お友だち(偽) | ナノ

30


 

夜山(ややま)





「家から出ないほうがいい」


 朝、父親に言われたシノ。しかしお金持ちや訳ありの子女ばかりが通う学校は他の同じ私立に比べても格段に警備が固い。それを言うとなにか言いたそうにしたけれど、結局いつものようにキスをして送り出してくれた。
 運転手も、隣に座るお世話をしてくれるお兄さんも、どこか緊張しているように見えた。
 シノは不安そうに、胸のあたりを流れるミルクティー色の髪を指に巻きつける。薄く塗った日焼け止め、白い肌。もちもちとした身体にはいつもと同じ、短いスカートとシャツとブレザーの制服。足は黒いニーハイソックスに包まれ、濃い茶色のローファーを履いている。

 玄関の前まで送ってもらい、校内に入った。にぎやかな生徒の声。聞いたシノは、小さく息を吐いた。いつもどおりの学校。下駄箱の前であったクラスメイトに挨拶をして、何も変わらない朝だった。そう思っていたシノ。
 その姿を見ている、じっとりした視線には気付かなかった。



「おはよう、忍」
「あ、おはよう清人」
「なんか元気ないね」


 幼稚舎から同じクラスの清人は、心配そうに眉を寄せた。くりくりした目の可愛らしい男の子。シノは微笑って、首を横に振る。


「大丈夫だよ」
「そう? なら、いいけど」


 幼い顔立ちにそぐわない大人びた眼差しでしばらくシノを見て、後ろの席に座った。
 重厚な音の鐘が校舎に鳴り響く。
 生徒たちは席に着き、おとなしく担任教師が来るのを待った。
 普通の日が、始まった。
 なのになんだか不安なのはなぜだろう。いちばん後ろから二番目の席に座るシノは俯き、思いついてかばんを探る。
 怖いとき、不安なとき、頼る相手。


「おじちゃん、おはよう」


 取り出した、くっきりブルーのスマートフォン。佐々木と一緒に決めた、オーダーメイドの色。裏の、バッテリーの蓋の下部には銀の流れるような文字でシノの名前が刻んである。『Shino.T』と。
 暗証番号を叩き、ロックを外して文字を打って送信すると、画面に出てきた吹き出し。
 返事はすぐに来た。


「おはようシノちゃん。今日も可愛いかな」


 いつもと同じ言葉に安心して、返事を書く。


「かわいいよ!」
「そう」
「おじちゃんは?」
「いつもと同じ」


 ということは、いつもと変わらないかっこよさ。くふふ、と笑ったシノはすっかり不安を忘れていた。


「おじちゃん、今日学校がおわったらあえる?」
「いいよ。学校まで迎えに行く」
「うん」
「いいこにしててね。ふらふらしないで」
「わかった」


 早く学校が終わらないかな。
 すでに気持ちは、放課後の佐々木とのデートに飛んでいる。

 かばんにスマートフォンをしまい、一時間目の国語の授業を受けてトイレへ。戻ってきて、二時間目の数学。よくわからない、シノにとっては複雑な計算を習う。

 それが終わると、三時間目。
 休み時間にぼんやりしていたら後ろの席の清人に肩を叩かれた。


「忍、移動だよ」
「え、そうなの?」
「書いてある」


 後ろの黒板。予定表となっているそこには、今日の日付のところに『三時間目、授業・教室変更』とあった。


「まだ準備してない!」
「待ってる」
「いいよ、先行って。シノ、教科書ロッカーの中だもん」


 ロッカーは教室の隅にある。電子ロック式で、開けるには読取機に学生証と鍵を兼ねたカードをかざさなければならない。


「すぐ行くから」
「わかった」


 頷いた清人は、教室の出入り口で待っていた他のクラスメイトと一緒に廊下を歩いていった。隣館まで移動だ。
 ロッカーに歩み寄り、カードで鍵を開ける。かちゃん、と開いた音。一番端、立ったまま開けられる高さにシノのスペースがある。扉が僅かに浮き上がり、そこへ指を掛けて白い戸を開けた。

