学校ぱろ。 3
「ナツくん」
胃の痛みもすっかり良くなった放課後、鬼島が再び教室に現れた。有澤の姿はない。右京はまだ授業中で、教室の中にはぽつんとひとり。
するりと近付いてきて、お誘いを受けた。
「図書館行かない?」
「行きます!」
ナツは本が好きだった。以前住んでいた場所は図書館が近くにあり、父親不在の家で借りてきた本を相手に時間を過ごしていたからだ。いろんな世界に行ける本は素晴らしい。
かばんを持ち、鬼島の後に着いていく。階段を降りて玄関を出て、隣の建物へ。
「大きくて立派ですね……!」
「あらやだ照れる」
「何がですか」
レンガ調の大きな建物だった。昔はこっちが校舎だったらしいよ、と鬼島が教えてくれる。入り口にはかつて校舎として役割を果たしていた際の写真が飾られていた。添えられた文章には、卒業生が尽力して図書館にしたこと、本も寄贈され続けていることなどが書いてある。記された卒業生の名前の中には、テレビや新聞などで目にする有名人のものが数多くあった。
出入り口に設けられたゲートをくぐり、インクや紙の香りでいっぱいの空間に目を輝かせる。入ってすぐ右に貸出カウンターとエレベーター、正面に雑誌や新聞のコーナー。あとはすべて本棚に覆われていた。
「あっちの方には読めるところもあるから」
しんとした館内で、声を潜めて鬼島が言う。
「陵司くんに聞いたら、ナツくんまだ生徒証できてないんだってね。大変でしょ」
確かに大変だった。出欠席の管理に留まらず学食、購買での買い物にまで生徒証が必要だったからだ。素直に頷くと、だろうね、と鬼島が微笑む。
「借りたい本があったら鬼島さんが借りてあげるから持っておいで。一階は古典とかの原書とあらゆる専門書で、二階に文学書とか絵本とか、三階には外国語の本。二階に、ナツくんが読みそうな本があるかな」
「行ってきます」
「鬼島さん、ぶらぶら一階にいるからね。気をつけて」
頭を自然な動作で撫で撫でされ、それが嫌ではなかったことが不思議だった。こくりと頷き、ほぼ中央に位置する黒い螺旋階段を上がる。
途中、マスクをした小柄な生徒とぶつかりかけた。黒くつややかな髪をした、中等部の生徒だった。小さく頭を下げられて会釈を返す。くりくりと大きな目をしていて、瞬間、見惚れた。
二階はナツにとって天国だった。
絵本から児童書、純文学書から随筆から大衆文学から翻訳書までなんでも揃っている。あれもこれもと立ち読みしたり目移りしている間、ふと何冊借りられるのか、聞いてくるのを忘れたことに気づいた。
鬼島さん、どこにいるんだろう。
二階から見下ろすと、窓際はすべて閲覧席になっていた。一人掛けもあるがほとんどは二人掛け、その多くに、中等部と高等部の制服を身に着けた生徒が座っている。親密そうに、肩を寄せ合うようにして。『兄弟制度』というやつなのだろう。それは全ての生徒間で有効なのか。いやいや右京は兄を持たないと言っていたし、当然弟を持たない生徒だっているはずだ、と思う。
きょろ、と見渡したナツの目に、有澤が留まった。二人掛けのデスクに一人で、傍らには開いたままの教科書とノート。医務室に来た理由だった弟と勉強でもしていたのだろうか。
「何探してるの」
突然、息のような声がした。耳のすぐ真後ろで鳴ったそれに勢い良く振り返る。
お人形が立っている。いや、マネキン。いや、蝋人形。あらゆる単語がナツの頭に浮かんでは消えた。怜悧で端正な顔立ちに白に青メッシュのショートカット、着崩された高等部の制服。どこか蛇を思わせる目に見下され、これ以上下がれないのに後退り。迫力いっぱいの美形がそこにいた。
「優志朗先輩、探してるの」
美形は声まで美形だった。小声なのにぱっきりとした、よく通る音。
「ゆう……鬼島さん……」
「全く理解できない。こんなののどこが良くて優志朗先輩は弟にしたんだろう」
削って作ったような繊細な指先を口元に当てる美形。それからもちんちくりんだとか十人並みだとか、単語が次々に繰り出される。ナツは怯えた。急に出てきた美形に、よくわからないけれど罵られている。
