無題の関係 4
蓬莱(ほうらい)
談(だん)
*
仕事を終えた蓬莱は電車に乗り、スタジオから少し離れた場所にある談のアパートへ足を向けた。午後七時、良識的な時間だ。人が少ない路線、ワークキャップを深めに被って地味なTシャツにデニム、黒いトートバッグをもっている姿では特に誰かに話しかけられることもなく、目を向けられたりすることもない。
少々寂れ気味の駅で降り、自動でない改札を抜けて、暗い寂しい道を歩いた。ひゅうっと冷たい風に首をすくめる。談がこんな道を夜な夜な通っていると思うとひやひやしたが、そういえば車だった、と思い直して安心した。あんなに可愛くて細い腰の男性がひとり歩いていたら危ないこともあるだろう。もしかしたら。
談が住んでいるアパートは、一戸一戸が独立しているタイプだ。少しずつ隙間を空けながら、同じワンルームの家が並んでいる。外見はそこそこきれいな白い壁に三角の屋根。しかし中に入るとかなり古いだろうことがわかる。
一番手前のドアの隣に備えられたチャイムを鳴らすと、すぐに開いた。
「お帰り」
甘い顔に笑みを浮かべる幼馴染。きんきんの襟足前髪長めのホスト風金髪、黒い大きめシャツから覗くのはズボンでなく、すらりと伸びた魅惑の美脚。蓬莱は細い肩を両手で掴み押し入るように狭い玄関へ。後ろ手に鍵をかけつつやや下にあるいたずらっぽい目を見下ろした。
「そんなかっこで出てきたら駄目だって言ってるじゃん!」
「お前だってわかってたからだよ」
「それでもだめっ! どこで誰が見てるかわからないんだから!」
へいへい、と、危機感ゼロの返事をする。談くんはいつもこうだ、と、蓬莱は溜息を漏らす。何度言ってもパンツでうろうろ。最近は丈長めのシャツを着てくれるようになっただけましなのかもしれないが。
玄関から廊下があり、右側がキッチン左側が風呂場とトイレ。正面に一部屋。ベッドとテーブルとテレビと小さな本棚、クローゼットだけで部屋がいっぱいだ。狭い部屋ながらうまく物が収納されている様子を見ると、談の性格が透けて見える。繊細なところもあるのだ。
「……ただいま、談くん」
「お帰り」
暖色の灯りに溢れた廊下はいい匂い。火にかけられた土鍋が音をたてていて、部屋のテーブルの上にはすでに何品かの料理が並んでいる。こうやっていつも必ず料理を作って待っていてくれる。
「何か手伝う」
「いいから手洗って座ってろ。でかいのがうろうろすると邪魔なんだよ」
ほらほら、と促され、上がったところに持っていたトートバッグと被っていたワークキャップを脱いで置く。手を洗い、ベッドとテーブルの間へ座った。若草色のラグ、服装とは違って案外落ち着いた色の部屋。
「談くん、今日は早かったね」
「社長がナツさんのアパートへ泊まりに行ったからなー」
鍋をぐるぐるかき混ぜながら言う。そうなんだ、と、意識的にそちらを見ないようにしつつ答えた。目の高さに、談の眩い太ももがあるからである。
テーブルに置かれた丸っこい青いカップと赤いカップ。前に蓬莱が買ってきたもの。赤いほうにはすでになにやら注がれており、飲んだ形跡があった。
「談くん、これなぁにー? カップの中」
「あ? あー、日本酒」
「おいしい?」
「わかんね。飲んでみ?」
「いただきます」
口をつけてみると、かなり甘口だった。さらっとしていて飲みやすい。
「佐々木社長に貰ったんだけど、オレそういう酒のうまいまずいってよくわかんねぇんだよな」
気に入ったなら飲めよ、と言われ、ありがたく貰う。蓬莱もよくわからないほうではあったが、うまいと感じたからだ。
瓶がテーブルの足のところに置いてある。深い青のそれを手に取って見てみると、いわゆる高級酒であることがわかった。名前だけはよく聞くが、実際に飲むのは初めてだ。水のようにすいすいと進んでしまい、気付いたらすでに半分ほど飲んでいた。
