お友だち(偽) | ナノ

有澤さんと高牧くん 2


 

高牧 満和(たかまき みわ)
有澤 譲一朗(ありさわ じょういちろう)





 両親がいないと言えば同情してくれる人がいて、両親は死んだわけではなくて蒸発したと聞けばより気の毒そうな顔になる。更に借金を残していると言えば言葉を失い、そのせいで表社会に生きていない男の人のもとで暮らしているという事実はとどめをさしたも同然、失神もののようだ。
 これだけ聞けばずいぶん不幸そうに聞こえるようだがぼくは別に不幸だと思ったことは一度もないし、むしろ両親がいたころよりも幸せに暮らしていると言っていい。

 叩かれない、いじめられない、酒を浴びせられたりしない、ご飯をもらえなかったりお風呂に入れてもらえなかったり、何日も極寒の外に放置されたりもしない。毎日親切にしてもらえて美味しいご飯を食べることができて、人に世話をしてもらえて好きなだけ本を読んだり勉強したりできる。
 それから有澤さんのところに来て初めて、持病の呼吸器系疾患が早い段階の吸入薬で治まることを知った。常に最悪の状態になって死にかけていたことが嘘みたいに。


「有澤さん、何か話したいことがあるならどうぞ」


 この平和な毎日を作ってくれているのは、炬燵を挟んで向かいに座っている有澤譲一朗さん。がっちりした熊みたいな人で、一重瞼の眼に淡い茶褐色の瞳、高い鼻筋、薄い唇。黒髪は少々硬めで、ぼくがそんなことを知っているのはしょっちゅうその髪に触れているからだ。最近は特に。
 目が合うと、まるで初恋の相手に見つめられた少年みたいにおろおろする有澤さん。今はもうすっかり見なれて可愛いなと思う余裕ができたけれど、最初、初めて見たときはとっても怖かった。怖くないはずがない。180センチ超え、縦にも横にも大きい大男が厳めしい顔をしてアパートのぼろいドアを蹴倒して入ってきたのだから。


「いや、話したいこと、は」
「じゃあどうして見ているんですか」
「……可愛いと思って」
「……ああ。そうですか」


 冷たい返答になってしまったのはわざとではなく、どう反応して良いかわからなくてついついこんな態度を取ってしまう。有澤さんはまた、ぼくが反応するだけでにこにこ嬉しそうに笑う。大きな男の人がぼくなんかの、うまく返してもあげられない一言で。だからふたり仲良く真っ赤になるのは仕方のないこと。


「高牧くん」
「はい」
「庭に出ないか。今日は天気もいいし」
「はい」


 和服姿の有澤さんに連れられ、庭に面した廊下のサッシを開けて外に出る。広々した日本庭園。のんびり歩いている有澤さんの後ろについていき、広い背中と青い空を見上げた。


「本当に天気がいいですね」
「ああ。もう春だな。この庭も花で満開になる」
「楽しみです。本当にきれいだから」
「今年は向こうにナツさんがいるから、もしかしたら生垣を壊して庭を繋げるかもしれない。花の時期に」


 有澤さんが目を向けた方向、今は濃く木が植え付けられていて様子はうかがえない。ただ、とても立派な日本家屋の二階部分が見えるだけ。その家の主は有澤さんの高校の先輩かつ、所属している広域指定暴力団東道会の関係者である鬼島優志朗さん。一応組長さんなのそうだ。有澤さんと同じ。
 組長と言っても有澤さんのように昔ながらの手段で組をきっちり率いているわけではなく、随分自由な形態で、舎弟や傘下の組のほとんどは企業という形を取っている。東道会の大きな金庫だ。と有澤さん談。
 その鬼島さんのもとに、ぼくの大切なお友だちであるナツがいる。鬼島さんの恋人で、とてもかっこいいし可愛い子。


「ナツがいるなら、もっと楽しい春になると思う」


 ぼくの呟きに振り返った有澤さんは、見下ろして頭を撫でてくれた。大きな手のひらでゆっくり撫でられるのは気持ちが良い。

 有澤さんに出会ったのは、八歳のとき。有澤さんのところに来てから初めてまともに学校へ通い始めた。まともに、とは、もちろん体調がいいときだけだけれど。

 地域の公立ではなく有澤さんが決めた私立に通い、他の高校へ進むと話す周りの子を横目に早々と附属高校へ無試験で進学が決まった。まだ何も、進路の話し合いも始まる前に。有澤さんだなと思ったけれど、お金も何もかも出してもらっているので仕方ない。
 特に期待もしていなかった高校で、ナツに出会った。


 ――そういえば、有澤さんは何も言わない。お金の事。両親が残した借金はどうなったのかとか、返せとも言わなければ話題にもしない。ただ「心配しなくていい」と一言言ったきり。
 お金の代わりにぼくに何かさせるつもりなのかと、最初のころは少し怯えたけれど、そんなこともなかった。

