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夏輔さんの誕生日


 
鬼島 優志朗(きしま ゆうしろう)
ナツ
蓮(はちす)





 雨の降る小汚い路地で、ゴミ捨て場にぐったりしていた俺が開いた目と目が合ったのは黄色いひよこのような雨合羽を着て黄色い傘をさし長靴を履いた男の子だった。まだちっちゃい男の子は大きな目をぱちくりと瞬かせる。片手に白い袋を持って、お遣い帰りのようだ。普段ならなんとも思わないのに、妙に愛らしく見えるのは、意識が薄れかけているせいだろうか。
 男の子は、真っ赤に染まった俺の腹と俺の顔とを交互に見て、ぱっと駆け出した。その姿が曲がり角に入ってしまい、見えなくなる。普通そうだよな、と思いながら息を吐いた。このゴミのような人生を考えれば、ここで死ぬのも悪くない。というか当たり前のような気もする。悲しむ人について思いついたが現在服役中。そんな人間しかいないと思うと少々悲しいような気もした。
 もう審判うんぬんにかけられる間もなく地獄行きなんだろうな。


「おとーさん、いきだおれ」
「もう死体か? お、ぎりぎり生きてんな。若いし大丈夫だろ」


 熊のような医者と、くりくり目のかわいい天使に拾われなんとか審判ないし地獄を回避した俺は、傷が癒えるとでこぼこ親子が暮らしているアパートに転がり込んだ。今、初めて共に夏を迎えている。

 天使は夏輔さんといい、まさに天使のような子ですっかり魅了され、なんでも言うことを聞く下僕になりたいとまで思っている。ほとんどわがままを言ったりしないので、却ってそれが心配だ。
 熊は蓮さん。もじゃ髪もじゃ髭に巨体で、白衣を着ていても山賊にしか見えない。見舞に来た、巨漢と思っていた後輩と比べても段違いの体格だ。蓮さんは医者で俺の命を救ってくれたが、見つけて報せてくれたかわいい夏輔さんに俺のハートは盗まれている。


「おい優志朗、食器並べるの手伝え」
「なんだよ。今夏輔さんに絵本読んでんだけどー」
「態度でかっ」
「おれ、おれやる」
「いや夏輔さん、ここは俺が」


 立ち上がりかけた夏輔さんを手で制し、台所へ行く。するとすぐ、後ろから太い腕で羽交い絞めにされた。


「なんっ」
「しっ。黙れ。お前、明日が何の日か知ってんな」
「……夏輔さんの誕生日っしょ。いや聖誕日。天使の」
「そうだ。だが俺は仕事だ」
「……一日くらい」
「夜は休むつもりでいる」
「夏輔さんが一番喜ぶのは、あんたと一緒にいることだから」


 つい先日。夏輔さんが手紙を書いていた。なんでも、誕生日に願いを書くとそれを叶えてくれる妖精さんがいるのだそうだ。蓮さんのあの顔面からは想像もできないようなメルヘンなお話だが、そうでもしなければ欲しいものを聞いたり出来なかったのだろう。
 夏輔さんが書いたのは「おとうさんのおやすみ」で「あさからねるまでいること」だった。どうやら叶いそうにない。もちろんその手紙は妖精さんである蓮さんも読んでいる。


「知ってらぁ。夏輔は毎年同じこと書いてるからな」
「じゃあ」
「患者は待っちゃくれねぇんだよ」
「夏輔さんの誕生日だって一回だけしか来ないじゃん」
「そうだけどな。まあとりあえず、明日はいつもより夏輔にでろ甘で頼むわ」
「はいはい」


 まあ、これも職業で負った業なのだろう。この人がこういう人でなかったら俺も今頃こんなのんきに食器を運んだりできない。
 皿を並べていつもの場所に座ると、珍しく夏輔さんが膝に座ってきた。いつもなら蓮さんの隣なのに。どうしたのかと顔を覗き込んでみたが、夏輔さんは小さい手で俺の手を握りつつ台所にいる蓮さんの背中をじっと見ていた。


「どうしたんですか」
「……おとーさん、明日もやすんでくれないよね」
「……かもですね」
「……おとーさんといっしょに、たんじょうびしたい」


 ぽろりと涙を零しつつ言う。夏輔さんがこんな風に口に出したり泣いたりするのは珍しい。最近は飲酒過多で搬送されてくる患者が昼夜を問わず多々いたせいで家に帰ってこなかったからだろう。
 抱きしめて頭を撫で、そうですねえ、と言う。そうするしかできないからだ。しばらくえぐえぐしていたが、蓮さんにそんな様子は見せたくなかったのだろう、すぐに俺のTシャツで涙を拭いて顔をむにむにして普通の顔になろうと努力する。健気だ。
 そしてそんな夏輔さんに気付いているはずなのに何も言わない蓮さんもきっと辛い。


「夏輔さん、明日は俺と一緒にいましょうね」
「……優志朗くんがいるだけ、いい」
「そう言っていただけると嬉しいです」


 次の日、夏輔さんはわかりすいくらい元気がなかった。毎日元気いっぱい遊びまわっていたのに、今日もいい天気なのに、夏輔さんは部屋から一歩も出たがらないでちゃぶ台に開いたお絵かき帳に向かっている。覗き込むともじゃもじゃした人だかなんだかよくわからない、でも多分蓮さんであろう線が描いてある。朝からずっと同じような絵ばかり。一緒にいたいと思う気持ちがあって、でも我慢しているので言えない。大好きな父親に言えば辛くなることがわかっているから。


