弁天町いけめん探訪
紳(しん)
真遠(まとい)
聖(ひじり)
結人(ゆいと)
睡(ねむり)
***
休みの鬼島が遅く目を覚ますと、既に隣にナツの姿がなかった。夏は特にいつものことであるので、今日も早起きして草むしりやら庭木の水やりやらにいそしんだのだろうと居間へ行く。勉強している姿があると思いきや、そこには誰もいなかった。
居間を通り過ぎ、その先にある角を曲がって奥まった部屋、談の自室へ。一応のマナーとして障子をバンバン叩いた。
「はーい」
「入るよー」
「どうぞー」
そんなやり取りを交わした後、障子を開ける。畳に正座して何やら書いていたらしい談が文机から顔を上げた。
「おはようございます!」
爽やかにあいさつをされ、うっ眩しい、と目を眇めながらおはようと返す。
「ナツくんは?」
「鬼島社長が寝ている間にお出かけになりましたよ。8時頃、お家を出ていきました」
「ひとりで行かせたの」
眼鏡のない鬼島の冷たい眼差しが談を貫く。まさか、と談は笑った。鬼島の目には少し慣れている。
「弁天町駅で真遠さんが待っていると言っていたので、車でお送りしました」
「ふーん。それならいいけど」
里帰りか、と思えば別にいいかという気持ちになる。一日自由にさせておこうと思いつつ、携帯電話のGPS情報をオンにしてあくびをひとつ。夜には帰ってくるだろうし、来なくとも弁天町ならば安全だ。
「俺も出掛けるから、あとで車回して」
「わかりました」
ぽりぽり、浴衣から覗く首筋を掻きながらそう言い置いて、ふらり気配もなく立ち去った。
***
「優志朗くん、目が覚めたかなあ。一応メッセージをば」
座り心地の良い椅子に座り、さっそく携帯電話を取り出して画面をたぷたぷするナツを苦い顔で見ている真遠と紳。
「夏輔が好きならいいけど、俺たちはまだ納得してないからね」
紳が、涼し気な目をなおさら細めながら気に入らない風に言った。
「なんで鬼島優志朗なの?」
「優志朗くんいい人だよ。優しいし、穏やかだし、ご飯いっぱい食べるし」
ナツのきらきら笑顔を見ては、あまり文句を言う気になれない。言いたいことは山ほどあるが飲み込んで、窓辺の別の椅子に座っている真遠と目を合わせて音もなく深いため息をついた。
「『髪を切りにきました。夜にはたぶん帰ります』と……よしっ。しーちゃんよろしくどうぞ!」
「はいはいーこちらこそよろしくお願いします」
弁天町にある人気サロン。派手な髪からいわゆる通常のカラー、夜のお仕事の方々のヘアセットまでなんでも引き受ける店だ。そこの店長が紳であり、幼い頃から蓮と共に髪を切ってもらっていた。
「そろそろカラーしてみないー? 色入れた夏輔も見てみたいよ」
長さを見ながら鏡越しに紳が言う。端正な顔が近付いて少しどきどきだ。
「おれは黒が好きだから黒で通すよ!」
「そうー残念。でも夏輔のつるつるサラサラなこの髪も好きだからいいけどね」
長い指が髪を梳く。
「さ、今日はどうする?」
「いつもくらいの長さにしてください」
「わかりましたー」
作業に入った紳と、鏡を見つめているナツを見ながら真遠が、そうだ、と言う。
「紳くん、最近何か変わりあった? 弁天町で」
「苦情通りでこの前開店したバーのオーナーが新しく箱開いたことかな」
「手広いねえ。移籍する子が多いって聞いたけど」
「お給料がいいんだってー他の店の倍は出してくれるとか」
「ふーん、やばいことにならなきゃいいけど」
「他のお店も結構優良店らしいから大丈夫なんじゃないー」
しゃきしゃきと鋏の音がする。
この音と、真遠と紳が話している声を聞くと寝てしまいそうになるナツ。安心感や懐かしさがそうさせるのだとわかっている。幼いころから切ってもらっている紳は優しい声をしていて、真遠は少しだけ硬質な声。そこに鋏の音が入ると最高の子守歌だ。
「なつすけー? 寝てもいいけど気を付けてね」
「ふぁい……」
うとうと、しかし頭が動かないナツにふふと笑った紳は、うるうるつやつやで少し硬めの髪を切りながら真遠と小さな声で話を続けた。
「それから、左弁天の七条にあるROARに新人入ったってね。即指名一番だって」
「ROARで? ふーん。凄いじゃん。そんないい子?」
「俺もまだ直接会ったことないんだけど、クール系の男の子だそうだよ」
「む、いけめんの話?」
ぱっちり目を開けたナツ。真遠が「そう、イケメンの話」と返すと、ますます目が輝いた。
「どんな人?」
「昔もこの辺りにいたっていう噂聞いたから、夏輔も知ってるかもしれないよ。結人くんだって」