 静かな教室。
 足音も立てずに、入ってきた。
 黒いキャンバス地のスニーカーに黒いパンツ、学校を歩く用務員に義務付けられた、校章入りの白いシャツと作業着を痩せた身体に身に着けている。それに黒いキャップ。


「……とらたに、しのさん?」


 シノは最初、同級生に話しかけられたのかと思った。けれどこんな声に覚えはないし、よく考えれば大人の声だったような気もする。
 振り返る。
 用務員の服を着た若い男が立っていた。カサついた唇には血がにじみ、痛そうだな、と思ったのが第一印象。


「こんにちは、用務員さん」
「こんにちは。落し物だよ」


 ひび割れたような声。
 差し出された荒れた手にのっていたのはシノの白いハンカチ。丁寧に名前の刺繍入りで、父親がくれたものだ。


「ありがとうございます。どこで落としたんだろ……」
「気を付けないと、だめだよ」
「うん。ごめんなさい」


 シノより少し背が高いだけの相手。
 ハンカチを渡したのに、立ち去る気配がない。顔を上げて目を合わせた。
 男は微笑んでいた。
 くらい、くらい眼差しで。


「写真で見るよりかわいいね」


 右手の親指。ところどころに血がにじむ乾いた手、ぎざぎざした爪を唇に当てて、白い歯が噛む。がり、がり。


「ずっと、かわいい」
「……あなた、だぁれ」


 後ろはロッカー、前は男、右は壁だ。逃げるなら左。


「すっごくかわいいけど、壊さなきゃ」
「どういう、こと?」
「壊さなきゃいけない。鬼島優志朗のために」


 壊さなきゃ
 壊さなきゃ

 呟く男が怖かった。
 左手が、後ろに回る。シノは咄嗟に左へ駆け出した。机の間を抜け、前の出入り口へ。しかし、腕を掴んだ手があった。前の、すぐそこの引戸から廊下へ出たいのに、強い力で引き戻される。


「やだ、離して!」
「かわいいのに、惜しいな」
「離して!」


 振りほどいた。
 引戸の長方形の取っ手へ手を掛ける。
 しかし、戸はびくともしない。鍵がかかっているのだ。


「閉めちゃった」


 ふふ、と笑い声。
 シノは丸い目から涙を零しながら、背を戸につけて振り返った。近くに、男。


「鬼島優志朗、苦しめるためだから」


 ごめんね
 ちっともそう思っていなさそうな声。後ろは開いているとわかるけれど、男との距離が近すぎて逃げられる気がしない。
 男の左手に、ギラギラと輝くナイフがあった。簡単に身体を切り裂きそうな、それ。


「大丈夫だよ。痛くないから。ちょっと……びっくりすると思うけど」
「いや」
「拉致するっていうのも考えたんだけど難しそうだなって。だったら教室がいちばんだよね」


 学校は、入っちゃえばなんでもできるもん。

 男が笑う。
 シノは父親の言うとおりにしていればよかった、と思った。ほろほろ溢れる涙を掬う、ざらついた指。頬に触れ、シノはびくりと身体を震わせた。それをきっかけにしたようにかたかた震え出す。
 男の手からは消毒液のような匂いがした。