「はい、おいしい鍋」
テーブルの真ん中にどんと置かれた土鍋から豊富な湯気が漂う。膝立ちになって、隣に座った談の分も取り分けた。野菜や、豆腐や、肉。談が作る料理は鶏肉が多い。理由は「安いから」なのだそうだ。骨付きと塊と、どちらも入っている。
かつおぶしがたっぷりのったほうれん草のおひたしや、多分手製の漬物などを途中で挟みつつ箸を進める。
「最近さぁ」
「うん」
「ナツさんにキス、教えたんだけど」
「えっ」
談くんが、あのかわいい高校生のなつくんに……と、頭の中が一瞬にしていやらしいキスの想像でいっぱいになった。恥じらい顔を伏せるいたいけな男子高校生の顎を持ち上げ、こうするんですよ、などと囁く色っぽいお兄さん。そして――危うく手に持ったお椀と箸とを取り落とすところだった。そんな蓬莱の様子に気付かず、鶏肉をもぐもぐして談が続ける。
「鼻にちゅってするやつな」
「あ、なんだ……」
遊び的な感じか、と、手の中のものを握りなおし、白菜を咀嚼する。口の中から飛び出さなくてよかったと思った。
「あいさつなんですよ、って適当なこと言っちゃったんだけど、それがナツさんからお隣の満和さんに飛び火してさあ、周りがちょっとしたキスブーム」
「へえー。高校生同士ちゅっちゅしてんだ」
「うん。すっげーかわいいんだよな」
見ろよ、と、ベッドの上に放り出してあったスマートフォンを手に取り、操作する。真っ赤なボディに豹柄のペイントという、こちらはいかにも派手な談らしい。
「ほらほら」
見せられた画面には、ちょうどナツが満和にキスをしているところで。確かにふわふわした雰囲気が画面からも漂ってきた。まるで幼い子ども同士がしているような。二人の持つ個性なのだろう。
「確かにかわいい」
「だろー」
でれでれ笑う談はまるで、弟や何か、家族を自慢するかのよう。談は小さい頃から周りの面倒を見るのが得意な長男体質だった。実際は末っ子なのだが、妙に面倒見がよかったのである。
蓬莱は、肩を寄せた。とん、と、ぶつかる。
「ん?」
「俺は?」
「なんだよ」
「俺は、かわいい?」
別に、あの頃のように面倒を見てもらいたいわけではないけれど。
なんとなくもやもやしてしまった。いつでも談の一番近くにいたはずなのに、今はこうして、違う人のことを聞かされる。蓬莱のむすっとした顔に気付いた談は笑って、スマートフォンを放り出すと膝立ちになって両手で蓬莱の艶のある黒髪を撫で回した。
「かわいいかわいい。お前が世界で一番かわいいよー」
「あ、もう、食べてるんだからやめてよ」
「談くんがちゅーしてやる」
髪に触れる唇の感触。蓬莱はお椀も箸も置いて、カップの酒をぐいっと煽った。最後の一杯。瓶は既に空になっている。
身体をわずかに後ろに動かし、ベッドに寄りかかると、まるでそれが合図ででもあったかのように談が太ももをまたいで向かい合わせになる。両肩に腕を乗せ、より密着してきた。
「蓬莱はいつまで経ってもオレの一番でいたいんだな」
「当たり前じゃん……」
「ふぅん。まぁ安心しろよ。お前が世界で一番かわいいから」
ちゅ、っと、談にしては子どもじみた、鼻先へのキス。蓬莱は頭がふわふわしていた。今、ここにいるのがどこか遠くの出来事のようにも感じ始めている。大きな手で小さな頭を掴むように後頭部を覆って引き寄せ、もう片方の手は顎に沿うように添え、やや乱暴に口付けた。
「……ん、」
熱を持った舌が口内に入り込む。そこから甘い酒の味がして、談は軽く噛んで吸った。酒を貰うように貪る。
「ほうらい」
唇が離れるとそのたびに、談が名前を呼ぶ。頭の中の霧が濃くなる。
「談くん、他の人と、こんなキスしちゃだめだよ」