紳の言葉に、ゆいと、と真遠が呟く。ナツは首を傾げながら「ゆいゆいかな? いやでもお名前が変わっている可能性も……」言いつつ、唸る。うむむ、わかりませんぞ。という結論に達し、見に行くかーと真遠が言った。
「マスターはもう把握してるだろうけど、俺もこの町の変化は知っておきたいし。新しい人来たなら顔見知りくらいにはなっておきたいしな」
マスターと真遠、睡はこの町では有名で、顔役のようなものだ。話がまとまらない、なにか小競り合いが起きたときに駆り出されて仲裁したり話を聞いたりする。それゆえ、小さな町の変化にも敏感だ。とりあえず会いに行くか、同僚が顔を見せに連れてくることが多い。
「夏輔、顔見に行く?」
「行くっ」
「おっけー。じゃあこの後お邪魔しよう」
髪を切り、シャンプーをしてもらい、セットをしてもらい。
「すっきりしました。ありがとうしーちゃん」
「どういたしまして。また来てね。いつでも待ってるよー」
ちゅ、と頬に軽くキスをされ、ぼわわと真っ赤になるナツだった。
真遠に連れられ、昼前の弁天町を歩く。紳の店があるのは大通りの右弁天二条なので、明るくて整然と建物が並んでいるが、四条、五条と通りを過ごすごとに店が雑多になっていく。それは大通りをはさんだ左弁天も同じだが、右弁天よりは店舗らしい店舗が多い。主に風俗店や飲食店だ。
七条まで歩いていくのはあまり遠くなく、散歩にちょうどいい程度の距離だ。
真遠と手をつないでとことこ歩いていると、ちょうど昼ご飯を食べていた人々が店から手を振ってくれたり声を掛けてくれたりする。それに言葉を返しながら、七条に着いた。
「相変わらずおっきいですなあROARは」
ナツが店を見上げながら言う。一見すると、なかなかホストクラブには見えない。おしゃれなカフェでも入っていそうだ。実際、一階二階はオーナーの趣味でカフェになっている。三階四階がぶち抜きでホストクラブ。広いフロアとちょっと変わった内装も人気で、揃っているホストもなかなか個性派である。
「階段で行こ」
「えー……まーくん体力ないんだよな」
「四階まではきつい?」
「きつい。だからエレベーターで行こう」
エレベーターに乗り、三階を押す。ナツはふんふんと楽しみそうにしている。
「あ、でも急に行っても会えないんじゃない?」
ふと言えば、真遠がにやりと笑った。
「ROARのオーナーに話はつけた。結人くん連れてきておいてね、って」
「いつの間に」
「んー、夏輔がうとうとしてる間に?」
謎めいた笑みを浮かべたかっこいいお兄さんの後ろで、ドアが開いた。
「待ってたよ、夏輔、真遠」
「はっ、聖くん。こんにちは!」
「はいこんにちは」
きらびやかな、と思いきや、シンプルな内装の白で統一されたリビングのような店内に聖がいた。そこでナツは思い出す。
「ここのオーナーって、聖くんだったっけ」
「ようこそROARに。今度は営業時間内に来てね。俺がたくさんおもてなしするから」
にっこりと色気たっぷりに笑いかけられて、ナツは恥ずかしそうにもじもじ。真遠の後ろに隠れるようにする。そういうところは変わらないのだな、と思いつつ、真遠は「結人くん、いる?」とたずねた。頷き、結人、と低く艶やかな声で呼ぶ。
「初めまして、結人です」
奥の方からやってきた結人は、いかにも寝起きという顔をしていた。眠そうに瞬きをしている。
「初めまして、真遠です。ごめんね、急に会いたいだなんて言って」
「いえ、別に。寝るだけだったんで大丈夫です」
クール系と聞いていたが、人好きのしそうな笑顔を浮かべてみせる辺り、人には優しい印象を受ける。確かに無表情でいればそれに属するのだろう。なるほどギャップ、と真遠が納得していると、ひょいと顔を覗かせたナツが「ゆいゆい……?」と声を出した。結人はしばらくナツの顔を見つめて、それから「夏輔?」と首を傾げる。
「やっぱりゆいゆいだったんだ」
「大きくなったなー」
てててと近付いたナツの頭を両手でわしわしと撫でまわす結人は嬉しそうな顔をしていて、ナツもとても嬉しかった。昔の、幼いころの記憶と変わらない。よく声をかけてくれた近所のお兄さん、である。
真遠はなんで自分が覚えていないのかわからなかった。大体の人間は去って行った者も含めて記憶にあるのだが、結人については全く覚えていない。けれどナツがゆいゆい=結人だと言うならばそうなのだろうし、記憶に違いはないはずである。
なにしろ、ナツは弁天町一の面食いだ。
幼いころから老若関わらず美形に囲まれて育ち、お顔がよろしい人間の中でも特にいい人間にしか膝の上に乗らなかったり挨拶をしなかったりと非常にわかりやすかった。なので、ナツの記憶は疑う必要がない。