ちょっと泣きそうになったとき、お兄ちゃん、と声がした。こちらは小声でも華やかな、ころりとして瑞々しい可愛らしい声。
「佐々木のお兄ちゃん、お待たせっ」
「待ってないよ」
紛れもない、ミニスカート姿のふわふわした女の子。紺のセーラー服に臙脂のスカーフ、白い緩やかなカーディガンに紺のソックス、ローファー姿のむちむちと可愛らしい子が、ピンクブラウンの前下がりボブの髪を揺らして佐々木なる美形に抱き着いた。
大きなぱっちりお目目で、ナツを見る。
「あ、転入生さんだ」
「う、うん」
「お兄ちゃん、知り合い?」
「ううん、全っ然知らない」
「中等部一年生のシノだよっ。鬼島のお兄ちゃんの弟さんになったんだよね?」
こくり、頷く。一年生にも知れ渡っているようだ。
「こちら高等部一年生の佐々木のお兄ちゃん。前に鬼島のお兄ちゃんとルームメイトだったの。これからなんかあるかもしれないからよろしくね」
「あ、うん……ナツ」
「知ってるーナツさんっ」
ゆーめーだもん! と、シノが笑った。ゆーめーか、とナツが呟く。
「お兄ちゃん、行こ? シノお腹空いたー!」
「うん」
ばいばーい、とにこにこのシノと、一瞥もくれない佐々木。嵐のような出来事に、思わず傍の踏台に腰を下ろす。なんだか疲れた。でも本は選びたい。
暫しの休憩を挟み、三冊ほど選んで下に降りた。絵本が一冊、読めそうな純文学書を二冊。
「お待たせしました」
鬼島は雑誌を眺めていたらしかった。ソファで悠然と足を組み、読みかけのものを閉じる。
「好きな本、選べた?」
「はい。お願いします」
「喜んで」
ナツから本を受け取り、カウンターへと持って行く。外に出ると賑やかな部活動の声が聞こえてきた。グランドが近いようだ。
「さっき、佐々木さんって人に会いました」
かばんへ本をしまいながら言う。反応がないので顔を上げると、鬼島がとても複雑そうに唇を突き出していた。
「なんか言われたでしょ」
「ちょっと」
「気にしないで。変わった奴だから」
変わった奴
首を傾げる。鬼島は「ほんとに気にしないで」と言った。
「白豚ちゃん、一緒だった?」
「しろぶたちゃん?」
「なんかころころした子」
「ころころしてたかはわかりませんが、シノちゃんと一緒でした」
「それが、そう」
「失礼だと思います。可愛かったですよ」
「いいの、あれは。……さて、帰ろっか、ナツくん。家まで送るよ」
はい、と言いかけて、あれ、と言う。
「鬼島さん、寮じゃないんですか」
「寮だけど? 今はひとりだからいつでもナツくんに入寮していただきたい」
「いや、しませんけど」
「辛辣」
「おれのこと、送ってくれなくていいです。寮、すぐそこじゃないですか」
敷地内に寮はある。ちょうど図書館の向こう側、体育館を越えた方だ。薄らぼんやりした学校図を頭の中に呼び出し、確か、と付け加えた。
「ナツくんち、そんなに遠くないでしょ」
「歩いて十分くらいです」
「散歩程度の距離じゃないのよ」
「そう、でしょうか」
「うん。なんなら朝もお迎え行きたいくらい」
「それは、大丈夫です」
ナツくんって意外とはっきり言うよね……といじいじ鬼島。揃って正門の方へと歩き出す。
そんなふたりを窓から見ている姿があった。
「右京、気になる?」
後ろから抱きしめられ、右京は頭を預けた。
「気になる」
「さっそく弟になるなんて運命だね」
「そんな運命、無くなればいいのに」
「そういうこと、言うものじゃないよ」
猫にするように顎の下をするりと撫でられ、目を細めた。首を反らして見上げる。加賀のきれいな輪郭が見えた。
「おじさん、今日何時に帰ってくる?」
「十時くらいには帰りたいね。待ってなくていいから、先に寝て」
「うん」
ごろごろ、甘えてみる。加賀の腕が上手に甘やかして、とても心地が良かった。
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