お友だち(偽) | ナノ

上弦と水若


 

虎谷 上弦(とらたに じょうげん)
田所 水若(たどころ みなも)






 虎谷上弦は巨大任侠団体を率いる総長である。祖父、父親が比較的早い年齢で抗争に巻き込まれて逝去したために、本人もそのようになるに違いない、などと囁かれてその位についた。が、父親の享年をすでに越え、周りは穏やか、会を二分するような争いも、傘下団体の小競り合いも目立ったものはない。そういう時代ではないのだ、と、会合で多くの組長が口にする。そもそも抗争をすること自体が誤りで、こうして平和にやっているのが一番なのである。
 近年はむしろ、こういったいわゆる「極道者」「やくざ」と呼ばれる者よりも、属さないで好き勝手する筋のない者、外国人の領土荒らしなどのほうが目立つ。地区ごとに開かれるブロック会議、より大きな規模で行う傘下会議などでも、その対策を話し合う内容がほとんどだ。抑えても抑えても次の悪さをする人間がぽこぽこと出てくる。彼らは繋がっていないことが多く、他のチームに害があっても商売をやめないことが多い。いたちごっこ。

 組をまとめあげ、端々まで目を届かせることができると言われている上弦でも、さすがに外国勢力や、下手すると個人個人で活動している無法者をなんとかするのは難しい。得策が思い浮かぶわけでもなく、とりあえず各組、地区での対処を出すのみで、成果らしい成果は感じられないまま、会場であった一流ホテルを出て車に乗り込み帰宅した。

 走る車の中で、あ、と突然上弦が呟く。運転手役は敏感にルームミラーへ目を走らせた。


「どっか、土産物の店でもあったら寄って」
「はい」


 下の者が上の者に逆らうことなどできはしない。慌てて助手席にいるのがアプリやらなにやらを駆使して店を探す。来るように走ってきたら何もない道だからだ。かといって、無いでは済まない。寄れと言われたら寄らなければならない。
 文明の利器に感謝したい気持ちでいっぱいの助手席のと運転手役の二人、後続車に乗っていたお付き三人を従え、暗がりにライトアップされた寂れ気味の「道の駅」へと足を踏み入れる上弦。紅葉した葉にも似た色の着物と羽織り姿で白足袋に草履を履いた長髪の美男が、明らかに只者ではない男たちを従えて入ってきたため一瞬店内は静まり返った。けれど上弦は気にする様子もなく、何かを探して歩き回る。

 やがて、見つけたようで手を伸ばした。白い、美しい大きな手。その一角を担当しているらしい店員が近付こうかどうしようか迷いながらも、その手に目を奪われていた。


「これ」


 箱に入った、黄金色の美しい生菓子。正月にも同じ名前の物が食べられるらしいが、こちらはそれと少々異なる。それを二箱、傍らの若いのが持った籠に入れて満足げに笑みを浮かべた。


「あ、これも買う」


 ふと、上弦の目にとまったのは、人形。赤い顔と身体に藍色の頭巾と腹がけ、この地方といえばこれ、という有名な人形である。大きさにしばらく悩み、柔らかめの一抱えほどあるそれを選んだ。他に小さな人形がついたストラップをいくつか。


「もういい」


 声を掛けられ、スーツ姿のお付きから財布を渡された男が二人、会計へまっしぐら。上弦はゆったりした足取りで車へ戻る。行動を先回りして待っていた運転手役が、後部座席のドアを開けた。そして車は再び走り出す。

 窓の外、真っ暗な風景を眺めるでもなく眺めていた上弦。
 電話が震え、助手席の男が差し出した。受け取り、画面を見ると、先ほどまで考えていた男の名前。


「どうした」


 電話に出るとしばらくの沈黙。いつものことだ。毎度毎度、話すことを決めてから掛けてくればいいのにと思うが、自然に笑みがこぼれる。そういうところが、あの男らしい。


「……総長、お帰りは何時ですか」
「わからない。けど、あと六時間はかかると思う」
「そうですか。わかりました。失礼します」
「うん」


 上弦が電話を切るまで、向こうは切らない。いつもならさっさと切るのだが、今日はなんとなく待ってみた。


「……あの」


 しばらく時間を置いてから、声がした。


「何か」
「何もないけど」
「そうですか」


 無言。困っている気配が伝わって来る気がする。
 上弦が笑い声を洩らすと、なんですか、と声がした。真面目さがよくわかる、低くていつも硬い声。何かを我慢しているような、声。


「先に切ればいい」
「そんなこと、できません」
「いいのに」
「できません」


 それが面白くてまた笑う。ひとしきり笑って、切るよ、と告げて、本当に切ってあげた。画面に、終了時間と相手の名前が表示されていた。「田所 水若」どう考えても難読の男の名前は音にすると「みなも」随分可愛らしいと毎回思う。それだけでなく、性格も可愛い。帰る時間など自分が一番わかっているだろうに、わざわざこうして電話を寄越すのだから。
 笑って、上弦は携帯電話の横のボタンを押した。画面が暗くなる。

 水若と初めて会ったのは、と、目を閉じて思い返す。


 あれは大みそかだった。毎年恒例の餅つきに、いたのだ。

 山奥にそびえる虎谷の屋敷。周りは切り立った崖に挟まれ、裏は山肌。天然の要塞と未だに言われる山道のどん詰まりに建った家には普段から四十人近くの組員が寝起きしている。屋敷周りの警護や手入れ、家族の世話、予定の管理から傘下団体への通達、さまざまなことをこなす組員たち。年齢はさまざまで、若いのから年季の入った傍付きまで。上が下を指導し、総長の身の回りの世話を円滑にこなせるように厳しく仕込まれる。

