お友だち(偽) | ナノ

書きたいところだけ


 

貢川崎 桓(くがわさき かん)
安双 琥珀(あそう こはく)





「可愛いねえ」

 大きめな声でしみじみ言うと桓くんが顔を上げた。なんか言った?と問い掛けてくる。「可愛いって言った」と返すと恥ずかしそうにはにかむ。それがまた愛らしくてたまらず、隣へ行って椅子に座った。
 肩を寄せ、読書を邪魔することがわかっていながらぐいぐい。
 本を置き、なに? と笑う。

「可愛い」

 と頬に口付ける。
 桓くんは初々しく耳を赤くして、早めに瞬きをした。「桓くんは僕をどう思う」と尋ねると、少し考えたあとに「かっこいいと思う」と言い、それからまた考えて「いや男前? すらっとしててさらっとしてて」となんとか感覚を言葉にしようとしているのか、あれこれ表現を重ねる。
 ひとしきり聞いたあとで「わかった。ありがとう」と伝えた。
 思ったよりも僕の容姿に対する評価は高いらしい。
 ありがたいような、照れくさいような。

「お茶、飲む?」
「うん。緑茶がいいな」

 桓くんのリクエストを受け、緑茶を求めてキッチンへ。貰い物のいいやつがあるのでそれにしよう。
 棚を開けると、見慣れない茶筒がひとつ増えていた。桓くんが買ったのだろうか。
 手に持って愛しい恋人のもとへ逆戻り。
 とんとん、と視界に入る範囲のテーブル面を叩いて注意を引き、見上げてきたので茶筒を指差す。

「それ、鬼島さんから届いた。いつもありがとうって、お中元? 時期が違うか。感謝の何かだと思うよ」

 また何かのデータを桓くんに追わせたか何かを作らせたに違いない。多分配偶者関係の。いずれ聞きたいが今はまだ聞かない。僕がいないときに鬼島さんが来ていると思うと少々もやりとするが、あくまでビジネス関係だと理解もしている。
 香りを嗅ぐと素晴らしかったので、有難くいただくことにした。
 お湯が沸くのを待っていると、いつの間にか桓くんが背後にいたらしい。
 つん、と肘の辺りを引かれた。

「どうしたの?」

 見下ろして尋ねる。

「お茶飲んだら、一緒にお昼寝でもしよう」

 素敵な提案を受けたので、もちろんと頷いた。
 ぽかぽか暖かなリビングで向かい合い、横並びで寝転ぶ。
 おいしいお茶を飲んで胃もぽかぽか。目を閉じていると、とんとん控えめに肩を叩かれた。目を開ける。

「琥珀、また出掛けちゃうの」

 言ってから、じい、と大きな目が見つめてきた。

「どうして?」
「だって、今日すごく優しい」
「僕はいつも優しいよ」
「もっと優しい」

 そんなにわかりやすいだろうか。

「実は、来週から出張」

 大人しく白状する。と、桓くんが笑った。

「長い?」
「長くはない。一週間くらいかな」
「技術指導?」
「そんなとこ」
「琥珀がいないと寂しいな」

 しゅん、とする細い指が可愛くて、頬を撫でる。

「終わったらすぐ帰るから。生活全般気をつけて、無理せず過ごしてね」

 わかった、とくすぐったそうに笑って、やがてすやすや寝始めた。
 クッションを枕に、フラミンゴ柄のブランケットに包まる姿は可愛い。幸せに眺めていると電話が鳴った。

「はい安双です」

 主は上司。

「鬼島優志朗及び東道会に目立った動きはないようです。が、技術屋に何か作らせた痕跡を発見しました」

 追って内容を聞き出します、と言うとすぐに電話は切れた。床に置いて桓くんを見つめる。すぴすぴ寝ている顔は少年みたいで、成人しているとは信じられない。
 お抱えの弁護士といい、医者といい、通訳といい、東道会は少年のような青年を採用すべしという決まりでもあるのだろうか。首を傾げたくなる。

 桓くんは僕を、遠縁のお兄さんで普通の会社員だと思っている。
 遠縁は正しいが会社員ではない。
 聞かれない限り一生真実を言うつもりもないが、嘘をつく気もなかった。恋人として愛しく思っている以上、核心を突かれたら本当のことを話す。でもできたら、聞かないで欲しい。このまま一緒にいたいと思う。


 
「かーんくん」

 てんてんてん、とリズミカルに指が動く。携帯電話の画面に次々と表示される文字。

「お元気? 元気じゃなかったら可愛いかわいいナツくんのお話、シェアしてあげちゃうけど」

 特別に、が文末に追加された。
 桓は笑って手を横に振る。

「元気なのでお構いなく」
「あら、残念」

 頼まれていた品と、簡単な説明書を渡す。鬼島はあらゆる角度からそれを見て説明書を読み、ひとつ頷いた。

「いつもありがとうね、桓くん」
「気をつけて。警察庁の網が追ってる」
「気付いてる。派手な動きはしないよ」
「お互い気をつけようね」
「そうだね」
「またなんかあったら言ってください」

 夜になり、同じベッドへ横になる。
 暗闇になってしまうと俺の言葉はもう琥珀に届かなくて、琥珀の言葉もわからない。それが少し不安で、何を話すこともないけれど心細くなる。
 それに気付いたのか、いつからか小さな灯りをつけてくれるようになった。
 気にならない? と聞けば、全然、と笑った。

 琥珀は俺を探っている……正確に言えば、俺越しに東道会や鬼島さんについて探っている。それは知っているが、それはそれでこれはこれ、恋は恋。琥珀のことが大好き。
 だけど、全部知ってるし覚えてる、って言ったら、琥珀は離れていってしまう。
 だから言わないことにした。ずっと一緒にいてほしいから。

