中国組 | ナノ






 久しぶりの日本は寒くて驚いた。
 世界中で冬の寒さは異なる。寒さの種類が違うのだ。底冷えするとか風が厳しいとか。
 日本は風が強くひんやり乾燥している。今年は一際ではないだろうか。
 こんな寒ければ、愛しい人は身体が痛くて大変だろう。ひとりの部屋で足をさすっているに違いない。
 想像した佳人はマフラーを取り出し、首にぐるぐる巻きにしてからがらがらスーツケースを引っ張ってバス乗り場を探し始めた。
 一刻も早く会いたい。部屋に帰らなければ。



「大体夜の十一時には着きます。あなたに触りたくて触りたくて狂いそう。帰ったら最初に抱きしめるけれど、怒らないで欲しいです。でも眠かったり忙しかったら構わないで。」


 そんなメールを読み返してから見上げた時計の針は十一時を少し回ったところ。
 今日は上空の天気が不安定で、遅延した飛行機が多かったというからその中の一機だったのだろう。なににしろ、無事に着けばそれでいい。
 康昊はヒーターの前に置いた気に入りの椅子へ腰を下ろした。寒さと天気の不安定さで、足が痛くて仕方がない。
 夏は夕立や台風、気圧の変化にやられて痛む。冬は寒さが神経を刺激する。若い頃の徴兵で吹っ飛びかけた片足はかろうじて繋がっていたものの、こうしてちょくちょく痛みをもたらす。

 手のひらでさすりながら、窓ガラスに反射した自分の顔を見る。爆弾の破片により傷ついた皮膚、片目には常に眼帯。杖を突き、それなりにがっちりした身体で不安定に行動する。

 外見が表舞台に姿を現さない理由だった。今でもそうだが、翻訳や書いた物語が評価を得ても世界観がぶち壊しになるのを避けるために授賞式やインタビュー、人前に出ることの一切を代理人に任せている。

 そんな康昊と佳人の出会いは、どうしてもと拝み倒されて引き受けた日本の大学での短期講師。
 佳人は「あなただったから話しかけました」と言って笑いかけた。手に古い絵本を持ち、ずっと好きでしたと率直に言って康昊の世界を変えた。
 爽やかで明るく、愛をたくさん持った青年。
 恋人、と言うにはまだ恥ずかしい。
 でも確かに自分たちの間には温かな感情が流れている。佳人の愛はまるで柔らかな毛布のように居心地よく甘やかしてくれる。
 一回りは違う若い男にここまで安心させられるとは思わなかった。

 思い出していると、がちゃ、と、鍵が回る小さな音。


「ただいま」


 控えめな挨拶。康昊が仕事をしているか寝ているかもしれないと考えて、だろう。おかえり、とはっきり言うとばたばた足音。


「康昊さん、ただいま」


 犬だったら立派に尻尾を振りたくっていることだろう。明るい、実に嬉しそうな笑顔で床に膝をつき、肩へ腕を回して抱きついてくる。
 ふわふわ頬に触れる髪が柔らかで気持ちいい。


「足、痛い? 大丈夫ですか。俺ね、ちょっとアロマの勉強もしてきたんだ。傷病兵の治療に効果があるって聞いたんです。明日やってもいい?」
「ああ。頼む」
「足湯する? 去年の冬はそれで楽になったって言ってたよね。ちょっと待っててくださいね」


 コートも脱がずにキッチンへ行って湯を沸かす。全くせわしない。けれど、佳人が帰ってくるだけで不思議とこの部屋の明るさが増す。


「佳人」
「なあに、康昊さん」
「来い」


 先程のようにまた傍らに膝をついた佳人の首を覆うマフラーを外してやり、コートを脱がせる。
 佳人は嬉しそうに笑ってそれらを受け取った。


「ありがとう」
「ああ」


 当たり前に触れられる。なんて幸せなんだろう。
 そうやって顔に書いてあるし、康昊もそう思った。


「熱くない? 大丈夫?」
「気持ちいい」
「良かった」


 長い足を折り曲げ、康昊の足元に跪いて足首から下を熱めのお湯に浸している。鎮静・鎮痛効果があるというオイルもたらして部屋中がいい香りだ。
 大きな手で優しく揉まれて撫でられて、当たり前のように慈しまれていることがくすぐったい。
 佳人はこれが当たり前だというが、相当優しい恋人だと思う。
 やってもらうと、ひとりで湯に足をつけている時よりよほど痛みが消える気がした。現金なものだ。
 黒髪を撫でる。もっとと言うように押し付けられ、しばらく撫でてやった。足を拭かれるまで。


「ありがとう佳人。すごくいい」


 丁寧に分厚い部屋履きまで履かされ、杖を頼って立ち上がる。佳人よりかなり低い背。けれど姿勢が良くて身体つきがきれいだからか、もっと大きく見える。
 きょろりと黒い瞳が見つめてくる。これはいつからか合図のような役割。
 微笑み、両手で意外と細い腰を支え、薄ピンクの傷跡が走る頬へキスをして、鼻へキスをして、唇へ。
 本人は言わないが、どうやらキスがお気に入り。


「康昊さん、待っててくれてありがとう」
「……まあ、俺も」
「うん」
「会いたかった、から、な」
「うん。ありがとう」


 ゆっくり抱きしめる。足や目の負担にならないようにそっと。
 温もりは互いを安心させ、満たしてゆく。
 もう言葉はいらなかった。
 ただ共有できればそれでいい。
 温かさをすべて拾うために、そっと目を閉じた。
 


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