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学校ぱろ。 6


 授業があちこちで行われている校舎内。鈴彦はひとりふらふら、廊下を歩いていた。ふらふらという形容がぴったりなふらふらぶり。そのうち壁にでもぶつかるのではないかと思うような様子だ。階段を下り、一階へ向かう。来賓用の玄関を通り過ぎ、一番奥へと足を向けた。そこにあるのは『理事長室』という金色のプレートが掲げられた重厚な両開きの扉。板チョコレートのようなそれの片方を押し開ける。見た目ほど重くないので、あっさり開く。


「おやおや、またさぼりかな」


 甘さを含んだ重低音が、静かに聞こえた。


「関係ねーだろ」


 そっけなく返し、革張りのソファへ横になる。ネイビーのクッションを頭の下に敷いて、深く息を吐いた。そんな鈴彦を背もたれのほうから、にっこり笑いながら覗き込んでくる男。緩やかに波打つグレーの髪に、優しそうな二重の、茶色い眼差し。すっきりとした鼻梁に、いつも微笑んでいるような唇。しっかりした身体つきだがぱっと見は細身で、嫌味なくらいスーツが似合う。足も長いし背も高い。薄い皮膚を持つ手を、鈴彦の頭に置いた。


「鈴彦くん、ココア飲む?」
「寝たい」
「おやすみ」


 着崩した制服の上に掛けられる、柔らかなタオルケット。こちらもネイビーで、どうやらセットで買ったものらしい。普段はどこかに隠しているらしいが、ときどき保健室の外で干していると言っていた。鈴彦のために寝具の手入れは欠かさないようだ。


「子守歌でも歌ってあげようか」
「いらねーよ」
「じゃあ添い寝かな」
「いらねーってば」
「素直じゃないねえ」


 素直だよ、と噛みつかんばかりに返す。向かいのソファへ座り、にこにことしながら見下ろしてくる。その視線がうるさくて、一度は閉じた目を開けた。


「直」
「うん?」
「うるせー」
「何も言っていないけど」
「うるせーんだよこっち見んな」
「それは無理かな。鈴彦くんの寝顔は可愛いから」


 文句を言ってもどこ吹く風、まるでじゃれてくる仔猫をあやすかのように目を細めて穏やかに返す。鈴彦は唇を尖らせ、上目づかいに見やった。
 この学校の理事長様、十里木直。同じ苗字であるからわかるように、鈴彦の身内である。一応「兄」ということで体裁を整えているが、複雑な関係を持つ義兄弟。幼いときに直に引き取られ、育ててもらっている立場である。可愛い可愛いは四六時中聞いていて、もはや当たり前すぎて挨拶のよう。それに関して文句は言わないが、見つめてくる視線が甘ったるくてやかましい。つんつんしたい年ごろの鈴彦がついつい噛みついてしまう。そして直にとってはそのつんつんぶりが可愛らしく、ついつい構ってしまう。


「鈴彦くん、膝貸そうか」
「いらねー。寝かせてくれよ」
「なんでそんなに眠いの」


 直に尋ねられ、かっと顔が赤くなる。誰のせいだよ、とごにょごにょ言い、ん? と聞き返されると、噛みついた。


「お前のせいだろうが! 明日も学校あるって言ってんのに夜中、何度も何度も獣みてーに盛りやがって変態! すけべ! ばか!」
「鈴彦くんが可愛くてつい、年甲斐もなく」


 悪びれた様子もなく爽やかに言ってのける。ばか! すけべ! と繰り返しても飄々と「可愛かったねえ昨日」と言われて、ますます真っ赤になるばかりだ。


「うう……っ」


 効果的だと思われる言葉がなく、唸る。どうしていいかわからない様子でタオルケットを両手で揉んだ。そのうち噛みついてしまいそうな様子だ。直はふふふと笑い、そんなに騒ぐと眠れなくなるよ、と言う。


