ナツと満和 鼻の頭にキス
ナツ
満和(みわ)
北山と有澤もちょこっと。
*
有澤邸と鬼島邸は隣り合っており、庭は生垣で仕切られているものの、木戸などで繋がっている。有澤はもともとそこにあった家を土地ごと買い、鬼島は山奥にあった豪農の家を丸ごと移築した。土地を探していた際に有澤の家の隣が空いていることに気付き、そこに持ってきたのである。庭を繋げたのも、鬼島が無理やりしたこと。
有澤は最初とても不満だったが、今となってはよかったと思っている。なぜなら、隣の家に泊りに来たナツがいつもやってきて、寝つきがちな満和のところへ遊びに来てくれるからである。
ある、休日。昼下がり。
「みわー」
夏の疲れが出たのだろうか、高熱続きだった満和。下がったばかりで、縁側で日向ぼっこをしていたそこへナツがやってきた。手に梨が入った袋を提げて。満和の斜め後ろには北山が姿勢よく控えているが、縁側からは見えない。
とっとことやってきたナツは満和に近付くと、その鼻先に口付けた。驚いたように目を瞬かせる満和、ほんのわずか目を見開く北山。
「……どうしたの、ナツ」
「談さんが、親しい人への挨拶だよって言ってたから」
「そう……」
びっくりしたのか、浴衣の合わせの辺りへ手をやりつつ目をぱちぱち。北山は微笑んで、足音もなく立ち上がった。台所へ、包丁と皿とを取りに行ったのだ。
満和の隣に座ったナツは、梨を差し出す。
「鬼島さんが、朝仕事行く前に分けて置いて行ったんだ。満和くんに渡してって。お見舞いだって」
「ありがとう。熱はもうすっかり下がったんだけど、身体が重くて」
「そうなんだ。大変だね……」
満和の身体が弱いことは、よく知っている。一年生のときから教室に来ない日のほうがずっと多い。でも保健室にいて勉強を続けたり、学校生活をあきらめてはいないらしい。今日も、傍らに国語の教材が置いてあった。それと一緒に吸入器も。
目がとろりとしていてどこか眠そうだ。熱による疲れだろうか、それとも、咳が止まらなかったのだろうか。疲れているように見えた。
「おれ、邪魔だったら帰るよ」
「ううん、誰かいてくれたほうが元気になる」
満和が、梨をひとつ手に取った。浴衣の袖口から覗いた手首の関節は赤い斑点が浮き上がっていて、その周りが湿っぽく荒れていた。痒いのかな、と思ったけれど、わざわざ尋ねることでもないような気がして、ただ目で追う。
「おっきいね」
「うん。大きいの、持たせてくれた」
ハンドボール大の梨は手に余る。満和はその質感を楽しむように、両手のひらに包んで撫でる。ざらざら、と呟くので、ナツも一緒に手にとってみた。ずっしりと重い。実が詰まっているのだろう。
「絶対おいしいね」
満和が言う。
そこへ、タイミングをはかった様に北山が戻って来た。白いシャツに黒いベスト、黒いスラックスに黒い靴下。いつものように髪を後ろへ流して、その手には包丁やら皿やらを持っている。
「いただきものですが、切りましょうね。ナツさんはもう召し上がりましたか、梨」
「いえ、まだなんです」
「じゃあ、一緒に」
ごつごつとした大きな手が、器用に梨の皮を剥いていく。骨っぽい、いかにも皮膚が薄そうな手を思わず見つめていると北山が笑って、ナツは頬を赤く染めた。
「……ナツ、さっきの鼻にちゅってやるの、みんなにやってるの?」
「鬼島さんと談さんと、満和だけ」
「北山さんにはやらなくていいの」
「えっ」
「自分はぜひやっていただきたいですが」
「えっ」
ふふっと笑う満和の膝を手のひらで叩く。
剥いてもらった梨を食べ、三人で談笑などしていたら、満和がナツのほうをじっと見つめた。
「え、何?」
「じっとりとした気配を感じた」
北山は苦笑い。ナツが振り返ってみると、廊下の向こう、角から有澤が顔を半分出して、うらやましそうにこちらを見ている。いつぞやの鬼島のよう。「お邪魔してます」とナツが頭を下げると、有澤も軽く頭を下げた。大きな身体なので隠れているとはいえない。
「ずいぶん楽しそうだな……両手に花か」
「両手に若い花ですよ。若返る気持ちですね」
「いいなあおい、いいなあ」
「有澤さんも来たらいいのに」
満和のことばに、ひゅんっとやってきた有澤。北山が譲った場所に座って愛しい子どもの頭を撫でる。
「ただいま、高牧くん」
「……おかえり、有澤さん」
満和はゆっくりと身体を動かし、有澤の膝へ手を突いて、その鼻先へ口付けを。ナツはにこにこ、北山はスマートフォンで写真を撮って、有澤は目を白黒。
「あいさつなんだそうです」