「……総長には、お世話になったんだけど」


 ごめんね

 男の手が、シノの口を覆う。柔らかな頬が指の形を追った。目を閉じることもできないシノ。振り上げられた銀を目で追う。

 しかし、輝きが振り下ろされることはなかった。

 男の目は、シノの頭上を見つめている。
 やがて、短く息を吐き、机一つ分後ろに下がった。すぐに、がちゃん、と、鍵が開く音。 


「授業に出ないなんて悪い子ねぇ。先生がお仕置きしてあげましょうか」


 開いた引戸、シノの身体を後ろから抱くしっかりした腕。
 嗅ぎ覚えのある甘い匂いに、朝の記憶が蘇った。


「うちの若は優等生なの。悪いことに誘わないでほしいわ」


 しがみつく手を柔らかく包む、骨の浮いた薄い皮膚の大きな手。


「ただでさえ、かわいい若に悪いコトする男がいるんだから。これ以上変な虫が近寄るの、困っちゃうのよ。わたしが総長にお仕置きされちゃう」


 シノは胸に顔を埋めて、優しい腕に抱かれて震えながら泣いていた。だからその音は聞こえなかった。
 撃鉄を起こす音。抱いていない方の手に宿った暴力。

 強いのは反動だけで、空気がぬけるような音がした。それからガラスが割れる音。


「あらやだ、気持ち悪い素早さ」
「……夜山さん相手じゃ、分が悪すぎて。鬼島優志朗どころじゃなくなるし」
「あんた、まだ鬼島優志朗に執着してるのね。あんな骨皮みたいなゾンビみたいな男のどこがいいの」
「そこ、腐った根性」
「なるほど」


 気の抜けたような会話。
 二度、三度、軽い音と重い音。


「逃げられないわよ」
「逃げられるよ。カラスは自由だから」
「わたしひとりだとでも思うの?」
「東道会は、夜山以外なら葉っぱみたいなもの」


 見動きしても音がしないカラス。
 軽やかな動きで廊下へ出る。そこにいた行き先を阻む者の前で飛んだかと思うと、踵を振り下ろして首筋を捉えた。
 崩れ落ちる。それを乗り越え、四階の窓から外へ飛び出した。下は玄関の屋根。更に地面へ、走り去る。


 シノを守る。
 それが使命の夜山は深追いしない。シノの父親である虎谷上弦も言っていた。何が待っているかわからないから、と。

 夜山は前髪を小指でさらりと梳いた。
 アシンメトリな髪型はほとんど刈り込まれ、顔の左側面を流れる黒い前髪だけが長い。眉はほぼなく、黒く縁取られた目は鋭い形の二重。端正な小さい顔に高い身長、細身の身体に黒いタイトなスーツを身に着け、高いヒールを履いている。素早く、流れるように腰のホルターへ収められた黒い銃。


「帰りましょ、若。許可は取ってあるから」


 何があっても、学校は静かだ。生徒もあまり動じない。そういう家で育ってきているから、だ。
 シノが突如帰宅したことを不思議に思ったのはクラスメイト。しかし、誰かがそれを口にすることはなかった。割れたガラスや壁のひびは速やかに修理され、何事もなかったかのように日常が続く。


 静かな部屋。
 まだ明るいのに、日を避けるように締め切られた上弦の部屋は薄暗い。香が焚かれた香りの良い和室で、シノは父親の腕に抱かれていた。和服姿の上弦、波打つ長い黒髪は畳につくほど。澄み切った目は閉じられ、腕の中にいる愛し子に集中しているようにも見える。


「パパ」
「ん?」
「なにが、おきてるの。鬼島のおじちゃんと関係あるの?」
「……カラスが」
「からす……?」
「少し前に、うちにいたんだよ。東道会にね。でも、あの子には少し問題があって絶縁にした。そのきっかけが鬼島優志朗だったんだ」
「鬼島のおじちゃん」
「うん。優志朗が、あの子の……ちょっとした、悪いくせに気付いてね。カラスは拠り所が東道会しかなかったから、居場所を奪った優志朗を恨んでる」
「……でも、なんで、シノ?」


 しくしく、恐怖に泣き出した子どもを甘い声で慰めて一層強く抱き、キスをする。


「大丈夫、ここは安全だから。辛かったね。可哀想に」
「ぱぱ」
「守るから、大丈夫」
「こわい」
「パパを信じて」


 シノが眠ると上弦は、静かに夜山を呼んだ。


「優志朗、連れてきて。今すぐ」


 その頃、駅の雑踏に紛れた男。
 爪を噛みながら、手に入れたそれを掲げてひとり不気味に笑った。
 青いスマートフォン。裏面には銀色で彫り込まれた名前がある。



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