 正月が近付いてくると、年末会議、年賀状の手配、お歳暮の発送、受け取り、あいさつに来る関係企業や役所の人間への応対、駐車場の手入れ、料理の準備、仕込み、やることが山ほどある。その中で年越し前に行う餅つきは、傘下団体の組長が持ち回りで来るほか、普段虎谷家にいる組員の家族もやって来る。和やか、賑やかに行われる大量の餅をつく行事。
 そこに、連れられてやってきたのがまだ幼い水若であった。その当時新入りだった兄が呼び寄せたという。きょろきょろするわけでもなくはしゃぐでもなく、一心不乱にできた餅にきなこをつけたり餡をつけたり、妙に手慣れた様子で大人に混じってやっていたのが面白くてついつい近付いた。


「どこの子?」


 尋ねれば、黒目がちの目できょろりと見上げてくる。
 それから、餅をついている兄を指差した。


「ああ、田所の」
「弟です」
「弟か。随分小さい弟なんだな」
「腹違いなんです」


 小学生になるかならないか、というところだろうに、妙に大人びた口ぶり。それもまた面白かった。それから毎年のように餅つきに参加していたけれど、兄が傘下の組の組長付きになったために来なくなり、どうしているかと考えていた矢先、自らの足で門を叩いてやって来た。

 小さかった子どもが、立派な青年になって。と言いたいところだが、高校出たての初々しい様子でやってきた。しかし上弦は入門を許さなかった。聡明さは幼い頃と同じで、聞いてみれば通っていた高校も有名どころ、成績も悪くないと言う。それならば大学へ行って、もっと役に立てるようになってから来いと言ったのだ。


「これから先、学がある方が長く使える」


 その言葉に、あの黒目がちの目をくりっとさせて、こっくり頷いた。
 半分は、大学を卒業するまでに気持ちが変わるのではないかという思いもあった。人に恥じるような身分ではないつもりだが、世間から見れば筋があろうとなかろうと一緒くた、薬も人身売買も固く禁ずる東道会も、なんでもありの無法者もまとめて「道から外れた者」なのだから、あえて入ることはない。

 けれど、水若は戻って来た。修士課程を終え、留学までして、戻って来た。


「役に立てるように勉強したつもりです」


 高めだった声は低い、いかにも大人の声になり。
 真面目そうな、そこそこ端正な顔をした、和の雰囲気漂う青年になっていた。子どもの姿には不釣り合いだったあの目も、やや細面のその顔にしっくりなじんでいた。そして幼い時は気付かなかったが、成人したその顔は、昔からの想い人にとてもよく似ていたのだ。声も近い。

 それから五年の下積みを経て、今は上弦の予定や生活を管理する立場にある。適材適所、と考えると、水若は傍に置くには最適で。いつの間にか膝を枕に愚痴ってみたりもするようになった。不思議なことだ。
 あの顔で、あの声で話しかけられるとついつい緩む。
 総長の顔でも、父親の顔でもいられなくなる。
 更にこうして電話をよこしたり、黙って膝を差し出したりされれば誰だって可愛いと思うのではないか。夜も、何時に帰るかわからない時でも必ず起きて待っている。寝て構わないと言っても、だ。最初は予定の管理だけさせて生活の世話は別の組員にやらせていたのを、全部水若にやらせることにした。本人がそれを強く希望したからだ。

 似ている部分を差し引いても、上弦は水若を気に入っている。

 だから、わざわざ好みを聞いて土産を選んだ。一緒に着いてきている人間が家にいる組員の分を買うのがわかっているのに。





 家に帰り着いたのは午前三時。
 母屋に入ると音が響くので、上弦は遅く帰るときには茶室を利用する。いや、そこは茶室というよりも離れ、のほうが相応しい造りだ。確かにお茶も点てられるが、寝起きもできるようになっている。

 祖父も父親もそうしていたので、上弦も自然と、遅い帰りの時はこの場所を利用する。

 引き戸を開けるとすぐそこに、男が板張りの廊下に正座をして待っていた。さらさらと黒い髪、前髪を切れと言っているのに目元を隠すように伸ばしたまま、黒いシャツに、黒いパンツ。


「いかがでしたか」
「何の解決法もなかった」
「そうですか」


 それだけ言葉を交わし、歩きながら羽織を脱がされる。


「水若、お風呂は?」
「準備してあります」
「一緒に入る?」
「いいえ」
「水若」
「はい」
「お土産」


 上弦は、持っていた袋と人形を水若に渡した。
 水若はきょとんとした顔をする。てっきり末息子にあげるものだと思っていたのに、自分に渡すとは。


「好きだって言ってたから、それ」
「……これは」
「水若に似合うと思って」


 真っ赤な肌をした人形を抱えた水若は、予想通り可愛かった。上弦は笑って、さっさと風呂場に去って行く。狭い廊下でしばらくその人形を眺めていた水若は、一回だけぎゅっと抱きしめて、それから上弦の後を追った。

 上弦が入浴している間、外で待っている水若。傍らに並ぶように置かれた人形。
 あれだけ組長などのことは気付くのに、なぜだか自分の気持ちには一切気付いてくれない。いつも自分を通して誰かを見ている。不愉快でも悲しくもないが、気にはなる。

 ふっと溜息をつくと、がらりと戸が開いた。

 浴衣をだらしなく着つけた上弦が、濡れた長い髪をかき上げながら水若を見下ろす。
 水若と、横に並ぶ人形。
 いかにも楽しそうに笑った上弦。


「可愛い」


 水若は小さく溜息をついた。



お友だち(偽)TOPへ戻る

-----
よかったボタン
誤字報告所



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -