山賊と鬼と天使の共同生活
蓮と幼いナツと鬼島が暮らしているときのお話
*
そのアパートは繁華街のすぐ傍にある。二階建て、階段などは赤茶色の塗装が剥げている上に、足を掛けると不吉な音がする。それでも一階二部屋二階三部屋、併せて五部屋すべてが満室だ。
一階の一○二号室。
居間にしている和室と古いキッチンとを、髭もじゃのむさいおっさんが行ったり来たり朝食の準備。この家の世帯主である蓮だ。繊細そうな名前からは想像もつかないなかなかの風貌。朝まで診療所で働き、そこで少し寝て朝食の準備の為に家へ帰って来た。
食事は必ず共にする。と決めているからである。
開け放たれた庭に面したサッシ、六時半の今もう朝日が燦々と入りこみ、今日も暑くなりそうな気配を醸し出している。さほど広くない室内に聞こえるテレビの天気予報も夏らしい一日だと告げていた。
テーブルの上を見てよしと頷いた蓮、右手側の閉じ切られた襖を勢いよく開けた。
「起きろー朝だぞ」
襖側を頭にし、薄い夏掛けの中に埋もれている人間。右から回りこんで胴体と定めた場所を蹴っ飛ばすと、もぞりもぞりと身じろぎしてようやく僅かに頭を上げた。
「いてえ……」
鋭い目は未だ瞼の下、それでも痛そうにやかましげに眉をしかめ、顔を向ける。その不細工な顔を見て笑った。
「痛くしたんだから当たり前だろ。もっぺん蹴るぞ」
「夏輔さん、つぶれる……」
「はっ、てめぇまた夏輔抱っこして寝たな!? 羨ましいぞちくしょう」
布団を剥ぎとると、白いタンクトップに灰色スウェットのズボンを履いた伸びやかな青年に背中から抱きこまれてすやすや眠る子どもがいた。
それを目にした途端、蓮の熊のようないかつい顔がでれでれと崩れる。頭の方へとしゃがみこみ、豆腐のような手のひらでよしよしと小さな頭を撫で回した。
「はー天使の寝顔だわー超可愛いわー今日も一日これで頑張れそうだわーさっさと起きやがれ優志朗」
「いてぇ」
頭をはたかれ、もう一度寝そうになっていた青年・優志朗は身を起こした。子どもの小さな肩を掴み、そっと揺らす。
「夏輔さん、朝」
「ふぁい……」
動いたもののもそもそもそもそ手で探り、身体をごろりと返し、優志朗の身体にしがみついて身を起こした。首に夏輔の、体温が高く細い柔らかな腕が回り、子ども特有の匂いがする。首に鼻を埋めてすんすん、しばらく堪能。それから抱いて立ち上がる。
よろよろしながら、居間を通って台所の方へ出て右にある洗面台へ。夏輔に顔を洗わせ、少々目が覚めたようだからひとりで居間へ戻らせた。優志朗は自分も顔を洗って鏡を見る。
この家で暮らし始めて半年ほどで随分目元が丸くなったような気がする。以前ほどぎらぎらした目ではない。
腹を刺されてぐったりしていたところを夏輔に発見され、蓮が自らの診療所で治療してくれたうえにそのまま家に置いてくれたのだ。まだ二十歳そこそこなのだから、なんでもいいから出なおせ、と、大学に行く学費まで準備してくれている。今はまだどうするか決めてはおらず、診療所の手伝いをしたり夏輔の面倒を見たり。子どもなんて、と思っていたが、夏輔は見ていて飽きないし可愛くて好きだ。
居間に戻ると、夏輔がいなかった。あれ? と思いつつ、庭に背を向けてテーブルにつく。座布団に腰を下ろすと、熊のような父親の膝に抱きしめられ雄々しく髭を備えた頬にすりすりされている夏輔の姿があった。それでも本人は嬉しそうなのだから謎である。
「優志朗くん、おはよう」
平然とあいさつされ、どういう顔で返せばいいのかわからない。
