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ナツ、孝明に遭遇する


 

早芝 孝明(はやしば こうめい)という、『芸能人組』の中『深く深く、愛』というお話に出てくる人と出会います。





 ふと大きなお風呂に入りたくなり、携帯電話で調べて四駅ほど電車に乗ってやってきた銭湯。駅でおりたときは本当にこんなところに銭湯があるのかと思うくらいビルが立ち並び、隙の無い雰囲気であった。おどおどしつつ、いかにも夏休み丸出しの気楽な格好でナビの誘導に従って歩いていって――ビル街のど真ん中に建つ、昔ながらの見た目に出会った。平屋、後ろにある天を刺すような煙突、短いのれん。近付くとお湯の匂いが漂う。

 夕方四時という中途半端な時間帯だからだろうか、靴を見ると先客はひとりだけのようだった。番台でお金を払ってロッカーの札を貰い、さっさと脱いで浴場へ。ただ水の音とボイラーの音がする広い洗い場で身体を洗い、お湯をばしゃばしゃかけてから広いお風呂に肩までつかる。壁には古びた山の絵、タイルなどもあちこちひび割れているが、きちんと掃除が行き届いている。洗い場の鏡もぴかぴかだった。
 隅には小さなサウナもある。あとで入ってみようかな、などと考えていたら、そこから人が出てきた。あの靴の持ち主に違いない。見るでもなく見て――飛び上がらんばかりに、驚いた。いや、実際軽く飛び上がったかもしれない。まさか、こんなところに。

 しかし相手もナツに気付いて、微笑んだ。


「こんにちは、ナツくん」


 ざらりとした音が混じる、独特の低い音。彫りの深い中東系にも見える顔立ちは角度や光の具合によって異なる印象を人に与える。鼻が高く、睫が長い。身体は筋肉質で、いかにも頑強そうにあちこち筋が入っている。年齢不詳の外見、年齢国籍不詳の顔に微笑みかけられるとそれだけでどきどきしてしまい、思わず湯の中で後退さる。
 こうしてきちんと顔を合わせるのは、初めてだ。


「……はや、しば、さん」
「孝明、って呼んでもらえたら嬉しいんだけど。初めまして、ナツくん」


 テレビ放映されていた映画を、さきほど観たばかり。その中ではマフィアの冷徹なボスを演じていた。
 早芝孝明。大御所と言っても過言ではない、あらゆる国のあらゆる映画、舞台、ドラマに出演しているボーダーレスな実力派俳優。
 テレビの中にいる人間という印象があるので、こうして厚みをもって近付いてくるとどうしていいかわからなくなる。背景の寂れた銭湯とややちぐはぐな気もした。眼の力がとても強くて、引き付けられて離せなくなってしまいそうで怖くて湯面に目を移す。
 一度洗い場で身体を洗ってから、お湯に入ってナツの隣へやってきた。


「偶然だね。いや、運命かな」


 よく響く声が、近くで鳴る。どきどきしてしまって何も答えることができない。
 ふっと、笑い声がした。


「そんなに緊張しないで。君みたいなかわいい子に怯えられると、悲しい」


 悲しい、という声に、おそるおそる顔を上げる。けれど顔を見ることはできず、とりあえず前を見た。


「いつも鬼島くんが、君のことを話しているよ」
「そう、ですか」
「うん。とっても素直で、純粋で、きれいで、かわいいって」
「……そんなこと、ないです」


 純粋などではないし、素直でもない。
 ふぅ、と切なそうに息を吐いたナツの横顔を見ていた孝明は、柔らかく微笑んだ。


「……あの、」
「うん?」
「……近く、ないですか」


 孝明が近付いてきたので肩が触れている。足も。間を空けようとしたが、腰にするりと手が巻きついて離れることは出来なかった。妖しげな雰囲気を醸し始めた孝明の行動に、ナツの心拍数が跳ね上がる。お湯に浸かっているためと異なる汗がぶわりと出てきた。


「あの、こうめい、さん」
「君と仲良くなりたいな。僕みたいなおじさんは、嫌い?」
「え」
「回りくどいのは嫌いでね。素敵だと思ったらすぐ声を掛けるようにしているんだよ。特に君みたいに魅力的な子は、気まぐれな天使のようにすぐどこかへ行ってしまうから」


