お友だち(偽) | ナノ

情報屋


 

秋(しゅう)
峰太(ほうた)





 波音がよく聞こえる。いつの間にかそれが好きになり、サッシを細く開けておくようになった。閉め切っておくとあまり聞こえないし、開け放しているとまだ寒いので細く細く開けておくだけ。ざぶん、ざぶんと寄せては返す波の音。
 最近は暑いのか寒いのかよくわからない天気で、雨も突然降り出す。何の前触れもなくいきなり空が曇り、大きな雨粒が落ちてくるのだ。そして土砂降り、雷が鳴ったりもする。そうなると海が荒れるので、急いで引き上げてくる、波に乗る人々。

「最近の午後はまともに波に乗れた試しがねえな」
「峰太は朝早くに乗ってるじゃん」
「そうだが……波があんまりよくねえ」

 シャワーを浴び、二階へやってきた峰太が、秋に抱きつきながらそんなことを言う。午後は店を閉めてから海へ出て、雨のせいで短時間で帰ってくるので家にいることが増えていた。その間、峰太は秋にくっついて過ごすことが多い。秋が峰太にくっついている時間も長くなっていた。
 今日も、おやつにクッキーを食べている秋の右側に峰太がいる。黒縁眼鏡をかけて読書中。一度覗き込んでみたが英文で何やら書いてあり、とても読むことができなかった。峰太は英語もできるのか、と思ったが、できるか、と納得した。海外のメーカーともやり取りしているくらいなので、それなりにできるに違いない。

「英語……うう、頭が割れる……」

 ごろごろと大きなチョコチップが入ったクッキーを食べながら、秋が唸る。ははっと峰太が朗らかに笑う声。にゅっと太い腕が伸びて、秋の腰を抱く。

「必要ができたら覚えりゃいい。だからそんな唸るな」

 峰太は秋に対していつでも優しい。なので、クッキーを食べ終えて肩へ頭を預けるのももうためらいがない。腰を抱いていた腕が離れて、頭を大きな手に撫でられる。もふもふと髪を撫でられるのは気持ちがいい。
 細く開けたサッシから波の音と、雨の音がする。室内へ吹きこまない程度に開けてあるのでぱたぱたと窓を叩く雨だれの音が聞こえた。静かで穏やかな午後である。

「……音がする」
「ああ。雨と波の音だ」
「そうじゃなくて、砂浜を歩く音」

 頭を撫でる手を止め、峰太が耳をすませた。そのとき、どんどんと階下のドアを叩く音。

「お客さん」
「……変な人、ではなさそう。なんか聞いたことある」
「よしよし。優秀で何よりだ。英語を覚える必要もない」

 ちゅう、と額へキスをして、峰太がぎしぎしと階段を下っていく。

「お前は雨の日に来るのが趣味なのか? 真秀」

 勝手口を開けながら言うと、外に立った男前が笑う。

「雨の日が多いですからね、最近」
「風邪ひくぞ」

 肩を抱き、中へ迎え入れる。キッチンで北山真秀の頭にタオルをかぶせた。髪をセットしていないところを見ると何らかの急ぎの用事か、ただ疲れてやってきただけか。北山が水気を拭って話し出すまで、峰太は待った。

「今日は峰太さんではなく、秋さんに用事があって参りました」
「珍しいな。お前が秋に何の用だ」
「知っていることを教えてもらいたいな、と」
「……あれが知っているのは古い情報だ」
「いえ、秋さんの中にあるのは最新情報のはずです」

 最新情報。
 峰太の目が細められ、途端に迫力が増す。しかし北山はそれを平然と受け流した。太い腕を組み、壁にもたれる。

「秋は何も知らない」
「聞けばわかります」

 北山の目が動く。それに伴い、峰太も振り返る。

「何が知りたいの、真秀ちゃん?」

 秋がいつの間にか、階段を下りきったところに立っていた。頼りない細身の秋は、今はもっと頼りなく見える。北山に対して少し怯えているようにも見えた。

「お尋ねしたいのは、最近の弁天町の薬事情です」
「弁天町? あそこは東道会のシマでしょ」
「それが、得体のしれない薬が流れているようで」
「ふーん……昔からある薬だったら、東道会の網に引っかかる。だから新薬か。そうなると右弁天のバー『グイダオ』周辺、それから診療所周辺を洗えば何か面白いことがわかるかも。様子のおかしい人たちはその辺りで見られるはず」

 わかりました。と北山が頷く。

「先日、優志朗が引っ張られたって聞いたんだが。本当だったんだな」
「ええ。それで、東道会も動いています。主に虎谷が穏やかではいられないようで、こちらもやるべきことをやる必要が出てきました」

 そりゃそうだろうな、と峰太は頷いた。薬がらみ、鬼島優志朗がらみ、とあっては放っておけない問題だ。息を吐いて秋を見る。

「秋、お前には後で聞きたいことがある」
「ふぁい」

 きゅっと渋い顔で応じた。怒られる、ないしは追及されるとわかっている顔なのだろう。

「では、自分はこれで。用事が済みましたので」
「また来いよ。今度は仕事抜きでな」
「はい。寄らせてもらいます」

 北山は、雨が強くなった外に出て行った。
 さて、ふたり残された室内。秋はなんとなく、不安そうにそこに立っている。

「座れ」
「なんか事情聴取みたい」

 へらりと秋が笑うが、じっと峰太に見つめられて真顔になる。それからばつの悪そうな顔になった。叱られた子どものような表情だ。

「……あのう、峰太、怒ってる?」
「怒っちゃいねえが、どこでどういう風に情報に接触したんだかな、って思ってる」

 峰太の表情が顔から落ちると非常に迫力がある。秋は久しく忘れていたのだが、決して人相が穏やかなほうではないのだ。なのでこうして無表情でいられるとそれだけで追い詰められたような気持ちになった。