「琥珀、大好き」

 にこにこ笑ってさらさら動く手が紡ぐ言葉。
 うんと頷いて、僕も、と言いたかったのに、桓くんが抱きしめてくれたら伝え損ねそうになる。惜しいので、薄くてきれいな背中を拝借してそこに指で書いた。
 間もなくして桓くんも何かを書いてくれみたいだったけどよくわからず……悔しい。



 安双さん、と後ろから呼ばれ、振り返ると加賀さんがいた。
 同じ建物に事務所があり、廊下でよく会う。

「おはようございます」
「おはようございます。出張ですか」

 僕の、少し大きめの鞄を見て言う。

「そうなんです。今日から一週間」
「一週間ですか。俺なら気が狂いますね」

 優しい声でさらりと言って微笑む。
 嘘か本当かわからない辺りが面白い人だ。

「家から離れるのに耐えられないタイプですか」
「そうなんです。可愛い猫がいるので、心配と寂しさで」
「それはわかります。僕も家にいるので」
「猫ちゃんですか」
「……子犬、ですかね」
「可愛らしい。一週間も留守にして大丈夫ですか」
「もう心配で心配で」

 手の中の携帯電話がぶるぶる震え、ぴかぴか光る。ポップアップが『玄関チャイム』と知らせてくれた。
 顔を上げると部屋の隅でランプがついている。どうやら間違いなく我が家のチャイム。
 ドアを開けるとにこにこ笑うおじ様がいた。ぱああと顔が明るくなるのが自分でもわかった。

「清浄さん!」

 ぴょんと飛びつく。
 薄手のセーターからはいい匂いがして、よしよし頭を撫でられるとはああという気持ちになる。しっぽがあればぴるぴる震えていただろう。ぐいぐい手を引き家の中へ迎え入れた。

「桓がひとりだって聞いてな。見に来た」
「優しいね」
「心配だからな」

 これ土産、と紙袋をくれる。

「おお? お酒?」
「ヒトが気に入ってるから相当うまいぞ」
「ヒトさん、日本酒の鬼だもんね。ありがとう」
「ひとりで飲むなよ」

 清浄さんのごつごつした手が話すのを見るのが好きだ。素早くよく動く。
 勤勉でなければ人に信頼されず、ついてきてもらえないのかもしれないな。と淀みない動きを見て思った。

「あ、そうだ清浄さん、鴨谷さんに会うことある?」

 紙袋をテーブルの端に置き、尋ねる。鴨谷? と聞き返してきた。

「仲良くなりたい。面白そう」
「かなり人を警戒する。仲良くなれるかどうか」
「いい人そう」
「……まあ機会があれば連れてきてやる。エレオスも一緒に」
「エレオス?」
「鴨谷の保護者」


 清浄さんがしばらくいてくれて、あれこれと話した。よく来てくれるので積るほどの話はなかったが、清浄さんが会ったいろいろな人の話を聞くのが好きだ。

 その後は、琥珀に頼まれた、と近所に住む幼なじみのレベッカが様子を見に来てくれた。清浄さんに引き続き人が来てくれたのが嬉しく、テンションが上がった。レベッカにご飯を作ってもらい、だらだらしながら話をするのがとても楽しい。

「ベッカが泊まっていくよ」と琥珀に連絡すると「早く寝るんだよ」と返事があった。


 一方その頃。
 琥珀はとある町で仕事に勤しんでいた。

「手は使わねぇんだ。可愛い恋人と会話するための手をきったねぇ血だの体液だので汚したくないからな」

 血塗れになった男が、じろりと見上げてくる。

「違法だろ……」
「お前らが法律破ってるのに、なんでこっちがご丁寧に法守らなきゃなんねぇんだよ」

 また、靴を捨てて買わなければならない。次はなるべく汚れにくいものを。



「よく喋るな相変わらず」

 レベッカは、本当に小さい頃からの付き合いだ。べらべらとよくしゃべる手の動きを横目で見て、ゆったりした手の動きで返してきた。桓は一度止まり、少し恥ずかしそうに笑った後に、今度は少しスピードを落として質問をする。

「活動は順調?」
「まあまあかな。今は楽しく音楽やってる」

 レベッカは作詞作曲をしたり、歌ったり、絵を描いたりと活動が幅広い。昔から自分の世界を持っていたが、それが周りに知られ、認められていくのは桓にとっても嬉しいことだ。

「ベッカの歌、聴いてみたいな」
「良すぎて泣く。桓ならきっとそうだ」
「そうかもしれない」

 幼なじみが楽しそうに笑い話すので、レベッカはほっとした。
 外に出ないのも、いずれは解消されるだろうか。



「桓くん、ただいま」
「おかえりなさい!」
「んーふふ、可愛い」
「食べるものなくなったから、野菜とか肉とか配達してもらったよ。あと、清浄さんからお酒貰った。ベッカが来て煮物とか置いていってくれた」
「楽しかった?」
「楽しかった!」
「よかったねぇ」
「琥珀は?忙しかった?」
「まあまあね」

 琥珀が帰ってくると家の中がひときわ明るくなる。
 毎日が楽しくてもやはり、琥珀の帰宅を待ちわびていた。ぴょこぴょこ周りにまとわりついて、あれこれと琥珀がいなかったときの話をする。琥珀は笑顔で聞いてくれた。桓の手はいつにもまして忙しく動き回り、一つも話し漏らさないようにしているかのように話し続ける。
 それでね、それでね、と手を動かす桓が可愛らしく、いつまでも琥珀は目を離せないでいた。


***


「ナツくんの可愛い話、聞きたい?」

 またもやってきた鬼島。ナツくんにつけた盗聴器を水没させてしまったから新しいの作って、とのこと。水没させたのか、水没させられたのか。今度はなるべく防水で頑張りますね、と伝えたが、果たして鬼島の願いを満たせるかどうか。

