学校ぱろ。 2
「隣の席、空席?」
「ううん、いるよ。普段医務室にいる」
「いむしつ?」
「身体が弱くて、すぐ熱が出ちゃうからって言ってた。なつは今日もかわいいね」
「あばば」
するりと絡む指。自然すぎて全く気付かなかった。慌てるナツに右京がほほ笑む。硬質かと思っていた表情は案外柔らかく変化し、よく笑う。それは微笑といえるものがほとんどだったけれど、ナツが真っ赤になるには充分だった。
転入初日、当たり障りなく挨拶を終えて右京の後ろの席となった。滑らかに連絡する加賀の声は聞きやすく、うっかり眠たくなってしまうくらいだった。
右京のスキンシップの多さに驚きつつ、案内を受ける。とても自由な校風らしく、ジャケットは着ても着なくても良いし、シャツも特に規定なく、なんなら制服を着なくてもいいという方針のようだ。授業もコア科目以外は選択という柔軟なシステムで、朝の伝達事項を聞いて帰り、午後からまた来るという生徒もいるらしい。
「何取ればいいんだろ」
「迷ってるならぼくと同じ教科取ろう。なつがいれば楽しい」
「う、うん」
ずいっと顔が近付いてくる。はわ、と慌てるも、やはり傍らの空席が気になった。医務室通いという話だが、いずれ会えるのだろうか。それに、教室に来てからずっと寝ているらしい斜め右前の生徒も気になる。赤っぽいブラウンの髪と、ブルーのシャツを着ている背中しか見ていない。加賀も起こす様子がなかったので普通のことなのか。
「なーつくん」
ふと、教室がざわついた。
後ろのドアを蹴立てて入ってきたのではないかと思うような勢いで開けて爽やかっぽくやってきたのは鬼島。ざわつきも気にせずまっすぐやって来る。その後ろには昨日追い掛けっこをしていたと思しき丸刈りの生徒がいる。がっちりしていて顔が怖い。ヒッ、とナツが呟くと、鬼島は彼を見た。
「ほらあーりん、顔が怖いからビビられてる」
「連れてきたのはあんたでしょうが」
「だって証人がいるんだもん」
「友だち少ないから」
「あーりんは友だちじゃなくて下僕」
「帰ります」
「嘘だよーごめんごめんー」
ハイスピードなやり取りを聞きながらおどおどしているナツに、ようやく鬼島が目を合わせた。
「おはようナツくん」
「あ、おはよう、ございます」
ぺこりと、座ったまま頭を下げる。うんうん、と頷いた鬼島、すっとしゃがんでナツの机に両腕を置き、顎をのせる。
「ナツくん、改めて高等部二年の鬼島優志朗でございます」
「高等部一年の有澤譲一朗だ」
この貫禄で一年生。
思わず二度見したナツに眉を寄せた有澤。睨みつけられたような気がして、うっ、と椅子ごと後退った。すると困ったような顔になり、怖くない怖くない、と宥めるように言われて位置を戻す。
「中等部二年生のナツくんに鬼島さんが神様になってあげよう」
「かみさま」
首を傾げる。神様とはなんなのだろうか。その思いを汲み取ったように有澤が、怪しい宗教勧誘ですか、と突っ込んだ。
「なつ、こんな奴と兄弟にならないほうがいい」
右京が言い、きょうだい、と、ますます訳がわからなくなる。一体何の話をしているのだろうか。
「この学校には独自の制度がある」
見兼ねたように有澤が言った。
「下級生が学業だとか生活だとかで困らないように、上級生が手伝う制度だ。それが『兄弟制度』という名前でな。強制ではないが、そういう風習があるんだ。男子校ゆえの色々も絡んで」
「色々ってなんですか」
「……まあ、色々だ」
「ウキョウくんも、いるの」
話を振られ、首を横に振った。「面倒だから」とばっさり。
それに対して鬼島がにやにやと笑う。
「『仔猫ちゃん不可侵協定』がある王子様には無縁のお話だよねー」
右京が思い切り嫌な顔をした。やはり表情豊かだ。
「……ええと、それで」
「うん。鬼島さんの弟ちゃんになって、ナツくん」
教室が、今日一のどよめきに包まれた。今や同級生の目が全て自分に向けられている。気付いたナツはどうしてかはわからないけれど、何やらとんでもないことを言われたらしい、ということだけがわかった。
しかし鬼島はやはり、気にする様子はない。
「ナツくんが弟ちゃんになってくれたら鬼島さん安心」
「うう……?」
「昨日、うん、って言ったよね?」
ざわ! 教室の空気が動く。
うん、って言ったのか転入生。
とんでもないな転入生。
早々に目をつけられちゃったのか転入生。
同情と羨望の眼差しだが、ナツは狼狽える。確かにはいと言ってしまったけれど、まさかそんな制度があるとは知らなかったわけで。あのはいは無効なんでは。
しかし鬼島が強めに「ね」と念を押してきた。思わず再び「はい」と答えてしまう。