「お前のことは結構見てる方だと思ったんだが。まさか俺の知らんところでまた触ってるとは思わなかった」
「うーん……なんと申しますか、情報は持っているだけで武器になるから……おれのこと、そっち側に引っ張ろうとする人もいるしね。そういうときに、情報渡すから勘弁して、ってできるのがお得というか」
「引っ張ろうとするようなやつがいたっつーことか」
「うん、まあ、ね。峰太がいないときに」
「海に出てるときとかだな?」
「うん」

 峰太がじっと見つめてくるので視線も外せず、居心地が悪い。
 疑問に満ちた声から察するに、この浜をそんな怪しいやつがうろうろしていたとも思えないが、と言っているような気がする。
 確かに、直接ではなかった。
 けれど、接触はあった。
 それで情報だけは集めたのだが――こんな形で峰太にばれるつもりは、秋にはなかったのだ。峰太にきちんと話して、理解を求めるつもりだったのである。

「で? 情報の出どころはどこだ」
「あ、そこも気になっちゃう感じ?」
「気になるだろ」
「……再確認するけど、峰太、怒ってる?」
「怒ってねえ。己の不甲斐なさには腹ぁ立ててるがな」

 はぁ、と息を吐き、初めて圧倒的だった視線が外れた。
 つられてそちらを見る。窓の外はまだまだ荒れた天気であった。
 室内の空気を表しているかのような荒れっぷりに、秋はなんとなく、逃げる場所がないなあ、と思っていた。元より峰太の傍から離れる気はないが。怒られようと愛想をつかされようと、秋としてはもう峰太に付きまとうほか、ない。それ以外に生きる意味がよくわからなかった。

 そう思うと、自分は峰太に密着してしまっているなあ、と笑ってしまう。

「そんな笑い方、すんな」

 いつの間にか峰太がまた、秋を見ていた。
 頬に手をやる。むに、と自分でも思う柔らかな頬を押しながら「どんな笑い方?」と聞くと、峰太の手が伸びてくる。

「自分で自分を嘲笑うみたいなの。それはよせ」
「……峰太にはなんでもわかっちゃうんだねえ」
「そうだな。秋のことなら割とわかるかもしれねえ」

 うう、と秋がうめく。
 温かな手に頬をむにむにされ、優しく笑いかけられるたびに、やっぱり離れられないなと思わされるのである。じわじわと喉が苦しくなるのにやめられない。

「峰太」
「ん」
「ごめん……」

 秋が泣きそうな顔をしているので、こんなに弱るのは初めて見るな、と峰太は考えていた。ひとりで行動していたのは構わないし、これからもどこへでも自由に遊びに行ってほしいと思うが、そういう世界に、自衛のためにでも触れるというのは躊躇いがある。
 秋としては自分で問題を解決するための方法だと思ったのだろう。そして実際にそれが役に立ったわけだが、情報を持っているというのは諸刃の剣だ。知っているということだけで悪になってしまう可能性もあるのだから。

「秋」
「はい……」
「俺ぁ、お前に降り掛かるなら火の粉でもなんでも払ってやる。犯罪すれすれだろうがギリギリアウトだろうが、人埋めても構わねえ。だからひとりで抱え込むな。解決しようとするな」

 報連相しろ、と言うと、ほうれん草……おいしいね? と返されたので「報告連絡相談」と言い直す。

「今回は真秀の役に立ってくれて、まあひいては鬼島優志朗の役に立ってくれてありがたかった。だがな、これっきりにしろ。なるべくそっちの世界とは色々と距離を置いてもらえるとありがたい」
「でも、そうしたら峰太に迷惑がかかるかもしれないし」
「迷惑じゃねえ。秋、お前変なところで遠慮するな。んで、変なところで思い切りがいいのもよせ。そっちのが心配になる」

 秋はいまいちわかっていない顔をしている。

「俺は秋ひとりの人生背負ったって倒れたりしねえ。重たさがどうであろうと一生背負ってやる。負担だって考えるなら余計なもんは全部捨てろ」
「余計なもん……なのかな……」
「どう思う」
「……うーん……万能熊さんほーたが一生守ってくれるならいらない、かも」
「守りはしねえが、振り払うくらいのことはしてやる」
「強そう」

 ふは、と秋が笑う。それでいい、と峰太は思った。

「で? どこから情報得た」
「あ、話は戻るんだ」
「一応な」
「うう。あのう……弁天町にちょっと……話のタネになる人がいて」
「ふぅん?」
「今度からはお茶飲み友だちということに」
「そうしろ」

 峰太とそんな話をした翌日。
 秋は手紙を書いて投函した。それが弁天町に届いたのは翌々日のこと。

「はっは、これからはお茶のみ友だちでよろしくお願いします、か。面白いことを言う」

 全てを知っていて、しかし高みの見物を決め込み口に出さないその人は、煙管を片手に手紙を読みながら笑っていた。

 今日も午後から雨が降っている。
 峰太の膝に頭を預けてごろごろしながら秋は「高いなあ」と文句を言った。
 


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