「ナツくんの話より先に琥珀の話していい?」

 鬼島との会話は画面越しだ。桓が話を始めようとすると、視界の端でぴぴぴと鬼島の手が横に揺れた。

「文学青年面したやべー奴の話はあんまり聞きたくないなあ」
「やべーの?」
「よそのお話だけど、先日尋問中にぼこぼこに蹴られてひとり死んだ。やぁねぇ、暴力」
「俺も全部わかってるって言ったら蹴り殺されるのかなー」

 桓が右に左に首を傾げながら画面に言葉を表示させる。鬼島も右に左に揺れながら、どうだろね、と打ち込んだ後に、更に続ける。

「東道会は悪いことしてないけどねぇ。なんで追われてるんだろう」
「東道会も追ってるけど、主に鬼島さんなんだと思うよ」

 鬼島の顔を見ると、むっとしたように目を眇めた。前髪の下で。

「あらっ、俺のような模範的市民の何がいけないの」
「模範的市民……?」
「清く正しく元気よく生きてるわよ」
「うーん?」
「俺を追う暇があったら野良の奴らあげてほしいな。絡むとめんどくさいから」

 野良の奴ら、とはどこにも属さない人間たちのことだ。薬物、刃物や銃器など違法取引を行い、自由自在に出たり消えたりする。そうねえ、と桓の返事があり、鬼島は深く深く頷いた。


***


 深夜、玄関のドアを開けた。
 押したら簡単に開いたけれど、色の違う廊下へどうしても足が踏み出せない。手が冷たくなる感覚に両手を擦り合わせ、足が震えてきてしゃがみこむ。深く息を吐くとそれさえも震えた。
 どれくらいそうしていたのか、左肩にそっと手がのせられる感触に我に返る。
 振り返って見上げると、琥珀がいた。

「寒いから中に入ろう」

 俺は何も言えずに琥珀を見上げたまま、ぼろぼろと涙を流した。
 怖いような情けないような安心したような、色んな気持ちが雫になって溢れ出したような気がする。琥珀の手が俺を立ち上がらせ、リビングへ戻った。

「お茶淹れようね」

 泣いていると、琥珀が話しかけてくれていることにも気付けない。
 でも、拭っても拭っても涙は出てきてしまう。やがて隣に座った琥珀が俺の肩を抱いた。何の音もしないけれどなんとなく息遣いや鼓動を感じる。
 桓くん、と、多分言っている。
 優しく肩を撫でてくれる手が心地よかった。

「桓くん、出掛けたくなった?」

 落ち着いた頃、琥珀が話しかけてきた。湯気のたつ温かなお茶が入った湯のみを手で包んで頷く。

「窓から外見たら」

 手が止まる。

「星が綺麗だった?」

 微笑んで、琥珀が後を引き継いでくれた。

「そう。星が綺麗だったの」
「惹かれたんだ」
「うん」
「一緒にベランダから見る?」

 ベランダなら安全だよ、何も起きないよ。と言う。

「もし怖かったら、覗いたらいいから」

 ね、見てみよう?
 頷いた。
「寒いから」とふかふかの上着を肩にかけてくれた。サッシを開けて先に外へ。それから振り返り、手を差し出してくる。暗闇に足を踏み出すのはやっぱり怖くて躊躇した。

 でも琥珀がいるから、大丈夫かもしれない。

 そっと足を出した。何年ぶりかに、肌へ風を感じた。冷たい空気が巻きついてきて足が寒い。外気はこんなにきりっとしていたのか。
 見上げると木々の上に星が瞬いていた。
 誰かが散らしたかのような星たち。琥珀の手を握ると、穏やかに握り返してくれた。
 何を思っているか、きっと伝わっている。
 言わなくても見えなくても、今の俺がどう感じているかを今はきっとわかってくれているだろう。

 薄明るい寝室で、琥珀に言った。

「何年ぶりに外に出たかな」
「一年……二年? もっと出てないかもしれないね」
「街も何もかも変わったかな」
「気になる?」

 少し。

「外に出たくなったら言ってくれれば、一緒に行くよ」
「うん。ありがとう」

 じっと琥珀が見つめてくる。何? と聞けば俺の頭を撫でてから、手を動かした。

「桓くんが愛しくて爆発しそう」

 思わず笑ってしまう。

「急にどうしたの」
「桓くんが可愛い」

 微笑み、さらに言う。

「大好きだよ、桓くん」
「俺も愛してる。琥珀が大好き」
「両想いって素晴らしいね」

 久しぶりに外の空気を感じたからか、もう夜を抜け出しそうだからか、さすがに眠たくなってきた。

「おやすみ桓くん」
「おやすみ、琥珀」

 目を閉じると暗闇。
 でも星がきらきらしているような気がして、怖くはなかった。


***


「よおカモちゃん、元気か?」
「ひっ」

 鬼島の会社の社長室に入るとソファに清浄が座っていた。予想外の存在にびくりとしてしまう。厚みがあって威圧感もある清浄は、ちょっと怖い。

「ちょっと清浄さーん、カモちゃんビビらせるのやめてよね」
「話しかけただけだろ」
「繊細なの」
「まあ座れよ」

 すすす、と足を進めて鬼島が座っている椅子の後ろに隠れるようにしゃがむ。

「ほら、怯えちゃった」
「怖くねぇぞ。気のいいおっさんだ」
「顔が怖い」
「そりゃどうしようもねぇ」
「カモちゃん、なんか話があるらしいよ。聞いてあげたら? アイス買ってあげるから」
「ちょっと聞いてくれよ」

