れていたら康昊からストップが掛った。


「佳人、今思ったこと言っていいか」
「どうしました」
「……これ、俺が自分で脱いだ方が苦しくないような気がする。お前に緊張されながら脱がされるよりも」
「……なるほど、康昊さんがそう思うなら、そのほうがいいと思います」


 起き上がるのを手助けして、康昊から手を離す。最初にまず、佳人の顔を見た。


「佳人と一緒にいるようになって何年だ、今」
「え? えっと、俺が卒業してからだから、もう十年かな。ほとんど離れてるから、そんな気はしないですけど」
「そうか……十年か」


 しみじみと言った康昊は、寝るとき以外は外さない眼帯を外した。視力はないが光はわかる。目は開いているが、瞳の色は灰色。


「よく十年も俺と一緒にいたな、お前」
「そりゃ、愛してますから」


 即答した佳人を両の目で見て苦笑する。佳人は子どものように唇をとがらせた。


「俺からすれば、まだ、十年ですよ。俺は二十一年、あなたに会うのを待っていたんだから、あと二十一年は一緒にいてもらわないと釣り合いがとれません。
「なんで増えてるんだよ。もう十年一緒にいたろ」
「この十年は、まだ目次みたいなものです」
「目次って……長い目次だな」
「康昊さんと俺のお話は今後長いからいいんです。目次だって長くなきゃ」


 ふんと笑った康昊は、肩から黒いシャツを滑り落とした。明るい中で露わになった肌に佳人は初めてのようにどきどきする。小柄だが抱きつきたい、男らしい身体付きだ。思わず手を伸ばして皮膚を撫でると、やはり手に馴染んで心地いい。
 何も言わずに康昊は下を脱ぐ。
 一枚ずつかと思えば随分勢いよく、肌色が露出した。慌てたのは佳人だが、口には出さない。思い切りがよすぎる。
 ぽいとベッドの下へ黒い着衣を捨てて、再び恋人を見た。


「もう十年一緒にいるんだから、裸のひとつくらい見せておかないとな」


 男前な表情で言う。いつの間にか緊張はその顔から消えていて、見た目はいつもの顔。


「ほら、見たいだけ見ろ」


 重ねた枕へ頭を預け、佳人を誘う。何も着ていない、身に着けていない康昊を自らの意志を持って明るい場所で見るのは初めてだ。どきどきと緊張している。口から心臓が出そう、なのは初めてで、舞台でさえこんなに高まったことは無い。

 きれいに引き締まった身体の中心で、僅かに頭をもたげている男性の部分。そこから下を見るのは本当に初めてだ。片足は白い、もう片足は、膝下からいびつなでこぼこの、茶色い肌。そこだけ見たら足とは思わないかもしれない造作。


「爆弾で吹っ飛び掛けた」


 とは聞いていたし、何度も触れたことはある。布の上からも、直に触れたことも。質感も普通の肌とは異なっていて、手への感触も違うとは知っていた。しかし目にするとこれだけの衝撃なのか、と、佳人は息を呑む。


「いざ見るとびっくりするだろ」


 康昊の声もどこか遠く聞こえる。改めて身体を見ると、傷痕のひとつひとつが意味を持って佳人の目に入ってきた。
 軍隊に入っていた時というのが正確にいつごろなのかはわからない。聞こうともしなかった。
 この人は――確かに死に掛けたのだ。
 その事実が大きな黒い壁のように、目の前へぐっと迫ってきた。

 佳人の目からぼろぼろ溢れてきた大粒の涙を見て康昊は焦った。この繊細な恋人には刺激が強すぎたか。慌てて起き上がり、頭を撫でる。


「ごめんな」
「いえ、ちがいます。あの、そうじゃなくて。ごめんなさい」


 謝る康昊に、首を振る。傷の醜さに泣いているわけではないのだ、と言うと、じゃあどうした、と返された。


「……ただ、怖くなったんです」
「……怖い?」
「もし、康昊さんが爆発でいなくなっちゃってたら俺はひとりだったのかなって思って。傷を見て、もしいなかったらって想像したら怖くてたまらなくなったんです。すみません」


 ベッドへ来る前のやりとりを思い出す。
 もしかしたら、会わなくても他の人との運命があったかもしれない。けれど康昊は、それを口に出すことはできなかった。自分を想って泣いてくれている恋人を前にして。
 優しい手を取って身体に触れさせる。何も身に着けていない素肌に触れた手のひらはいくらか冷えていた。その手を撫で、目元へ唇をやり、康昊は聞かせるように、言った。


「今、俺は、ここにいる。そうだろう」
「はい」
「俺はお前と出会って、十年、幸せに暮らしてる。この先の二十一年も、幸せに暮らす」
「はい……もっと長くが良いです」
「欲張りだな。もっと長く? じゃあ死ぬまでな」
「しぬなんて言わないでください」
「人間いつか死ぬんだよ。まあいつかわからないし、どっちが先かは知らないけど、墓場まで一緒にいるから、そのあとも多分一緒だ。心配するな」
「……ずっと、ですか」
「ああ。いいだろう?」
「いいです」


 子どものように笑って抱きついてきた佳人に身体を預ける。柔らかなキスを好きだと思うのも、触れられて嫌じゃないのも佳人だけだ。傍に置きたいと思うのも佳人だけ。それはきっと相手も同じで、当たり前のように今後も一緒にいるのだろう。ときどき離れ離れになりながら、その時間も相手を想う。

 服を脱ぎ捨てて身体を重ね合わせた。佳人の手が優しく皮膚を撫で、形の違う足を抱えて、指と舌で弄り倒した奥へ更に進む。
 康昊は不規則に締まってしまう中の深いところまで恋人の身体の一部を迎え入れた。佳人の熱が、蠢く肉の中でおとなしくしている。


「康昊さん」
「……ん?」
「すきです」
「俺もすきだよ。この世の中で一番」
「……でも餃子や包子には負けるんでしょう」
「この時期、外で食うと美味いんだよな。包子。作って明日出掛けるか」
「そうしますか。厚着して」
「ああ。天気見てな」


 緩く突くと、声より息を漏らす。目を閉じて実に色っぽい顔で。もっと見たくて近付いて、少しだけ早く動いた。硬くしこった前立腺を狙い、繋いでいない方の手は完全に反りかえったそれを包んで上下に動かす。
 限界が近いのか、中の蠕動が激しくなる。肉に締めつけられて佳人も割とぎりぎりだ。
 康昊の瞳が、佳人を見上げた。唇を重ねる。少し離す。また重ねる。
 繋いだ手が痛いほど握りしめられた。


「よしと」
「はい」
「よしと……っ」


 名前を呼ばれながら達されるとこんなに興奮するのだと初めて知った。背中を駆け上がった解放感も一瞬で、すぐにまた熱くなる。


「犬みたいです、俺」


 たくましい胸にキスをしながら言うと、ふわふわの髪を恋人が撫でた。


「あと一回なら付き合ってもいいぞ」
「足りません」
「我慢しろ。明日どこも行けなくなる」
「……はい」
「デートだぞ」
「良い響きですね」


 見えない尻尾を振り始めた佳人に、康昊は笑った。


  → 翌日のこと
 


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