「アイス食べますか」


 ふるふる首を横に振る。蓮さんが朝ごはんを作って一緒に食べて出て行くのをいつものように見送って、それから何も食べたがらない。昼ごはんもいらないと言って、麦茶を飲んだりこの前のお祭りで買った飴をなめたりするくらいだ。ご飯大好きな夏輔さんなのに。


「お父さんがいなくて寂しいんですね」


 こっくり頷く。小さなぷっくり唇が尖っている。頭を撫でると泣きそうな顔で、でも我慢して唇を引き結ぶ。そんなことしなくても、昨日の晩のように泣いてもいいのに。夏輔さんが泣いて困ったりしないのに。


「夏輔さん、暑いですが、膝にどうぞ」


 首振り式の扇風機の風に当たりながら、夏輔さんを抱っこする。ぎゅうっとしがみついてしくしくしている夏輔さん。父親がいないというのはこんなに寂しいことなのか、と、小さな頭を撫でつつ思う。俺には両親も家族もないからよくわからない。ひとりが当たり前だったから。


「おとーさんといたいよう」


 しくしく、しくしく。
 あの熊のようなむさいおっさんを思って泣く天使。親子って凄いな。


「夜には帰ってくるって言ってましたよ」
「おとーさん」


 俺のシャツはすっかりべしょべしょになってしまった。さてどうしようか。このまま泣き続けたら干からびてしまいそうだが、泣き止めと言うのも違う気がする。とりあえずこのままにさせておこう。
 と、思っていたら。


「夏輔ーと、優志朗ーただいまー」


 実に陽気な感じで蓮さんが帰って来た。夜になると言っていたのに。俺の腕からひょいと夏輔さんを抱き上げ、驚いている夏輔さんに遠慮なしのもじゃ髭ぐりぐりをする。


「おお夏輔ーエンジェルベイビーたん。寂しい思いさせてごめんなぁ。今日はこれからずっと一緒にいるから、おとーさんと買い物行っておいしいお寿司食べようなー」
「おとーさん、おしごとは……」
「半日でお休み。夏輔と一緒にいたいからなー」


 泣きながらへにゃりと笑う夏輔さんはこの上ないくらい愛らしく、胸が病気かと思うくらいにときめいた。


「蓮先生……動悸がおかしいんです」
「それが夏輔に対する不埒な思いから来るもんだったら蹴るぞ」


 すっかり嬉しそうに笑う夏輔さん。誕生日に何か欲しいものは、と蓮さんに聞かれても太い首にぎゅうっと抱きついて首を横に振る。


「おとーさんと優志朗くんと、おいしいごはんがたべられたらいい」
「……夏輔激かわ……」
「……夏輔さんが可愛すぎて辛い……嘘、辛くない……全然、超幸せ……」


 蓮さんと夏輔さんと三人で、食材の買出しに行って夏輔さんが好きなすし屋の寿司を持ちかえって家で食べた。昼過ぎから夕方まであっちへ行ったりこっちへ行ったりして、その間に四回ほど蓮さんが、二回ほど俺が職質をかけられた。夏輔さんはきょとん顔で目を瞬かせていた。

 何も欲しがらない夏輔さんに何をあげるか、蓮さんはずっと悩んでいた。


「なんでそんなに何かあげたがるの」
「物があったほうが、俺がいなくても存在感じられるだろ」
「あー、そういうこと」


 考え考え買ったのは、夏輔さんが大好きな熊のキーホルダーとぬいぐるみ。やっぱり抱きしめられるものがいい。ぬいぐるみ専門店で触らせてもらって、夏輔さんが一番好きな毛のものにした。
 久しぶりに大好きな蓮さんとお出かけして、一緒にお風呂に入って、美味しいものをたくさん食べて、今は熊に見守られて蚊帳の中で眠っている。俺と蓮さんは酒をちびちび。


「夏輔が無事にまた一歳年取れてよかったよ」
「健康で、元気でなによりだね」
「ああ。このまま育ってくれりゃ何も言うことねぇ」
「俺が見守るから安心して」
「一番心配だっつの」
「蓮さんがいればまっすぐ育つよ」
「……俺が、ずっといられりゃあな。いいんだけど」


 ふっ、と、少し寂しそうに笑った蓮さんはそのとき何かを予感していたのだろうか。
 ときおりそのときの表情を思い出しては、ちくっとした小骨のような痛みを感じずにはいられない。




「ナツくん、もうすぐ誕生日だね」
「そういえば、そうですね」
「何食べたい?」
「えっとえっと、」
「何か欲しいものある?」
「……欲しいもの」
「鬼島さんが何でも言うこと聞いてあげる券あげよっか? 昼版と夜版とそれぞれ百枚ずつくらい」
「いりません……ごめんなさい……」
「遠慮しないで。よーし鬼島さんがんばっちゃうぞー」
「ほんとに、いらな」



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