 びくぶるイェスタが鬼島の後ろから顔を出す。そこから動く気はないようなので、離れたまま話し始めた。

「技術屋の貢川崎桓は知ってるか」

 頭の中の人物帳を捲る。
 名前は知っているが会ったことは無い。

「な、名前は」

 細い声が聞こえ、そうだろうな、と清浄が頷く。

「会ったことがある奴はほぼいねぇ」
「カモちゃんより遥かにレアキャラ」

 鬼島が言う。

「そいつが、カモちゃんに会いたいらしい」

 びびび、と瞬きが早くなる。表情は動かないが嫌なんだろうな、と清浄は察したし、顔を見ていない鬼島にも嫌なんだろうな、とわかった。イェスタは誰かに会いたいと言われて喜ぶタイプではない。

「な、なんで、俺に」
「さてそれは知らん。貢川崎は人に会うのは好きなんだが、まあ色々事情があって外に出られねぇんだ。どっかで誰かに聞いたのか、何か見たのか、一度会ってみてぇんだと。悪いが顔を出してやってくれねぇか」

 すうっとイェスタが引っ込んでしまった。「思案中」と鬼島が言う。

「それにしても清浄さんは桓くんが好きねぇ。どういう関係?」
「桓が小さい頃から見てるからだな。貢川崎の爺さんには世話になった」
「あら、会ったことあるんだ」
「優しくて男前でなあ。一回抱かれてみたかった」
「そういう感じ?」
「あの人の前じゃ誰だって尻差し出すぜ」
「怖……北山さんじゃん」

 貢川崎の隠居と言えば名の知れた任侠だ。
 若い頃からあっちで世話になったと言って抗争を治め、こっちで世話になったと言って人を助け、どこに腰を落ち着けることもなく放浪して過ごしていたという。今では伝説級の存在になっている。鬼島は本で読んだが、清浄が若い頃には生きていた。

「爺さんが死んで、桓がひとりになっちまって。爺さんが異常なほど広く人脈があったから世話になった奴らがこぞって世話してな。頭がいいし手先が器用で、教えてもらったもん次々吸収して技術だの知識だの、みんな身に着けちまった」
「へぇ」
「桓も好奇心旺盛だしな。楽しかったんだろうよ」

 鬼島の頭の中に、桓のきらきらした顔が浮かぶ。
 黒目がちなあの目にねだられたら誰だって持てるものを注いでしまうかもしれない。天然で人たらしなのは祖父から受け継いだ血なのだろうか。

「一番仲が良かったのが政界の大物のおっさんでな。よく連れ出されてあっちこっち一緒に旅してたんだが……」
「なんかなかったっけ? 政治家が旅行先で謎の死」
「明らかに他殺なのに事故死で片付けられたやつな。あの場所に桓がいたんだ。何もわからねぇ覚えてねぇって言い続けてるが、なんか知ってんだと思うぜ。それからすぐ聞こえなくなって今に至るんだが」
「……なんか聞いたのかな」
「そうなんじゃねぇの」
「ふぅん」

 清浄がふう、と息を吐いた。秘書の篠原が出してくれたお茶を一口飲む。

「聞こえなくなる前から外に出なくなった。すげぇ怖がるようになって、もう何年もあの家からほとんど出てねぇ」
「最近は出なくても生活できるしね」
「んで、暇そうだからって俺が東道会の技術屋にした」
「清浄さんだったんだ」
「そこにあの野郎が来やがった。鬼たん、お前『安双琥珀』調べたか」

 ぴょこ、とイェスタが目を出す。
 背もたれと鬼島の肩越しに、目から上だけが清浄から見えた。

「安双琥珀の、関係者?」
「カモちゃん知ってんの?」

 鬼島が振り返りもせずに尋ねる。

「あんまり好きじゃないから、名前、覚えた。東道会によくつっかかってくる、から」

 大きな目を細めて嫌な顔をしている。珍しいことだ。

「ああ、そっか。裁判記録に出てくるんだ」
「大体、安双」
「そうなのか」

 清浄のことばに頷く。

「安双が絡むと、みんな、胡散臭い。捜査が……スムーズすぎる、し、早い。多分捏造とか、違法な尋問、買収、なんでもやってる。それに、何人か、消える。放置されてるのも、不思議」
「安双琥珀って調べても煙みたいなんだよね。多分みんな嘘の経歴なんだと思う」
「桓を見張ってる理由は?」
「なんか都合の悪いことを知ってるから、かな。『忘れてる』ことになってる、なんか。政治家殺しにどこかの偉い人が噛んでるとか?」
「……複雑」

 ぱちぱち、イェスタが瞬きをする。

「で? カモちゃんよ。桓に会ってくれる気にはなったか?」

 清浄に尋ねられ、ぱしぱし瞬きをしたあと、ぎゅっと唇を突き出した。

「……れにーが一緒、なら……」



「初めまして貢川崎桓です。鴨谷さん、鬼島さんから話を聞いていて一回会いたかったんです。面白そうだなと思って!」

 ぱぱぱ、と手が激しく動く。にこにこ本当に嬉しそうで、イェスタはあまりの眩しさに目を細めた。

「桓、落ち着け」

 清浄に宥められ、はっとしたように手が落ち着く。

「すみません」
「鴨谷に会いたい、と言う人は珍しいので緊張しているみたいです」

 エレオスの大きな手が動く。桓は少し間を空け、言った。

「……鴨谷さんは、人があまり好きじゃないと聞きました。不躾なんですがどうしてか、簡単にでもいいから伺いたくて。鬼島さんは意外とそういうことを人には言わないでしょう」