 耳元で低い声が囁く。背中からお尻にかけてがむずむずして、しかし逃げ腰になるのは許されず、がっちりした腕に押さえ込まれる。真っ赤になったナツ。くす、と孝明は笑った。


「……ナツくんは本当に、かわいいんだね。鬼島くんがすき?」
「……すきです」
「そうなんだ。鬼島くんは幸せだねえ」


 手が離れていく。距離も、空いた。


「今日は久しぶりのお休みなんだ。ナツくん、このあとは予定ある?」
「何も、ないです」
「じゃあ、おじさんの遊びに付き合ってくれないかな。恋人がアルバイトで忙しくしていてね、遊んでくれないんだよ」
「……恋人、いるんですか」
「うん。でも夏休みだからって、アルバイト詰めでね。朝晩ずっと」
「そうなんですか……」
「僕の休みが少ないから、会うのはずっとあとでいいよねって。酷いよねえ」


 孝明が唇を尖らせる様が意外と可愛かった。素の、作っていない表情。俳優ではなく、自然な、恋人に不満を言う男性だった。

 ナツは銭湯のあと、孝明に連れ去られた。いらないと言ったのに服を買ってくれて着替えさせられ(下から上まで、中も全部新しくなった)食事に連れて行かれた。
高級な料亭でおいしい料理を食べつついろいろな話をして、最後の品が運ばれてきたとき、仲居さんが笑顔で言った「お泊りの準備も済んでおりますので」という言葉に震えた。


「ついでだから泊まっていく?」
「えっ」
「嘘です」


 そんなことしたら鬼島くんに絶交されちゃう。
 ふふと笑った孝明は、きちんとアパートまで送り届けてくれた。部屋には灯りがついていて、ドアを開けたとたん鬼島がとびついてきてくんくん身体中を嗅ぎまわる。


「すっっっっごい孝明さんくさいんだけどナツくんどういうこと。しかもこれ孝明さん御用達のブランドの服じゃない。どういうことナツくんどういうことなの? こんな時間まであんな歩く下半身みたいな男と一緒にいたのどういうことナツくんどういうこと」
「あばばば」


 がくがく揺られ、食べたものが出そうなナツ。鬼島さん落ち着いて、と、なんとか宥めてようやく解放された。居間でちゃぶ台を挟んで、いつもように向かい合う。


「駅四つ向こうの銭湯行ったら、孝明さんがいたんです」
「なんで銭湯に孝明さんが」
「わかんないです。でもいたんです。で、そこで、恋人が忙しいから遊んでくれって言われて、コーヒー牛乳を買ってもらったのでお付き合いしました」
「コーヒー牛乳一本で身体売ったの」
「へんな言い方しないでください」
「ナツくん安すぎるよ」
「そのあと服を買ってくれて、ご飯に連れて行ってくれました。で、えっと、お布団あるから泊まってく? って」
「おおおお恐ろしい孝明さんの手口ストレートすぎる」
「でも、鬼島くんに嫌われちゃうからしないって」
「嫌いって言うか好きでもないけどねえ、あの人」
「鬼島さんと孝明さんってどういう関係なんですか。お友だち、ですか」
「んー、なんだろね。パパ?」
「おとうさん?」
「パトロン? まあ、そんな感じ。今は違うけど」
「ぱとろん……?」
「いつかゆっくり説明してあげる。まずはお風呂入ろうね。その忌々しい匂いをとって」
「ひっ」


 ずるずるお風呂場に引きずられ、ナツはそういえば、と思い出す。
 今日、いつの間にか孝明の顔を見て、赤くならずに、普通にお話ができるようになっていた。あんなにかっこいい人なのに、なんで照れないでいられたんだろう。


「はっ、ナツくんぱんつも新品ってどういうこと」
「えっ」
「古いのは!? まさか孝明さんが持ち帰ったとかおおおなんて恐ろしいんだ俳優早芝孝明」
「いや、あの、向こうの紙袋に」
「ナツくん、今日は寝かせないよ」
「なんで」


 なんとなく、孝明さんって、鬼島さんに似ている。どこが、とはいえないけど。
 ナツの、孝明に対する第一印象は口に出されることは無かった。ナツの中でももやもやとしていたからだ。一日意識していたことではなく、ふっと思いついたことだったから。



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