愛しい子をいつも見ていたい
有澤譲一朗は外出が多い。東道会絡みであったり、経営している金融業関係のことであったり、繊細な満和のためのものを仕入れに行ったり。その間、当然満和は家にひとりだ。ひとり、というか、北山もいれば若衆もいる。隣には鬼島やナツも。
病弱であまり出かけない満和は、家の中で過ごすことが多い。時々出かけても近場の郵便局だとか、文房具屋だとか。お気に入りのかばんと靴にもれなく仕掛けている発信機が示すのも家から歩いていける距離ばかり。遠出すると言えば病院くらいだ。
が、有澤としては家も安全とは言えないと思っている。
もちろん家の者を信用していないというわけではない。
もしかしたら庭に出入りしている庭師の弟子が満和の可愛らしさにふらふらするかもしれない。
もしかしたら水道工事に来た人間が満和に不埒な思いを抱くかもしれない。
強面の若衆に囲まれ北山に監視されればそうそう手も出せないだろうが、何が起きるかわからない。心配だ。だから、そばで見守る代わりにお守りを仕掛けた。あちこちに。
家からは遠く離れた煌びやかなホテルの一室、広々としたロイヤルスイートルーム。満和がいればどんなことを考えただろう。この美しい夜景と海を見て。高いと言って怖がっただろうか、美しいと言って喜んだだろうか。
スマートフォンを取り出して写真を撮る。反射しないように工夫された壁一面のガラスは夜景をそのまま切り取ることができた。送信する画面にして、テーブルへ置く。ソファへ腰を下ろして、ノートパソコンの電源を入れた。
アプリケーションを起動すると、すぐに見慣れた光景が現れた。
満和の姿が、見える。棚に置いたイルカの目にカメラ、口に空いた小さな穴に集音マイク。どちらも公的機関で採用されるほど高性能なものだ。一般に出回らないものも簡単に入手できるのが、東道会に在籍している旨味のひとつ。しかし犯罪には向かないので、こうして大切な人を見守ることに使用している。健康で平和な利用法だ。と、ひとりで考えつつ、満和が本を読んでいる姿を見つめる。布団の上、枕とクッションで高さを調節して少々起き上がるような姿勢。腹の上に本を置いて、ときどき疲れるのか、しおりを挟んで目を閉じた。近くにいれば、今すぐ撫でてあげられるのに。
昼過ぎ、北山から連絡を受けたときは熱が高いと言っていた。
しかし夕方になって若衆に尋ねたら、なんとか平熱間際まで下がっていたと。今も顔色はよさそうに見えるが、熱を出した後で疲れているのだろう。休めと伝えたい。
送信画面のままだったスマートフォンを手に取り、操作する。
写真を送り、今日は早く休みなさい、と打ち込んで。
ノートパソコンのスピーカーから音がした。メッセージの受信を告げる短い音。
満和が目を開け、億劫そうにしながら枕の横のスマートフォンを手に取る。最新の、小さなものに最近買い換えた。重たそうだったし、手に余っていて大変そうだったからだ。まだ慣れていないようで、難しい顔でもたもたと扱い、ようやくメッセージを目にしたらしい。
夜景の写真が気に入ったのか、微笑む。
その顔だけで有澤もにやついて、口元へ手を当てた。今日もとてもかわいい恋人。でも少々辛そうなのがやはり気になる。
続けてメッセージを送信。体調を尋ねる。
満和は両手でスリムな機体を持ち、細い指を動かす。
まもなく受信した。
「だいじょうぶです」
そうは見えないが。
眉間にしわを寄せる。
「満和さん、いいですか」
声がした。低くて渋い、北山の声。機械越しでもすぐにわかる聞きなれたものだ。
「はい」
満和の声は少し高くて、いかにも少年らしい。あまり変声期らしい変声期がなくて、子どもの雰囲気が抜けない。だからついつい過保護になる、部分もあるのだろうか。
北山が入ってきて、満和の隣へ正座した。蒸し暑い日でも長袖にスラックス、薄い靴下。どれも黒で統一されていて、襟元だけが開かれている。
「お加減はいかがですか」
柔らかく微笑む。満和やナツにだけ見せるもので、自分が若かったときから今に至るまで一度も向けられたことのない表情。
「平気です。でも、熱のあとなのでちょっと疲れてます」
「そうですか。何か食べられそうですか」
「今は、まだ。ごめんなさい」
「いいえ。そう言うと思ったので、バナナのジュースをお持ちしました」