 イェスタの手が、たどたどしくゆっくり動く。

「俺は幽霊と言われていてずっと輪に入れなかった。誰とも普通に関われなくて、普通の人達が怖いんです。好きじゃないというより、怖い、と思います」

 イェスタが目を合わせないのも、そういう理由なのだろうか。胸の前で動く手だけをただ見ている。

「人が怖いのは少しわかるような気がします」

 苦笑いのような表情で、僅かな動きが語った。しかしそれが続くことはなく、ぱっと笑顔に切り替わる。

「お茶も出してなかったですね。今、用意してきます」

 とたた、とキッチンへ。それを見送り、清浄がエレオスとイェスタを見た。

「面白いだろ?」
「不思議な人ですね」

 エレオスの褐色の瞳はキッチンの方へ注がれている。

「人に興味があって無警戒に見えて、なんとなく引いている。踏み込んで来ようとしてるけれど、結局人との距離感がよくわからないみたいな……感じが」

 様々な人を見ているエレオスの目から見るとそのように映る。なるほどと頷く。

「カモちゃんはどうだい?」
「……よ、よく、わかりません」
「正直でいいな」

 にこにこの嬉しそうな桓はイェスタによく話しかけたが、イェスタはそわそわとネックレスを指で弄りながら考え、手を離してゆっくり返した。すっかり塗装の禿げた弁護士記章はイェスタの安心毛布なのだ。

 友好を深めた、とは言い難いが、少しだけ仲良くなった。
 また会いたい、と桓に言われ、即座に断りはしなかったのでイェスタも多少は好意を感じたようだ。ふたりが家を出て、清浄と桓が残された。

「桓、鴨谷はどうだった?」
「可愛かった」
「一回じゃ仲良くなるのは難しいだろ」
「かなり」

 よく動く目やおどおどした様子にいらいらする人もいるだろうが、この家に来る人はみんな自分に自信がある人ばかりだったので新鮮だった。そして、自分に自信がなくてもいいのだな、と新たな学びを得た。
 弱さを表せるのも強さだと、桓は思う。

「清浄さん、鴨谷さんは凄いね」
「お前もな」


***


「琥珀、見て。鬼島さんに貰った」

 家に帰るとキッチンカウンターに観葉植物が置いてあった。一抱えほどあるだろうか。緑の葉は本物のようで触れると冷たく弾力がある。

「立派だね」
「うん」

 桓が嬉しそうにしていたので、風呂に入っている間に調べた。おかしなところはない。本当にただの好意だろうか。
 眺めていたらちょんちょんと背中をつつかれた。振り返ると風呂上がりの桓がにこにこ。

「琥珀も気に入った?」

 と聞いてくる。

「うん。立派だから」
「家の中に緑があるっていいよね!」
「そうだね」
「これを機に増やそうかなあ」

 のんびり言ってから、髪を乾かし始めた。考えすぎかもしれない。鬼島は単純に桓のことを好いているようなので、本当にただのプレゼントなのだろう。鬼島だって常に人を陥れたり騙したりすることを考えているわけではない。
 桓は人に好かれる。
 それは祖父のこともあるかもしれないが、桓自身も人懐こく、素直で優しく、賢く、魅力に溢れているので人を惹きつける。それはあの、闇に生きる存在たちもそうなのだろう。


***


「安双サンがこんなとこに来るなんて珍しいじゃないデスカ」

 弁天町からほど近い、某所轄署。廊下を歩いていると後ろから話しかけられ振り返る。
 そこには黒いシャツに白いスーツを着た、獅子のような男がいた。大股で近付いてくる。見下ろされると圧力がずいぶん強い。

「直来、いたのか」
「相変わらず元気いっぱいみたいデスネ」

 ふん、と安双が笑った。

「やめろその、とってつけたような敬語」
「安双、派手が過ぎる」
「今は派手にやっといたほうがいーんだよ。いずれ安双琥珀なんか消えんだから。いる間は存在感があるほうがいい」

 横並びで歩き出す。やがて、人のいない会議室に着いた。

「貢川崎桓だっけか。なんでわざわざくっついてんだ。データ上は腕のいい技術屋ってだけだろ。何回かガサ入ってるが、なんも出さねぇ丁寧な若造」
「東道会に繋がってるから」
「それだけか?」
「お前は鬼島優志朗とナカヨシだからな。教えられねー」
「鬼島に知られちゃまずいのか」
「まずい。あいつは人を操る天才だからな。弱みを握られれば駒にされちまう。これ以上所有されるのは嫌だ」

 所有というのはどういう意味なのだろうか。現在も警察庁に所有されているから、なのかもしれない。直来の眉間にしわが寄る。

「安双」
「そのうち全てが終わる」
「……いや意味わかんねぇんだけど。つか結局それに東道会は絡んでんのかよ」
「まだ聞きたがるのか。引けや」
「気になるから聞きてぇ」
「ガキじゃねぇんだから聞けって。話せねぇっつってんだ」
「ここだけの話にしとく」
「嘘つけ」
「言わないから言えよ」
「言わねー」

 へっと笑い、会議室を先に出て行った。結局行く場所は同じなので再び出会ったが。
 その日の夜、帰宅しようと歩いていた琥珀の背後に気配が生じた。しかし振り返りもせず、歩みを遅くすることもなく、琥珀は歩き続ける。直来と異なり、ぞっとするような気配。

「琥珀さん、ちょっとデートしようよ」

 闇から声がかかった。

「鬼島さん、こんにちは」

 ようやく足を止めて振り返り、笑顔で挨拶をする。鬼島がひとりで立っていた。どこからついてきていたのか、いつからこんなに近くにいたのかわからない。でもわからないのが普通の人なのだろう。
 鬼島が足音もなく近付いてきて、じいっと顔を覗き込んでくる。前髪の下、眼鏡の奥から氷のような目が琥珀を見ていた。

「その無害ヅラ、気持ち悪いからやめてくんない。桓くんもいないしさぁ」
「お話があるなら手短にお願いします」
「なんでそんなに俺を嫌うの。もしかして昔、俺にフラれた? だとしたらごめんね」

