鬼と天使
優志朗(ゆうしろう)
夏輔(なつすけ)
*
「おとーさん、まだ?」
台所で晩御飯の支度をしていた俺のところへやってきた夏輔さん。きらきらした目をして両手には尻尾を引っ張るとがちゃがちゃと動くあひるを持っている。蓮さんとのお風呂待ち。
ところが、昼間、夏輔さんが表で遊んでいるときに蓮さんから電話が来たのだ。
「あの、夏輔さん」
「なぁに」
「今日は帰ってこられないと、その、電話がありましたよ」
それからの落ち込みようといったらなかった。
たまの休みで家にいるときにはべったりの夏輔さん。いつもは朝晩ちょこっと会うくらいで、ときどき一緒に入ることのできるお風呂をことのほか楽しみにしているのだから仕方ない。
居間の隅っこで膝を抱え、横倒れしているあひるをつんつんしている。唇はむっくり尖りきり、ちゃぶ台の上の食事にも目をくれない。
俺は夏輔さんの横に座って、その小さな肩を抱いた。
「夏輔さん、食事をしないと、お父さんが心配しますよ」
「……おとーさん、いないもん。みてないもん」
夏輔さんは蓮さん関連のことになると食欲が失せるらしい。せっかく大好きな天ぷらを揚げたというのに見向きもしない。むっつりして、お湯の上を走るはずだったあひるにばた足をさせるばかり。
「おとーさん、おれのことすきじゃないのかな」
「どうしたんです。そんなことあるわけないじゃないですか」
「おとーさん、おれより、かんじゃさんがすき」
「……うーん……」
好きではないと思うのだが、仕事だと言ってもこの年の子にはわからないかもしれない。
「……蓮さんが愛しているのは、夏輔さんだけですよ。それは間違いありません」
「でも、じゃあどうしていっしょにいてくれないの」
「……お仕事です」
「おしごと? おれより、おしごとがすき」
「ううう……好き、というか……なんというか」
言い淀んでいると、夏輔さんが俺を見上げた。じっと見つめてくる。
「……わかってるもん……おとーさん、おれがすきなことくらい。でも、さみしいんだもん」
俺の肩へ頭を寄せる。ぐりぐりと、甘える仔犬のようなしぐさで擦りついてきて実にかわいらしい。なめらかな黒髪を撫でる。
「俺がいても、寂しいですか」
「……ううん。優志朗くんがいっしょにいてくれるから、さみしいのだいじょうぶ。うれしい」
そうは言っても目元は今にも泣きそうで、目はうるうるしている。父親というものがどんな存在なのかはいまいちわからないのだけれど、蓮さんと夏輔さんを見ているとなんとなくわかるような気がしてくるから不思議だ。
誰かのかけがえのない存在になれるというのは、それだけで奇跡だと思う。
「……俺もそうなりたいですけどね」
「?」
「いいえ」
頭を起こした夏輔さん。小さくて柔らかな頬を両手で包み、ぷにぷにしながら額に口づける。それから瞼にも。ほろりと、柔らかな涙がこぼれた。
「俺では足りないと思いますが、一緒にいます。いつでも」
「ありがと、優志朗くん」
きゅうっと抱きしめてくれる細い腕。俺の首にしがみついて、夏輔さんはしばらくじっとしていた。
「ご飯食べるね。遅くなってごめんね」
「いいえ。食べたら、あひるも一緒にお風呂に入りましょう」
「うんっ」
真っ赤な目で隣に座ってもぐもぐとご飯を食べる。元気が出たわけではないだろうに、夏輔さんは聞き分けが良すぎる。いい子、というのだろうか、こんな子を。
「夏輔さん、どの天ぷらがお好きですか」
「さつまいも」
「俺も好きです」
「おいしいね。甘くて」
*
目を開けると、あの頃と似たような天井だった。ずいぶん懐かしい夢を見た。
身体を起こすとナツくんが振り返る。
「よく寝ていましたね」
にこにこ笑うナツくんの向こうには天ぷら。
「有澤さんからたくさん野菜をもらったので、天ぷらにしてみました」
「そうなんだ。おいしそうだね。ナツくんは何が好き?」
「さつまいも」
「俺も好きだよ」
「おいしいですよね。甘くて」
隣に座ってぐりぐり頭を撫でる。それから額に口づけるときょとんとした顔。
「ナツくん、寂しくない?」
「? 鬼島さんがいるので」
かわいい。
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