「誰のせいだよ!」
「僕だね」
「わかってんじゃねーか」
「可愛らしくて止まらない、っていうこともわかってほしいかな」
「わかんねーよ!」


 がおがおと騒ぐ鈴彦、普段から少々吊り上がり気味の目元がますます引き上がっているようだ。それさえも愛しそうに、直は見つめている。


「鈴彦くんは愛らしいね、実に」


 やっぱりココア淹れようね、と、言って立ち上がる。理事長室に似つかわしくないカセットコンロが重厚な戸棚から出てきた。それにミルクパン、木のへら、ココアパウダー。隠し冷蔵庫から牛乳。
 ココアパウダーを先に炒り、少量ずつ牛乳を足して練る。純ココアではないので焦げないようにゆっくりと。ココアをおいしく作るには時間をかけることが一番だ。次第にいい香りが漂うようになってきて、その頃には鈴彦が起きて、興味深そうに手元を覗き込む。


「鈴彦くんが近くにいるとキスしたくなるね」
「変態」
「愛情って言ってほしいところ」


 赤っぽいブラウンのこめかみへ口づけると、少し距離を取られた。傷つく、と呟いたら困ったような顔で見上げてきて、そういうところがたまらない。


「直、まだ」
「もう少し」


 日差しが差し込む理事長室の大きな窓。窓の外は林で、決して眺めはよくない。けれど夏になれば緑が青々としていて、なかなかの景色だ。雪が降るといい雪見場所になる。最近は降っていないので楽しめないが、いつだか初等部のときにココアを飲みながら雪を見たことがあった。とてもきれいで、そのあと絵を描いたくらいに印象的だった。


「雪でも降らねーかな」


 鈴彦の言葉に、直が微笑む。


「ココア飲みながら見たい?」


 直がそのときを覚えていたのかと思った。しかし、ココアを淹れている最中だからか、と考え直した。日々様々忙しい直が覚えているわけない、そう思ったのだ。


「直、まだ?」
「もう入るよ」


 鈴彦のために常備されているネイビーのカップに注ぎ、はい、と渡す。


「熱いからね」
「言われなくてもわかってる」


 猫舌な鈴彦は香りを楽しみ、両手で包み込むようにして持っている。直が執務で使っている黒革の椅子へだらしなく座って、ふうふうと冷ました。間違いなく細身の鈴彦。大きな椅子に埋もれるようにして座っている。だぶだぶと緩いカーディガンから覗く首はほっそりとしていて妙に艶めかしく感じた。そう思うのは自分が歪んでいるからなのか、と直は思った。純粋な目で小さい頃は見ていたのだけれど、いつからかそれが愛情に変わった。紛れもない「愛情」に。親愛ではない。親代わりに突然愛されて鈴彦は戸惑ったようだったが今は受け入れつつあるように思う。こうして、甘えに来るようになった。


「鈴彦くん、それ飲んだら寝る?」
「寝るかも」
「もう放課後になるけど」
「直、帰らねーの」
「まだ、今日は帰れないかな」
「じゃあ右京んち遊びに行って待ってる」
「うん。加賀くんによろしく伝えて」
「わかった。早く帰って来いよな」
「わかりました」


 ふうふうして冷ましたココアをおいしそうに飲む鈴彦。ぷは、と飲み干したのを狙ったように唇を重ねた。


「……甘くておいしいね」
「すけべ」
「愛してるのキスだよ」
「すけべっ」


 照れたように言い捨て、びゅっと逃げ出す。置き去りにされたカップの、鈴彦が飲んでいた部分を撫でた後に、丁寧に折りたたまれたタオルケットを回収した。また談先生に預けて干してもらわなければ。

 よく晴れた外を見て、口の端をわずかに持ち上げる。


「雪でも降らないかな。あのときみたいに」


 鈴彦は、珍しくはしゃいでいた。ココアを飲みながらの雪見がよほど気に入ったようだった。
 すべて覚えている。彼の喜んだ顔、悲しんだ顔、怒った顔。すべて。記憶は日々更新されている。愛しい記憶。


「今日は怒られないように、早寝」


 早寝しないと、と呟いて、直は椅子に座った。まだわずかに、鈴彦の温もりが残っているようだった。



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