 鬼島の口調はふざけているのか本気なのか全くわからない。緩やかな、しかし不気味な響きを帯びた、まるで真夏の夜中の空気のような声だ。

「話は終わりですか」

 内容に食いつけば煙に巻かれ、引きすぎると今度は食いつかれる。どちらにしろ、面倒くさい。早めに打ち切りたいと琥珀は考えているが、鬼島の口元にはにやにやと笑みが浮かぶ。

「まだでーす」
「簡潔に」

 鬼島の目が、琥珀を刺し貫いた。

「あんた誰?」

 一瞬、鬼島の本性が見えた気がする。いつもにやにや、ふわふわとふざけた態度を取っている鬼島の奥の奥。目は心の窓とはよく言ったものだ。
 気圧されそうになったが、踏みとどまる。

「安双です」
「本名知りたいんだけど」
「安双琥珀ですが」
「じゃないじゃん。追ってるのも東道会じゃないでしょ、本当は」
「は?」
「派手に取り締まるのは隠れ蓑。裏で何追ってんの? 政治家殺し?」
「鬼島さん?」
「でも不思議だなぁ。俺のことは本気で嫌いみたい」
「嫌いじゃないです」

 鬼島が、ふむ、と呟いてから口を手で覆う。

「やっぱり昔、俺にフラれた……」
「フラれてません」
「覚えてなくてごめんね。一定の期間からはナツくんしか見えてないから」
「話聞いてください」
「でもこんな男前だったら覚えてると思うんだよねぇ」
「会ってませんから」
「琥珀さんはなんで俺を嫌うの?」
「嫌ってないです」

 まさか、とまたも口を手で覆う。

「もしかして俺がヤリ捨てした?」
「されてません。なんてこと言うんですか往来で」

 斜め上すぎて全く先が読めない。だから鬼島優志朗は嫌いなのだ、と琥珀は舌打ちしたい気持ちになった。

「いやーだってあとそれしかないから」
「鬼島さんのことは嫌ってませんし、そんなに思い入れもないですから気にしないでください」
「あとなんだろうなー」
「探しても見つかりませんよ。嫌ってないですから」
「誤魔化すのもうまいね」

 鬼島の目が、再び、一瞬鋭く琥珀を射抜いた。
 おしゃべりは終わり、とでも言いたいんだろう。

「そろそろ本題に入ろうよ。てか入って。桓くん越しでもそうじゃなくても見張るのやめてくれない」
「俺じゃないです」
「警察庁刑事局組織犯罪対策本部暴対課課長補佐の安双琥珀さん、でしょ」
「……」
「ちょっと探せば昇格くらいまでは出てくるけど、他はなんにも出てこない。不自然だね。俺の自論だけど、叩いて何も出てこないのは嘘の経歴の証拠なんだよ」
「それで?」
「警察庁に所属してる人が東道会の技術屋預かるのも不自然でしょ」
「監視対象だとしたら?」
「なるほど。辻褄合わせか」
「鬼島さんが何を考えているかは知りませんけど、何もありませんよ。残念ながら」

 ねばるねえ、と鬼島が呟く。

「何がなんでも吐かないわけね」
「吐くものがないので」
「政治家殺しの真相、教えてあげたらもう俺のまわりうろちょろしない?」
「関係ないので。そろそろ本当に帰らないと、桓くんが心配します」
「強情ね。でもそういう人、好きよ」

 では、と言って早足で歩き去る琥珀を鬼島は見送った。
 その口元には既に、いつもと同じにやにや笑いが浮かんでいる。

「ふられたのかよ」
「あらやだ盗み聞き? そんなに俺が好きなの、ライちゃん」
「スキスキダイスキ」

 棒読みで言って、鬼島の隣に立つ直来。ひげをしょりしょり指でさすっている。

「さすがの鬼島優志朗でもだめだったか」
「いや? 思ったより揺さぶりに弱いなあって感じ。どっちかっていうとストレスに弱そう。胃とか腸とか大丈夫かな」
「なんかわかったか」
「とてつもない嘘つきで、政治家殺しの件を気にしてるのと俺のこと大嫌いってことくらいかな」
「なんかしたのか、お前」
「記憶にないんだなあ……」

 むむむ、と鬼島が唸る。本当にわからないんだよね、と。

「間接的になんかしたんじゃねぇの」
「してないと思うよ。男前には優しいって知ってるでしょ」
「俺にも優しくしろよ」
「ライは男前っていうか、猛獣みたいな感じじゃん」
「猛獣って……だから譲一朗にも厳しいのかもしかして」
「猛獣系は優しくしたい対象じゃないの」

 鬼島の横に車がつく。それに乗りこみかけると、直来に名前を呼ばれた。

「なに? 離れがたい? 夜を一緒に過ごしたいの?」
「お前なんかとは絶対嫌だね。なあ、安双がお前の周りうろちょろし続けたらどうするつもりだ」
「何も? でも、ある日突然いなくなっちゃうかもね。仕事に嫌気がさして消えるかも」


 家に入ると、ぴょっと桓がやってきて抱き着き、出迎えてくれた。
 鬼島に会ってぎしぎし疲れていた心がほわりと温かくなる。頭を撫でて額へキスした。離れてから「ただいま」と言うと「おかえり!」と返される。可愛い笑顔つきで。

「遅かったね。夕飯作って待ってたよ」
「ありがとう。嬉しい」

 家の窓から外を眺めていて見つけたものの話や家に来た人の話など、なんでもしてくれる。
 もぐもぐ咀嚼しながらぱぱぱと手がせわしなく動き、表情も豊かだ。
 可愛らしい様子に笑ってしまうが、食べながら話すのはお行儀が悪いと教えるべきだろうか。今日はいつもよりおしゃべりでますます可愛い。