「なんで」
「なんでも。俺だけにしてね」
「嫌だ、って言ったら?」
談の目がいたずらっぽくきらめいた。艶っぽい唇が笑みの形に引き上がる。蓬莱はとろりとアルコールで融けたような目を細め、軽く舌打ちを。
「談くんの、ばか」
子どもっぽい口調とは裏腹に雄の表情を見せた蓬莱に談は思わずときめいた。身体をやすやす持ち上げられ、ベッドに押し倒されて、Tシャツの裾を首まで捲り上げられる。真っ白な肌、乳首やへそに光るピアス、両手で掴みきれそうな細い腰に頼りない面積の黒い紐パン。
人差し指で腹の真ん中辺りをなぞる。くすぐったさにひくっと、皮膚が揺れた。
「いつもいつも言ってるのにズボンは穿いてくれないし、高校生に嘘は教えるし、またこんなえっちなぱんつの談くんには、お仕置きをします」
「は、お仕置きねえ」
なんだよ、と言う前に、蓬莱が身を伏せた。
そして、ちゅうっ、と、乳首に通されたバーベルタイプのピアスを強く吸い上げる。
「痛い」
「お仕置きだもん」
吸い上げるだけでなく、ピアスを上下の歯で挟んで引っ張ったり、強く舌を押し付けて舐めたり、淡い乳輪を総て覆うように噛み付いてみたり。右も左もそうして、談は痛みと快感とで身体をくねらせた。
更に蓬莱は、皮膚にまで強く強く吸いついた。まるで抓られた痕のような、赤い点。いくつもいくつも真っ白な肌に刻まれていく。徐々に下りてへそにたどり着くと、先ほど乳首にしたようないたずらをそこにも。
「やっ、」
談の手が、蓬莱の髪を軽く掴んだ。舌で舐められるとくすぐったく、戯れのように歯で引っ張られると痛みのようなぞくぞくするような快感が襲う。へそが弱い、というのもおかしな話だ、とどこかで思いながら、掘るようにくぼみを舐められて本気で喘いでしまう。
「ばか、ほうらい、やめろ」
「やだ」
逃げを打つ腰を掴んで、執拗に舐める。溝を、ピアスを、周辺を、下腹を。談の喉から漏れる音は、すでに酩酊状態の蓬莱には心地いい音楽のようだった。大好きな談くんが悦んでいる、としか思わない。
「……っ……」
はぁ、はぁ、と、いつの間にか荒くなった息を整える。蓬莱の動きが、突然止まった。
見てみると、腹に頬をつけてすやすや、寝落ちている。酒を飲んで酔って荒ぶって、寝た。談は思わず笑った。見本のような四段階。
重たい身体の下からなんとかなんとか抜け出して、Tシャツを直し、寝顔を見つめる。
「あんな顔もできるんじゃん」
結構ときめいたぞ。
普段も立派な成人男性だと思っていて子ども扱いしているわけではないが、どうしても犬っぽさが先に立つ。ほんわかした、いい男。そんな印象が強かったので、あの雄くさい顔立ちはなかなか新しかった。テレビで見るのとは異なる、性の匂いがより濃い表情。
「かっこいいなあ、お前は」
せっかく談が褒めてくれているのに、蓬莱は大好きな匂いのするベッドに頬を摺り寄せむにゃむにゃと心地いい夢の中。緩んだ寝顔に笑って、布団をかけてやり、狭いシンクで洗い物を済ませる。それから歯を磨いて、どうやって寝るか少し考えた。
結果、ベッドの下で。蓬莱が妙なところで寝ているせいだ。幸い長座布団が敷いてあるので、毛布をかければ割に快適。
ぱちりと電気を消し、横になる。
寝る直前まで、すやすや、幼馴染の寝息を聞いていた。
「だだだ談くんなにそれ、病気?」
「あ? お前がしたんだろ」
「えっ」
翌日、目覚めた蓬莱が談の着替えを目撃してあわあわし、昨晩のことをいまいち覚えていないことを知った。
ほんの少し残念。
そんな気持ちに、談はひとり笑う。蓬莱が涙目で何度も謝ってきたので、頭を撫でて
キスをした。
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