「おはようございます、夏輔さん……」
「よし、飯食うぞ。いただきます」
「いただきまーす」
夏輔は蓮の隣に座り、その身体に不釣り合いだろう大きめの大人用茶碗でご飯を食べる。それを毎回残さない。隣ではラーメンどんぶりのような大きさの茶碗を持っている父親。ひとり普通サイズの自分がおかしいような気持ちにさえなる光景だ。
朝からおかずの量も半端ではなく、なぜベーコンがあるのに厚切りハムがあるのか尋ねたいし、三人なのに目玉焼きが五個あるのかも謎。鮭は六切れあるし海苔も板、岩、わさびの三種類、漬け物は山盛り、三パック分使っているのでは、と思うような納豆はシラス干しと松の実と梅干が混ぜ込まれ、味噌汁も軽いどんぶり。
半年暮らしていても、この家の食事はいまいち理解できない。エンゲル係数高めである。
「優志朗、お前今日は夏輔と布団干して掃除して遊んで買い物してろ」
「え、手伝いは?」
「いらねぇ。今日のお前の仕事は夏輔と過ごすことだ」
「え、優志朗くん遊んでくれるの?」
きらきらした大きな目で見つめられ、頷く。そんな風に嬉しそうな顔をされると嫌だとは言えないし、そんな気分にもならない。
「買い物、何買う?」
「メモ置いておく」
「わかった」
「お前敬語使えよ。年上だぞこっち。しかも命を救ってやった恩人だぞコラ」
「救ってくれたのは夏輔さんだけどな」
「おめぇなんだ生意気じゃねぇの。あとでケツキックな淫乱小僧」
「その呼び方やめろよ熊オヤジ」
「ああん!? あっちでもこっちでも男女関わらず見境なく手ぇ出しまくってるから刺されたんだろこの尻軽ビッチ」
「男に手ぇ出したのはひとりふたりだっつってるだろ」
「出してんじゃねえかよ」
もちろん夏輔の小さい耳はまるで耳あてのような蓮の手のひらで覆われている。チッと舌打ちをして、手が離された。そうなると話はおしまいだ。
「なんでもいいけどよ、お前身体大事にしろよな。んなでけぇ彫り物いれやがって。別に刺青を否定する気はねぇけど、それなりにリスクもついて回るってこと忘れんなよ」
「わかってるよ」
「はいケツキックー」
こんなやりとりは日常茶飯事で、慣れている夏輔は平然ともりもり食事している。父親と同居人が元気で賑やかで、ほんの少し楽しそうだ。
「じゃあオレ行くからな。あああ夏輔お父さんが帰るまでいい子にしてるんだぞー」
午前七時半、ゴミ捨てついでに蓮をお見送り。立派な腕に抱き上げられ、顔中にキスされたあとに頬擦りをかまされ、笑いながら頷く。
「おとーさん、今日帰って来る?」
「……晩ご飯には一旦帰る」
「わかった。優志朗くんといいこにしてる!」
「優志朗がいい子にしてるか、ちゃんと見とけよー」
「はぁい」
「俺はいい子だよ」
「はいケツキック」
太い足でずっしりとした蹴りが尻に入る。のけぞるほど重く、じんわり痛い。
夏輔を下ろして蓮は徒歩で二十分もしない診療所へ。
優志朗と夏輔は手を繋ぎ、ついでにぐるりと近所を散歩する。
「夏輔さん、今日は何しましょうかね」
「なにしようねー」
「水風船合戦しますか」
「うけてたーつ」
「お昼食べたらやりましょう」
じわじわ温度が上がる中、まだ朝の涼しい風が僅かに吹いている。
「今日はどんな日になりますかね」
「いい天気だってさっきいってたよ」
三人で暮らすアパートへの道を歩きながら、ふたりはいつまでも途切れぬ会話を続けていた。
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