満和はしれっと言って、残っている梨に手を伸ばす。しゃりしゃり、ほどよい甘さが水分と共にからからの口の中を潤した。有澤も、何も言わずにぎこちなく梨に手を伸ばす。
「有澤さん、今日もお仕事だったんですね」
ぱりっとしたスーツ姿の有澤を見上げ、ナツが言う。梨を噛み砕きながら頷いた。
「ええ。今日は会合で鬼島さんも一緒でした。もうお家に帰られましたよ」
「お忙しいですね」
「まあまあです。暇よりはましですから、助かります」
有澤は確かに忙しくなければいられないような感じだ。いつもどこか気の抜けたような鬼島とは違い、エネルギーが身体に満ちているような雰囲気がある。体格のせいかもしれないけれど。
有澤と満和と話をしながら梨を食べ終え、冷たくなってきた風に、ナツが立ち上がる。
「じゃあ、おれそろそろ帰るね」
「うん。ありがとう」
「またね、お邪魔しました」
ぺこりと、有澤と北山に向かって頭を下げたナツ。踵を返そうとしたとき、腕に触れる手があった。
「ナツ」
ちゅっと、唇が触れる。もちろん、鼻に。
ナツを見上げて満和が微笑んだ。
「ありがとう」
「ううん」
照れた様子を見せるナツ。美しく整えられた庭を背景にした高校生二人の可愛らしいやり取りに有澤の目が変わる。北山は苦笑いをしつつ、厚みある肩に手を置いた。
「カメラがないのが悔やまれますね」
「ああ……くそっ」
それからしばらく、満和とナツの間で鼻にキスをするのがはやったらしい。
*後日
「満和、おはよう」
ちゅ
「おはようナツ」
ちゅ
「ぐ……っ……」
「あーりん、なにか言いたいなら詰まらせてないで口に出しなよ」
愛らしさのあまり胸いっぱいになる有澤と、それを冷ややかに見る鬼島。今日もなにやらあるらしく、二人揃ってスーツを着込んでいる。
「じゃあ、いいこにしててね」
「大丈夫ですよー」
鬼島邸に珍しく談はおらず、ナツと満和だけ。広い客間で話をしたり本を読んだり、知育パズルなるものをしたり、思い思いの過ごし方。満和は途中でぱたりと眠ってしまって、ナツは毛布を運んできてかけてあげた。痒くならないか不安だったが、どうやら大丈夫だったらしい。
さわさわ、爽やかな風が開けたままのサッシから吹きこむ。秋らしく澄んだ空、朝走るときは寒いくらいの気温。日中は薄手の長袖を着ているとちょうどよく、過ごしやすい。
畳に散らばった異なる色の知育パズルに前のめりとなったナツ、たったひとつしかない完成形を考えつつ、正方形の大きな枠にピースを置いていく。
「ごめんください」
聞こえた声に顔を上げる。時計は、さきほどより一時間も進んでいた。満和はまだ眠っている。その向こう、サッシの外に北山が立っている。
「これ、おやつにどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
満和を起こさないように抜き足指し足、縁側に出て差し出された袋を受け取る。
「ご用は済んだんですか」
「ええ」
「そうですか」
北山は昨日から不在だと、満和に聞いていた。何やら用があるとかで。袋の中は土産物のご当地まんじゅう。地名を見るとだいぶ離れた場所のもの。
「談がいないと聞いたのですが、なにかお困りのことがあれば呼んでくださいね。満和さんが自分の番号をご存知ですから」
「はい。ありがとうございます」
じっ、と、北山が見上げてくる。この角度は新鮮で、思わず見つめ返した。そしてその男前ぶりに、ぼっと頬が発熱する。
「……最近も、満和さんとあいさつにキスされてますね」
「えっ、はい」
「自分にはしてくださらないんですか」
「えっ」
「お嫌いですか」
「いいえ、そんなこと」
くす、と笑う北山。その高い鼻を見つめて、ナツは真っ赤な顔で、口づけを。腰をさり気なく抱かれ、ひっ、と声を漏らす。
「……ナツさんは実にいいですね。素直で、可愛らしい」
ひっそり、低い声が間近で囁く。大人の男が放つ色気というものだろうか、ぐらぐらしてナツは泣きそうだ。柔らかなコロンの香り。やはり男前はいい匂いだ、などと、どこかで考える。
北山は、若々しい肌に唇を当ててから腕を解いた。
「では、失礼します」
ナツはがっしりとサッシに掴まり深いため息。あんなに北山に接近したのは初めてだった。
鬼島さんに怒られちゃう。
ぱたぱた、手で扇いで頬を冷ます。が、意外と柔らかかった、と思ってしまい、ぶり返す熱。
ひとりでばたばたしているナツの後ろ姿を、北山の声で目覚めた満和がこっそり笑いながら見ていた。
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