「今日はね、清浄さんの恋人が一緒に来たよ。ヒトさん。琥珀は会ったことないよね? すごくきれいですごく優しくていい人」
「目が見えないんだったね」
「そう。だから俺のことばは全部清浄さんが伝えてくれるの。ゆっくり話してくれるから、ヒトさんの言葉は全部読めた」
「またいい出会いがあったんだ」

 だからそんな満足そうで嬉しそうなんだね。
 そう。
 にこにこする桓のきらきら輝く目を見て、ふと、自分がいなくても大丈夫そうだな、と思ってしまった。きっと他の誰か、たくさんの人が支えてくれるだろう。外に出なくても誰かが会いに来てくれる。ほとんど手つかずの祖父の莫大な遺産もある。

 例え『安双琥珀』が突然消えても、きっと桓なら大丈夫に違いない。

 遠くからきらきらした目を見ていたいけれど、残念ながら自分には桓ほどの技術力が無いので見守ることはできなさそうだ。箸を置き、とんとん、とテーブルを指で叩いて注意を引く。

「桓くん、愛してるよ」
「俺も大好きだよ!」

 おいしくご飯を食べ、お風呂に入って温まり、ごろごろとベッドに横になって話をする。

「明日も遅くなるの?」
「早く帰ってくるつもりだけど、どうかな」
「遅くなるようならメッセージでも送ってね」
「わかった」

 ぎゅうと抱き締め、目を閉じる。一緒にいられる限りはずっと一緒にいたいと思う。


***


 俺は見ていた。
 あの日、おじさんがどういう目に遭ったのか。そしてそれをやったのは誰だったのか。やったのは、警察関係者だった。
 後日会見で「事故死だった」と公表していたその人がまさにおじさんを殺した人だったのだ。
 その会見を見てしばらくして、俺の世界からは音が消えた。心因性だと言われた。

 そのおじさんはおじいちゃんにお世話になったからと小さいときから俺を可愛がってくれた人だった。忙しいと言いながらあちこち連れて行ってくれた。時には仕事について行ったこともあった。

 だから知らなかった。おじさんが、琥珀のお父さんだったこと。
 別れた恋人が身ごもっていたのだ。

 父親の不自然な死が気がかりで警官になり、命じられたことをやる一方で追いかけていたらしい。俺の記憶だけが手がかりで、思い出すのを待っていた。
 覚えていることを黙っていたから蹴られるかなあ、と思ったけれど、いざ話してみたら琥珀はそんなことせずにただ「辛い記憶だね」と言って俺の頭を撫でてくれた。

 少しずつなくなっていく持ち物に触れないで、ただいつものように毎日を送った。
 そしてある朝「行ってきます」と言って出て行ったきり、琥珀は帰って来なかった。

「探さないの、琥珀さん」

 鬼島さんに聞かれ、俺はすぐに答えた。

「行ってきますって言ったからには、ただいまって帰ってくるよ」

 相変わらず俺は外に出られなくて、それでもあまり困らなかった。
 外に出られないのは、おじさんが外に出るなと言った記憶に縛られているからなのだろう。そしてドアの隙間から、おじさんが殺されるのを見た。
 外の世界は怖い。
 そう刻み込まれてしまった。

 どうしても外出、という必要はあまりない。大体のことは代理人でなんとかなる。だからレベッカや東道会の法務部の人が代わりになってくれる。ありがたい話だ。
 食材は宅配。この時代に生まれてよかった。
 いつ琥珀が帰ってきてもいいように、ちゃんと生活をしている。
 鬼島さんは相変わらず配偶者のプライベートを探るのに熱心だ。最近は有澤さんもよく来る。

「北山という狼が満和くんを食おうとしているし、その他の有象無象が満和くんにいやらしい視線を……」

 ということで、超小型の監視カメラを作ってあげた。
 どうやら設置して数時間で北山さんに破壊されたらしいが諦めずに何度もやってくる。
 いいお客さんになってくれた。

 琥珀はどこで何をしているんだろうか、と思うけれど、探したいとは思わなかった。外に出たところで、琥珀がどこで何をしているかなど知らないからわからないし、まさか警察庁に聞いても教えてはくれないだろうし。
 いつか戻りたいと思ったときに、戻ってきてくれたらいいなとだけずっと思っている。

 琥珀が帰ってこなくなってから間もなく、お気に入りのフラミンゴ柄ブランケットがいよいよくたびれてきた。子ども時代から使っているから、よくもったほうだ。
 同じものがあるかどうか、探してみたが意外と無い。
 かなりいい肌触りなのであったほうがいいのだけれど、と探しているが全く見つからなかった。諦めて他のを買うか。身体を包んでくれるサイズならそれで手を打とう。

 ウェブサイトで探しながら、ベッドでごろごろ。
 薄明るくしなければ眠れなくなってしまった。なかなかいいのがない。やがて眠気がやってきて、そろそろ寝るかと携帯電話を手放しかけた指先に振動が伝わる。
 画面を見ると『玄関チャイム』の表示。寝室のドアの上でランプもちかちかしている。

 誰だろう、こんな夜中に。
 触れている携帯電話がまた震えた。今度は新着メッセージ。
 開いてみると『帰りが遅くなった』と一行の文字列が表示されていた。

 ベッドを転がるように抜け出し、玄関へ走る。勢いよく開けるとぶつからない位置に、琥珀が立っていた。にこ、と笑って「ただいま」と手が動く。

「おかえり。遅かったね」

 笑顔で応じると、少しだけ驚いたような顔をして、それからまた笑ってくれた。

「いろいろあったから。全部話す」
「明日でも明後日でもいいから、お風呂入って早く寝よう? 夜遅いよ」

 何かを言いかけた琥珀の手が止まり、俺の頬に触れる。身をかがめて額にキスをしてくれた。

「……桓くん、そんなに優しいと僕困る……」
「なんで?」
「帰ってきたくなるから」
「帰ってくればいいじゃん。家を守るスキルは誰にも負けないよ!」

 胸を張ると、琥珀の手が俺の髪を撫で回す。ぐしゃぐしゃにされて、それから抱きしめられた。この温かさがやっぱり好きだなあ、と思った。

「お風呂入ろう!」
「桓くん、入ったんじゃないの?」
「琥珀ともう一回入る!」
「いいけど、のぼせないようにね」
「アイス食べながら入ろっかな」
「贅沢」
「清浄さんが買ってきてくれたすごい高級なやつがあるの」
「ますます贅沢だねぇ」

