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昔の男、現る


 

「ここがカフェ・バァルーか」

 ひとりの男が、携帯電話の地図を片手にカフェの前に立つ。手荷物は何も持っておらず、サングラス、深い緑のTシャツに白のハーフパンツ、ビーチサンダルという今の季節にふさわしい軽装だ。実際、波乗りの人で賑わう海辺でも浮いていない。
 カフェの白いドアには『海にいます』という札が掛けられていた。営業時間中のはずだが、波が良かったのだろう。ひょいと後ろを見ると、ひと際目立つ巨体が波に乗っているのが見える。あれが噂の有澤峰太のパワープレイか、と心の中で呟き、ドアを開けた。鍵が開いているというのは事前に情報を得ている。
 からん、と音が鳴った。
 一歩踏み出すと、足元の白い床がきしりと音を立てる。
 カウンターの背が高いスツールに、後ろ姿を見つけた。懐かしい、薄っぺらい背中。

「秋」

 名前を呼ぶと、振り返る。そして――とても嫌そうな顔をした。

「どうやってこんなところまで来たの」
「知ろうと思えばいくらでも知る方法があるんだよ。怖い世の中だね」

 携帯電話を顔の横で振り、にこりと笑ってサングラスを外す男。
 黒髪に青みがかかった目が印象的な背の高い男だ。痩せてはいないが、峰太ほど筋肉質でもない。顔は整っているけれど、なんとなく陰気な雰囲気が漂う男だ。

「何か飲みたいな」
「ほーたがいないときに物を弄っちゃいけません。だから早くお帰りください」
「そんなこと言わないでよ」

 なんなら二階に上げてくれてもいいんだよ? と男が席のひとつに座りながら言う。

「プライベートゾーンに人を上げちゃいけませんって以下略」
「冷たいねえ。有澤峰太はもっと情がある男だと思ってたんだけど」
「俺には優しいけどね」

 ふん! と鼻を鳴らす秋。だから早くお帰りください、と同じ言葉を口にする。しかし男は微笑んだまま動く気はなさそうだった。

「せっかくだから有澤峰太に会いたいな。早く帰ってきてくれるよう呼んできてよ」
「ほーたは会いたくないって。だから見つかる前に早く帰って」

 平行線。
 男には全く話が通じていない。はふー、と秋は溜息。

「ねえヒュンシク、本当に何しに来たの? 暇で来たわけじゃないでしょ」
「秋の顔が見たくなって」
「そっちの世界にはもう戻らないよ」
「顔が見たくなったって言ったでしょう。本当にそれだけ」

 ヒュンシク、と呼ばれた男は足を組み、悠然と笑う。

「ほーたに見つかると本当にまずいから、早く帰ってよ」

 秋の願いむなしく、勝手口のドアが開く音がした。
 ああ、と思わず呟いて髪を掻きまわす秋。目を輝かせるヒュンシク。

「ただいま、秋」
「ほーた、おかえり……」 
「そちらさん、どちらさんだ? 知り合いか」
「知り合いっていうかなんていうかあ……」

 目を逸らしながら言う秋に、峰太が怪訝な顔をしつつ、目を細める。

「……先にシャワー浴びてくる。それからじっくり聞かせてもらうかな」

 峰太がシャワーを浴びている間の時間は針のむしろの上にいるようだったし、いつもと同じ時間であるはずだろうに長かった。その間ヒュンシクはご機嫌で鼻歌を歌ったりして、峰太の登場を待っているらしかった。それがまたいらっとさせる。

「お待たせした」

 着替えた峰太が髪をくくりながらやってきた。秋の隣に立ち、柔らかな表情で見下ろしてくる。

「で、あちらさんはどちらさんだ?」
「……あのう」
「有澤峰太さんですね。ずっと会いたかったです。初めまして」

 するりと立ち上がったヒュンシクが近付いてきた。近付いてくるなよーという秋の声も無視して。

「ユ・ヒュンシクと申します」
「有澤峰太です。初めまして。そんなに会いたいと思われていたと言われても、俺はあなたを存じ上げないのですが」

 峰太の言葉はもっともで、秋はああと情けない声を出している。
 ヒュンシクは笑顔で、ハーフパンツのポケットに手を入れた。

「国際連合薬物並びに国際犯罪事務所東洋支部所属、柳 炯植です。こちらの秋さんのことをずっと追っていた調査官です」

 黒い手帳に入った英字の身分証を横にして見せる。顔写真も入っているそれをよく確認した峰太が、警戒をひとつ解いたのを秋は感じた。

「峰太さんのお噂はかねがね聞いていました」
「やめてください。過去の話は好きじゃないんです。だから今はカフェのオーナーとして扱っていただきたい」
「……残念です。聞いてみたいことはたくさんあったんですけど」
「何を話す気もありません。すみませんが。何か飲みましょうか」