差し出された液体をゆっくり飲む。こく、こく。その様子も胸をきゅんと言わせる。
「ありがとうございます。有澤さんから、早く休みなさいって連絡が来ました。ぼくのことがわかるみたいです」
「あの人は、どこかでいつも満和さんを見てますからね」
満和が微笑む。
「有澤さん、いつ帰ってくるんですか」
「あと二日、ですね。九州のほうまで行って帰ってくるそうですから」
「さっきすごくきれいな夜景を見せてくれました」
「一緒に見たいって思ってると思いますよ」
「ぼくがもう少し強かったら、有澤さん、連れて行ってくれたんでしょうか」
ふう、と、大きく息を吐く。
北山が黒髪を撫でる。有澤は画面越しに少しむっとした。北山がよくやることとは言え、近くない場所で見るのは若干不愉快。しかし満和の言葉にきゅんとしていたので相殺だ。
「今回のように安全だったら、可能性はありましたね」
「……有澤さん、おひとりなんでしょうか、いま」
心配そうな満和の声に、今すぐ電話でもしてやろうかと思った。けれど不自然だ。話題が出てるときに。腕の中で絞るように機体を握る。屈強な有澤の両手に揉まれた薄型は、ぎしりと嫌な音をたてた。有澤には聞こえていないが。
北山が、声を出して笑う。
「さあ、どうでしょう」
おい、と思わず呟いた。満和が不安そうに眉をしかめる。ああかわいそうに、悪いやつに騙されて。おろおろする有澤。
「有澤さん、やっぱり、大人のほうがいいのかな……」
「ふふ、嘘ですよ。有澤さんは間違いなくおひとりです。むさ苦しい男どもに囲まれてうんざりしていることでしょう」
「……本当に?」
「自分のことは信用していただけていると、自負しておりますが」
「……」
「嘘だと思うなら電話してみては?」
満和が、むにむにとスマートフォンを触る。手の中でぎしぎししていた電話が黙って震え始めた。
北山ありがとう。
思いながら、電話に出る。もちろん画面を見つめて。
「有澤さん、寝てましたか」
「いや、まだ風呂にも入ってない」
電話に出たあと、明らかにほっとした顔をするのが可愛らしい。ソファの上で拳を握り締める有澤。抱きしめたい。
ノートパソコンとスマートフォンとダブルスピーカー。幸せな気分だ。
「有澤さん、あのう」
「どうした」
「……おひとり、ですか」
「もちろん」
「本当に?」
「ああ」
「……信用します」
「そうしてくれ。満和くんは、いまひとりか」
「いいえ。お部屋に、北山さんがいます」
「……声が疲れているようだ。今日は早く寝なさい」
「はい」
「満和くん」
「はい」
「……とても会いたい」
画面の中の満和は、とても驚いたような顔をした。なぜだかわからないけれど。
そのあとに笑って、ぼくもです、と、恥ずかしそうに言った。高性能なマイクが拾ってくれた小さな声。ふたつの声が幸せにしてくれる。
「おやすみなさい」
「おやすみ、満和くん。いい夢が見られますように」
「ありがとうございます。有澤さんも」
電話を切ると、北山が満和に薬を飲ませた。
それから頭の下からクッションを外し、横にならせる。明かりを消してまた座り、満和が寝付くのを待って立ち上がって。
その北山が、満和の向かいにあった棚の前に立った。
ひょいと、カメラを覗き込む。鋭い眼差し。なんだか若干怒っているようだ。
「見張ってんじゃねぇよ。趣味悪いな」
小さな、どすの利いた低い声で囁いて。
イルカのぬいぐるみを持ち上げた。カメラが揺れたので接続を切る。見つかっていたのか、と、天を仰いで溜息。しかし有澤は慎重な性格だった。
アプリの画面左上部、接続という部分へカーソルを持っていき、クリック。
すると左側にずらりと数字が出てきた。1から20まで。それは家中に仕掛けられたカメラとマイクの数。2を押す。寝息が聞こえてきた。満和の枕元に置かれている熊のぬいぐるみに仕掛けてあるもの。しかも。キーボードのCtrlキーを押しながら3を押す。音はそのままに、画面へ暗視カメラの映像が映った。さきほどのイルカに比べてさらに高性能。暗い場所にもこうして対応可能だ。
はっきり映る満和の寝顔。天使の寝顔だ。
にへにへ、だらしなく顔を緩ませる有澤。そこへ、また畳を擦る足音。すわ侵入者かと思ったのだが。
北山が、むんずと熊を掴んで放り投げた。
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