「はい、あーりんとクラスの子がしょうにーん」
「言わせたような」
「お黙り証人」
半ば強引に兄弟と決まってしまった。ようだ。ナツは右京を見る。右京は憂鬱そうな顔で「はい、って言った、なつ」と言う。曰く、証人の前で肯定したら覆せないのが『兄弟制度』の恐ろしい部分、なのだそう。あばば、と慌てるももう遅い。
「鬼島様が弟を……」
「転入生を弟に」
「しかも自らやってきて」
「わざわざ弟に」
そのニュースは学校中を駆け巡り、回り回ってナツの耳に戻ってきた。そのときに齎された情報として「あの問題児、鬼島優志朗様がついに弟を持った」というのがあった。問題児。様付け。やはりとんでもないことだったのだ、とびくぶるナツ、転入初日であったことや、急にできた兄のこと、決まらない授業組みなどで、唯一の自慢であった頑強な胃がギリィ、と痛んだ。あまりに痛かったので、思わず午後に医務室の世話になるほど。
右京がついて行くと言い張ったが丁重に辞退して、頭の中の地図を頼りに階段を降りた。
一階、高等部と中等部の教室棟の間に、それはあった。
アイボリーの、落ち着いた壁紙とソファ。木のテーブルや棚が設えられ、医務室というより豪華な待合室か相談室、と言った雰囲気の部屋。
きりきりする胃を押さえてソファに座ると、カーテンが開いた。
「ナツさん」
姿を見せたのは、昨日世話になった談。今日は派手な私服の上に白衣を着ている。
「談、さん」
「実は保健医です」
「はわ、昨日はありがとうございました……保健室のせんせーだとは知らずに」
「いいえ、困っている生徒を助けるのも大事なお役目のひとつですから」
笑顔を見るだけでほっとする。ニュースのせいか、どこへ行っても好奇の視線を浴びてそわそわしていたところだったからだ。
胃が痛いんです、と告げると談はてきぱきと腹を押したり脈を取ったり、一応、と血圧を測ったり、アレルギーの有無を聞いたり。
「あの鬼島優志朗の弟になってしまったら、大変ですよね」
最終的に「お薬です」と談が差し出してきたのはマグカップいっぱいのホットミルク。両手で持ってふうふうしながら、首を傾げる。
「おれ、なんにもわからずに、はい、って言っちゃったんです」
「そうですよね」
「鬼島さん、どんな人かも知らないのに」
「……悪い人ではないですよ」
「そうなんですか」
曰く、夜の街で有名だとか、裏で何をやっているかわからないだとか。噂だけはすでに山ほど聞いている。昼の学食は、ご飯は美味しかったけれどあれやこれやのざわざわが凄かった。おかげでご飯も三杯程度しかおかわりできなかったほど。
ごく、とホットミルクを飲むナツに、談が微笑む。
「きっと、鬼島さんでよかった、と思うことがあるはずです」
「……はい」
「いずれ、ね。頭も良いですし、頼ってあげてください」
「はい」
この学校の進度は速いらしい、と気付いていたので、頼ってみようかな、と思う。鬼島についてはわからないことだらけだ。まずは知らなければ。
そう思ったナツは、ごくごくミルクを飲んだ。
「少し、ベッドで休みますか」
「いえ、このままで平気です」
そうですか、と談が応じて、片隅にある白い天板のデスクへ歩み寄った。
ぐるり、部屋を見渡してみる。
室内のほぼ中央に楕円形をした大きな木のテーブルがある。座り心地の良さそうな椅子も何脚か。そのうちの一脚が中途半端に引かれていて、使いかけらしいノートや教科書が放置されている。
そういえば隣の席の子。
思い出したのと同じタイミングで、がらりとドアが開いた。
「こんちは」
入ってきたのは有澤だった。丸刈りの厳つい先輩。ナツを見て「ナツさん」と呟く。さん付けだ。
「ナツ、なんて呼び捨てにしたら鬼島先輩にぼろくそ言われますから」
苦笑い混じりの理由に、ナツが頷く。短いやり取りの中に、鬼島の理不尽さは理解できていた。
「えと、有澤さんは何をしに」
ナツが尋ねる。有澤は視線をカーテンへ向ける。
「ちょっと……弟の様子を見に」
「有澤さんの弟さん、ですか」
「『兄弟制度』の、ですけどね」
静かに近付き、カーテンをそっと開いて中へ滑り込む。話し声は聞こえなかったが、ベッドが軋んだり、椅子を引いたりする音はかすかに聞こえた。
「教室、戻りますね」
「いつでも来てくださいね、ナツさん」
「ありがとうございます」
ぺこんと頭を下げたナツの髪を撫で、見送ってくれた談。
胃が痛くなったことはおとーさんには内緒にしておこう。そう思いつつ、廊下を歩いていった。
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