「ゆいゆい、昔はド金髪じゃなかった?」
「今は黒髪で通してるんだよ。夏輔と同じ」
微笑みかけられてほわりと頬を染める。こんなところをあの鬼島優志朗が見たら「ナツくん! 浮気!?」と騒ぎ立てることだろう。いなくてよかった。
「元気そうでよかった」
「夏輔も。色々あったみたいだけど……あ、結婚おめでとう」
「ありがとう! おかげさまで幸せにやってまするー」
「よかったよ。俺もなんだかんだ元気にやってるから。この後、時間あれば飯でも行こう。聖さんのおごりで」
「なんで俺。自分で出しなさいよ」
ナツが「ご飯!」と目を輝かせたので、聖が折れた。
そうして四人連れ立って、昼ご飯を食べに行ってそこで積もる話をした。結人はいろんな町を流れたけれど結局弁天町が一番居やすくて戻ってきた話。ナツは蓮との別れと鬼島の話。真遠はその話を聞きながらおぼろげに思い出してきた。結人という存在を。
確かムジナ近くのアパートに住んでいて、ナツがよく懐いているひとりだった。金髪でもっとピアスじゃらじゃらの出で立ちで、印象が少し違ったのが思い出しにくかった原因だったようだ。
「おいしかったー。聖くん、ありがとう」
「夏輔が満足ならそれでいい。結人、お前の給料から引いておくからね」
「ひどい。従業員虐待だ」
結人と聖も仲が良さそうでナツは安心した。またちょこちょこ会おうね、とお別れしたのは夕方のこと。
さて帰ろうかなあ、と駅の方に向かうナツと真遠。しかしその後ろからぬるり、手が手に触れた。ひやりとした感触に振り返れば。
「ね、ネムちゃん……」
「冷たいんじゃないか、夏輔。弁天町に寄って行ったのにネムちゃんに会いに来てくれないとは」
よよよ、と泣く真似をしてみせる睡。明るい茶色の、緩やかに波打つ髪がふわりと風に揺れた。派手な絵柄の着物を着ていて、薄暗くなり始めた今もなお目立つ白地。長めの前髪の下から覗く瞳は不思議な光を宿している。
真遠は、はーと息を吐いた。
「睡さん、昼間は寝てるでしょ? 邪魔しないようにと思ったんだけど」
「夏輔が来たとなれば話は別だ。おれだって顔を見たい」
睡は弁天町で一番大きな楼で主をやっている。いつもだらりと着物を着ていて、その独特な存在感からあまり友人は多くない。色気のようなものが全身から漂っており、きれいではあるがナツは苦手、いや好きなのであるが、なんだか恥ずかしくて目を直視できなかった。幼いころからそうである。
「ネムちゃん、久しぶり……」
「夏輔、時間があるならおれのところへ寄って行かないか」
「夕飯までに帰らないといけないから、時間ないってよ。また今度ゆっくり」
真遠の助け船に心から感謝しつつ、ぶんぶんと首を縦に振る。そうか、と至極残念そうに言うので良心が少々痛んだが、睡と話すにはいつも時間が必要だ。
「ならおれも駅まで見送ろう。いいだろう?」
「う……ありがとう……」
素足に下駄を履いた睡の足音が隣からからころと聞こえる。手はがっちり掴まれたままだ。一向に温かくならない、痩せた睡の手。ナツの内心は「ひぇー」である。二重の意味で。
ようやく、といった心持ちで駅に着いた。
「今日はありがとね、まーくん。ネムちゃんも、また」
「またな、夏輔」
真遠にぎゅっとされ、見れば睡も目を輝かせて両手を広げている。おずおずとそこに入り込むと、ぎゅうと強く抱きしめられた。睡も昔から可愛がってくれてはいるが、なんだかいつも恥ずかしい。睡からは高級そうなお香のような香りがした。
*
「ただいまでーす」
「おかえりなさい! ナツさん」
「うっ、家にもまぶしいいけめんが」
「今日はたくさん見てきましたか」
「おかげで目が癒されました」
「それは何よりでした。新しい髪型もお似合いですよ」
「えへへ」
出迎えてくれた談と話しながら居間へ行くと、鬼島がだらんと座ってニュースを見ていた。
「おかえりナツくん。髪の毛短くしたの? 可愛いね」
「ただいまです」
ぴたりと鬼島にくっついて座り、肩に頭を預ける。
「どうしたの、疲れた?」
「いいえ。あのう、優志朗くんは安心するなって思って」
最後の最後に睡が出てきてしまったので、どきどきと跳ね上がっていた心臓が落ち着くのを感じる。鬼島の隣はやはり楽だ。弁天町も息をしやすいけれど、鬼島の隣も良い。
髪をなでなでされ、ナツはふふふと嬉しそうに笑った。
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