佐々木とナツ
鬼島に呼び出されてやってきたレストラン。ドレスコードがないカジュアルなところとのメッセージ通り、見た目は一軒家のアットホームなリストランテだった。アパートから歩いて三十分のところにオープンした、予約制の新しい店である。
「予約したテーブルに目印、置いておいたから。チョイスも済ませておいたから先に食べててね」
そのメッセージに従いドアを開け――一番奥のテーブルへ真っ先に目が行った。あまり広くない店内にある席はほとんど女性客で埋まり、その視線はちらちら、やはり奥に注がれている。
間違いない。鬼島が置いた目印は佐々木だ。
端正な、しかし無表情で人形じみた顔、 二重の目元はすっと切れ上がり、なんとも色っぽい。 高い鼻、染みひとつない陶器肌、白に染められた髪の毛先を彩るグリーンが鮮やかだ。長い首。服装はシンプルだが高そうにも見える系統。わからないけれど。
周りの女性になど一瞥もくれず、長い指で優雅にタブレットを操作している。
「……佐々木、さん」
そろり、と近付くと顔を上げた。目が合う。この近さで初めて見た瞳には、淡い茶色に緑と黄色がかかっていた。
「座りな」
「どこに……」
「どこでも。勝手に座れば」
佐々木が座っている向かいに腰を下ろした。じっ、と見つめられ、顔がぽっぽと赤くなる。かっこいい人相手ではいつもこうだ。止められない。
こうしてふたりきりで向かい合うのは初めてで、話題がわからない。緊張とかっこよさに動揺していると、佐々木が小さく息を吐いた。
「なつくんはどこまでも俺の琴線に触れない」
聞こえの良い低音が、溜息混じりに呟く。
「なつくんってなんなの?」
「えっ」
「可愛くないのに可愛いって言われてるよね」
「そうなんですか。可愛くないんですけど」
「なんだろね」
「何ですかねえ」
「ぶさいくとは言わないけど」
「ありがとうございます」
妙な会話の合間に、ウェイターがグラスを運んできた。ナツの前に置かれたのはピンクグレープフルーツのジュース。それから順番に料理が運ばれてきたが、ナツにだけだった。佐々木は涼しい顔で自ら頼んだワインを飲んでいる。
「あの、佐々木さんは……」
「目印だからね。料理が目的じゃないから」
しかしひとりで食べているのもなかなか居心地が悪いものだ。しかも見つめられている。おいしい料理なのに。
「あの、佐々木さん」
「なに?」
「シノくんって、可愛いですよね」
せめて会話だけでもと、必死にしぼりだした話題。佐々木の恋人とは歳が近く、何度か会ったことがある。さて、どんな反応を見せるかと思えば変わらぬ無表情。
「可愛いね。なつくんより」
「それはそうですよ」
「たまらなく可愛いけど、でも、優志朗先輩はシノちゃんが好きじゃないんだよね」
「どうしてですか」
「扱いにくいって」
「いい子なのに」
「ね。……あっ」
急に、佐々木の目が光を宿した。今までの無気力さはどこへやら、顔が輝く。
「遅くなってごめんね、ナツくん」
鬼島がやってきた。いつものスーツ姿、ナツの頭をゆっくり撫でて皿を見る。
「おいしい?」
「はい、とっても!」
「良かった」
ごく当たり前のようにナツの隣に座った鬼島は、ちらりと佐々木を見た。
「ナツくんと仲良くしてた?」
「悪くはしてないです。なんで可愛がられるのかって話はしましたが」
「こんな、溢れんばかりの可愛らしさがあれば当然でしょ」
「俺には優志朗先輩のほうがずっと可愛く見えます」
絵に描いたように、鬼島が引いた。その様子はナツからすれば新鮮だ。鬼島を可愛いと言う人にも初めて会った。
横顔を見上げれば、相変わらずかっこいい。周りの視線が一層集まった辺り、それは確かだ。
「佐々木の目って腐ってる」
「先輩がかっこ可愛く見えるので腐ってようがなんだろうが構いません」
「……気持ち悪……」
呟いた鬼島の前に、佐々木のものと異なる銘柄の白ワインが置かれた。自らグラスに注ぎ、口に運ぶ。結局料理を口にしているのはナツひとり。
旨そうに食べる横顔を、鬼島は目を細めて満足そうに見ている。佐々木は怪訝そうな顔でナツを見続けた。
「優志朗先輩」
「ん?」
「なつくんのどこがいいんですか」
「お前それ本人の前で言う?」
「純粋な興味です」
伝統的な手順で出てきた料理を平らげ、ドルチェのタルトに舌鼓を打つナツが鬼島と佐々木の会話を気にする様子はない。
ふ、と息を吐き、鬼島は笑った。
「ふつーなとこ、きれいなとこ」
「……なるほど?」
ついてるよ、と、ナツの口元を指先で拭い、自分の口に運ぶ。真っ赤になったナツを見て鬼島はその耳元で囁いた。
「Tu sei dolce」
まるで夜に囁くときのような低い低い声。反射的にナツの腰が戦慄く。フォークを取り落としてしまい、派手な音を立てた。
「鬼島さんっ」
「ごめんごめん。美味しいもの食べてるところにお邪魔しました」
ふふ、と笑い、指先を掬い上げて口付ける。すっかり茹で上がったナツは席を立ち、逃げるように手洗いへ消えていった。実際、興味津々な視線から逃げたのかもしれない。
実に面白そうに愛しそうにナツを見る鬼島。それを見て佐々木は、なるほど自分がシノといるときはこんな感じなのかと、第三者的な視点で振り返っていた。
「佐々木ィ」
「はい」
「ナツくんにあんまり意地悪しないでね。ナツくん、ああ見えて人の心の悪意とかに凄く敏感なんだ。怯えさせたら、開けちゃいけない蓋まで開いちゃうかもしれないし? そうなったら――」
指じゃ済まないからね。
向けられた鬼島の目に背中が戦慄した。今は滅多に見ることのない、感情剥き出しの目。久しく感じなかった威圧感というものを強く向けられた。
「……可愛い後輩だからさ、嫌なことしたくないし? 五体満足でいてほしいよね。せっかく綺麗なんだから。大事にしなよ?」
「はい。ありがとうございます」
口元だけが笑う。一頃は『鬼』と呼ばれた男は、その角や牙を隠す術を覚えて周囲に同化した。しかし時折見せるその素顔はやはり変わらない。
「ただいまです。……あれ? 佐々木さんは」
「仕事だって」
ナツが戻って来ると、佐々木が座っていたところに鬼島がいた。ふぅん、と座ったナツはタルトの続きに手を付けた。フルーツたっぷりのそれを美味しそうに食べるナツに、鬼島の頬も緩みっぱなしだったそう。
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