 にこにこする琥珀が可愛くて、思わず抱きしめた。


***


「これは俺が外側から見てるだけの感想なんだけどさ」
「ん? 何、鬼島さん」

 すたたたた、と鬼島の指は素早い。桓はそれを横から覗いている。

「桓くんって、明るいよね」
「よく言われる。俺は周りに助けて貰ってるからかな。大事な人がいっぱいいるから、楽しく元気でいられるのかもしれない」

 親がいなくなって、祖父がいなくなって、それでも周りにはたくさんの人がいた。面倒を見て、世話をしてくれて、外へ出られない桓の代わりに外へ出てくれる。

「琥珀さんとか?」
「うん」
「そう言えば琥珀さんの本性? めちゃくちゃ荒いよね。桓くん見たことある?」
「すごい顔して電話してるのは見掛けた。聞こえないけど、口の動きからするとさぞかし汚い言葉でお相手を罵ってたんじゃないかなあと」
「それをネタにひと揺すりしてこようかしら」
「可哀想だよ」

 桓が笑う。鬼島はすたたたとまた文章を打ち込んだ。

「琥珀さん、少しゆすられただけでキレそうだよね。ストレスに弱そうだから」


***


「琥珀さん」

 分庁舎を出たところで、横に車がついた。後部座席の窓が開き、弓削清浄が微笑む。

「東道会の大物にお待ちいただくとは恐れ入る」
「俺ァもう一線を退いた身だから関係ねぇよ」
「離脱届、出してねぇだろ」

 ふ、と清浄が笑った。腹を立てた様子もない。俺が噛みつく姿は子猫がじゃれてきた程度にしか見えないのだろう。それだけの修羅場を弓削は踏んでいる。あの北山真秀と一緒に。

「桓がいねぇと随分な口の利き方するんだな」
「何の用だ」
「ああ。桓が世話んなってるからプレゼント、用意してやったぜ。ありがたくとっとけ」
「プレゼント?」
「後でお前んとこにヒントが届く。忘れずに取りに行けよ。桓の親代わりからの挨拶だ」

 じゃあな、と高級車が去っていく。
 プレゼントとは? よくわからないままに家に帰るとポストに封筒が入っていた。
 中には地図が一枚、黒く塗りつぶされたのはここからあまり遠くない貸倉庫だ。プレゼントの在処に違いない。
 少し考え、足を向けることにした。桓くんには遅くなるよとメッセージを送り、歩いて向かう。改めて地図を見ると、黒く塗りつぶされた隣に数字。倉庫番号だろう。
 弓削清浄からのプレゼント。鬼島優志朗並に不気味な気がする。
 たどり着いた倉庫の鍵は開いていて、夕暮れを迎えた今の時間は誰もいない。

 指を引っかけゆっくり扉を開けた。
 がらんとした中で男がひとり、椅子に座っている。こちらを見上げて遅いですよと笑った。見覚えのない男だ。

「誰だお前」
「自首してあげるので、優しくしてくださいね」
「何の話……」

 ゆっくり立ち上がった男から、少し距離を取る。こちらには来ないで、倉庫に建付けの引き戸を開けた。
 男が引きずり出したのは透明のビニール袋。一瞬、中にあるものがわからなかった。
 よく見ると丁寧に血抜きされたらしいばらばらの人体。一番上に首が載っている。それが揺れてこちらを向いた。虚ろな瞳と目が合う。

「なるほど。これがプレゼントか」
「犯人付きで手間が省けるでしょう」
「弓削清浄、趣味は悪くねぇな」
「いえ、俺がやりました」
「そうか……今回だけはそういうことにしといてやるよ」

 乱雑に詰め込まれた死体は、今や大物官僚になったあの男だった。
 翌日、あらゆる情報媒体は猟奇殺人だのばらばらだの、朝から物騒に騒ぎ立てていた。
 桓くんは「怖いね」としれっと言い、俺も「そうだね」と返した。すぐに興味を失ったようで画面から視線を俺に移し、ゆったり手を動かす。

「それより、琥珀って本当は気性荒いの?」
「ん?」
「数年前に、琥珀は腹立つと蹴り殺すって聞いたけど」
「桓くんには絶対しないよ」
「なんで? 荒々しい琥珀、見てみたい」

 好奇心に満ちた目が、きらきらと俺を見つめる。

「……実は手荒くされたいタイプ?」
「好きな人にはなんでも許しちゃうタイプなの、知らなかった?」

 話を逸らすつもりで聞いたのに、とんでもない返答があって手が止まった。にまにま笑う桓くんがとってもかわいい。

「知らなかったな」



「清浄さんのプレゼント、なかなか気に入って貰えたみたいね」

 鬼島の会社の社長室で、いつものように篠原が清浄にお茶を出す。

「我ながら悪くない選択とタイミングだったと思うぞ」
「よく用意できたじゃない」
「そりゃな。数年掛けて準備した」
「数年?」

 くっ、と笑う凶悪な男前。

「可愛い子どもが苦しめられたら報復は絶対に必要だろ?」

 鬼島がゆっくり瞬きをして、ふふひ、と笑う。

「清浄さんのそういうところ、だーいすき」
「ありがとな」

 ずず、とお茶を飲む。鬼島はその横顔をにやにやと見つめていた。
 


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