 レモンやミントが入った水のボトルを出した峰太、その隣に秋、峰太の向かいにヒュンシクという形で席に座り、水を飲み干したヒュンシクが首を傾げた。

「まさか峰太さんと秋が一緒に暮らすようになるとは」
「それは俺も驚いているところだ」

 敬語はやめてください、と言われたので普通に話すようになっている。
 秋はヒュンシクが余計なことを言うのではないかとひやひやしていた。過去のことを全部知っている奴に、峰太に向かって語られたくない。

「ヒュンシクは秋をずっと追っていた、と言っていたが、今も警戒は解かれていないのか」

 肩をすくめる。

「それはもちろん。プッシャーとしては人脈とシマの広さが段違いでしたから」
「調査官は逮捕権はないはずだ。各国の捜査機関と連携して売人を追う。そうだろう?」
「そうです。だから今回は休暇を取っているただの一般人でもあります。秋に接触すると知られたら、もっとわらわらいっぱい来ますよ」

 わらわらいっぱい調査官が来られても困るな、と苦笑いの峰太。さっきから秋は胃が痛くて仕方ない。

「もう俺の顔見て気が済んだでしょぉ……帰ってよ……この通り元気に健康的にやってるからさ」

 峰太が秋を見下ろす。なんかあるな、と気付いている顔だ。

「なんか話されたくないことでもあるのか」
「……黙秘」

 秋の様子を見て、にこりとヒュンシクが笑う。

「秋をずっと追っているうちに、好きになってしまいまして。足を洗った後、何度か寝床になってやったことがあります」

 ヒュンシクー! と秋が心の中で叫ぶ。ほう、と峰太が頷いた。

「なるほど。好きになった男でも探すかな、とは思ったが、まさか出向いてくれるとは思わなかった」
「それは言わなくてよくない……? よくなかった……?」
「峰太さんと同じ人を好きになったことが嬉しくて」
「どうやら俺の熱狂的なファンらしい」
「そうなんです」

 かっこよかったですから。あ、今でもかっこいいですけど。
 秋を見下ろす峰太の目が怖い。嫉妬、などではなさそうだが、とりあえず目が怖い。

「秋、どうしようもない男だらけだって言ってたが、そうでもないやつもいるじゃねえか」
「これも結構どうしようもないよ……?」

 一応言っておくけど、と秋が挟む。

「肩書がご立派なだけでその辺の人と変わらないもん……ほーたは除く」
「俺は除いてくれるのか? 嬉しいねえ」
「ほーたはまともで優しくてかっこよくて素敵だもん」

 いちゃいちゃを目の前にして、ヒュンシクがにやにや笑いを浮かべている。早く帰れよと再三言われた彼は、夕飯を食べてようやく帰って行った。峰太の昔の話は聞けなかったが、最近の話を聞けて嬉しそうに。

「……あれが昔の男だったのか」

 筋骨隆々とした腕に後ろから抱かれ、えへへ、と乾いた笑いを漏らす。

「今はなんともないからね!」
「知ってる。だけどあっちはあわよくば、って顔してたけどな」
「そんな顔してた?」
「してた」

 だから余計にいちゃいちゃエピソードを話していたのかもしれない、と今更気づく秋。
 ヒュンシクを見送りながらついでに海辺を散歩した。手をつないで、夜の海を。

「秋、どこにも行かせねえからな」
「どこに行く気もないから安心していいよ」

 海辺に住む人々の民家から明りが漏れ、浜辺を淡く照らしている。
 頼りない明りの中でも、峰太は格好良かった。野性的な男前だ。

「また現れそうだな、あの男」
「現れたらしっしってしていいと思う……」
「俺は嫌いじゃねえが、秋が良くないと思うなら早々にお帰りいただくか」

 そんな話をしながら、ふたりでしばらく海辺を歩いていた。

 


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