 急に吹いてきたひんやりした風を吸い込み、少し乾いて、けほ、と咳をする。それだけで有澤さんの顔色が変わる。


「大丈夫か」


 有澤さんはぼくが咳をしてもうるさいと怒らないし殴ったりしない。それどころか心配をしてくれる。どうして、と聞いたらとても不思議そうに、当たり前だろう、と返してくれた。有澤さんが特別良い人なのではなく、普通の反応なのだそうだ。となるとぼくの両親はやっぱり普通ではなかったのだろう。


「大丈夫です。少しむせただけですから」
「本当に? もう戻るか」
「いいえ、もう少し、有澤さんと歩いていたいです」


 大きな右手に左手を滑り込ませる。すると優しげに目元を緩めて、横に並んでゆっくり歩き始めた。それに引かれて一緒に池へ。鬼島さんの家の池とも繋がっているらしいが、よくは知らない。中腹あたりに掛けられた石橋の上から中を覗き込むと澄み切った水の中に様々な生物が息づいていた。魚が跳ねる。


「……魚、食べたくなる」
「今日の晩ご飯は魚にするか」


 笑いを噛み殺したような有澤さんの声。しかしそれには、いいえ、と答えた。


「今日の晩ご飯は揚げ物パーティですって、北山さんが」
「揚げ物パーティ?」
「よくわかりません」
「そうだな」


 まあ夜になればわかるがな、と、有澤さん。
 北山さんはぼくがここに来たときからずっとお世話をしてくれている人だ。有澤さんより年上で細身、とっても優しい。体調を崩すとずっと傍にいてくれることもある。怒ると怖いって有澤さんがよく言う。


「あんまり揚げ物されるとにおいで腹がいっぱいになる」
「油のにおいでおえってなりますね」
「外で揚げさせるとか」
「外で揚げたら鬼島さんから苦情来ますよ」
「……ネチネチネチネチ言われそうだな。そっちのほうが嫌だ」


 考えただけで憂うつ、とでも言いたそうな顔をする有澤さんに笑ってしまう。
 鬼島さんは有澤さんにいつも絡み、佐々木さんが来れば倍増。いろいろな昔の話やぼくが知らない有澤さんの話をしてくれる。有澤さんは、決して良い人ではない。そういう過去が妙にぼくを安心させた。


「どうせなら鬼島さん、呼びますか」
「いや。午前中通りがかった時に鬼島さんの日用車がなかったからどこか行ってるかもしれない」
「よく見てますね」
「一応な。どこかに呼びだされるかもしれないから」
「ああ……」


 鬼島さんは時折、唐突に有澤さんを呼び出す。完全プライベートであるときもあれば仕事のときもあって、朝昼晩問わず従わなければならないらしい。大変だ。


「……鬼島さんいないんだったら、別に外で揚げものしてもいいんじゃ」
「……確かに」
「屋外で油使うのってどうなんですかね」
「さあ……料理番に聞いてみるか」


 さわさわ吹く風が心地いい。が、まだ陽が傾くのは早いらしい。話しているうちに日向だった場所が日陰になってしまった。何も言わずに家のほうへ歩き始める有澤さん。

 春はいつも、有澤さんと普通なようでぎくしゃくした関係の中にあった。ぼくはもうずっと有澤さんが好きだったけれど、その感情のやりとりがうまくいかなかったのだ。
 今は少し……いや、大いに変化があったから、楽しく過ごせそうな気がする。

 春の気配のある庭に、急に有澤さんの携帯電話の着信音。
 その音を聞いていつもどこかで聞きおぼえがあると思うのだけれど、いつも思い出せずにいる。冒頭で有澤さんが素早く出てしまうからか。


「有澤です。おはようございます」


 手が放されたので、多分先に戻れということだ、と判断した。家に入り、炬燵にあたる。
 しばらくしてから戻ってきた有澤さんは能面のような顔をしていた。この顔はいつも呼びだされたときにする顔。


「揚げ物パーティ楽しみますね」


 そうしてくれ、と小さなちいさな声で言い、有澤さんは組員のお兄さんの名前を呼びながら着替えに消えていった。今日は一体どんな用事なのだろう。
 炬燵の天板に頬をつけ、目を閉じる。有澤さんがいなくなること、前は何も感じていなかったのに、どうしてか今は少し寂しい。仕事でいないときのほうが圧倒的に多いのに。今日は一日ずっと一緒にいられると思っていたからだろうか。


「行ってらっしゃい、有澤さん」
「行ってくる……あー……」
「待ってますから、ぼく。だから気をつけて、行って帰ってきてくださいね」
「……ああ」


 ふわりと頭を撫でてから家を出て行った。

 その後繰り広げられた揚げ物パーティ(揚げは台所)は、北山さんが達筆で書いてきてくれたお品書きなるものに載っている食品をてんぷらにしてもらう、というもの。ぼくはうっかり有澤さんがいないことを忘れてアイスてんぷらまで楽しんでしまった。
 とても楽しくておいしかったです。
 そう有澤さんに伝えたら少し泣かれた。

 後日、テレビを見ていて流れてきた音楽を聞き、有澤さんが鬼島さん用着信音にしているのがなにかようやくわかった。シューベルト作曲の『魔王』というとんでもないタイトルのクラシックだ。
 さらに佐々木さんの着信音はオッフェンバック『天国と地獄』で、とても忙しい。カステラが食べたくもなる。



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