お友だち(偽) | ナノ

29


「有澤さん、帰ってこないんですね……」


 寂しげに呟く満和の頭を撫でる北山の手。
 厳戒態勢の有澤邸、奥にある子ども部屋の周りを若衆が警戒に当たっている。
 温かくなったり寒くなったりという気温の変動に弱い満和、布団からあまり出ない生活が続いていた。うつむいて水っぽい咳をして、北山を見上げるくりくりとした目。


「どのくらい、帰ってこないんですか」
「しばらく、とだけお伺いしています」
「しばらく……。有澤さん、大丈夫でしょうか……」


 赤い唇を震わせ、心細そうなのは体調が悪いせいだけではない。近頃周りに起きている変化におびえているのだ。ここ一週間、談の姿が見えなくなり、いつも穏やかだった家の中がとげとげしく張り詰めている。有澤も険しい顔をしていることが多い。
 満和の手が、北山の手を握った。
 か弱い、小さな、柔らかい手。暴力を知らない綺麗なそれが重ねられ、微笑む。


「有澤さんは大丈夫ですよ。本家にいますから」
「……ほんけ?」
「虎谷さんち……シノさんのお家です。あそこは安全ですからご心配なく」


 北山の優しい笑顔に、満和は頷くしかない。本当にそうなのかと思っても、聞いたところで北山は何も言わないだろう。ただ安全だ、と繰り返すだけだ。

 しかし、満和に笑いかける北山の胸中は別のことを考えていた。

 危険なのはむしろ、満和だ。
 
 ということ。
 本人に言っても不安にさせるだけだし、住まいを移すにしても、今のような状態ではよくない。しかし有澤は心配していて、今日、虎谷上弦に会いに行っているのは当面満和の身を預かってくれないかと頼むためだ。そこにはシノもいるし、何より安全。東道会総長の家は下手な施設よりもよほど厳重に警護されている。

 静かな夜。風の音もなく、細く開いた障子戸の向こう、窓の外では満月が輝いている。
 嫌な夜だ――と、北山は考えていた。


 深夜


 爆発音が、地面を鳴らした。
 満和は薬の効果で深く眠っている。その傍らにいて本を読んでいた北山は、文字を目で追いながら短く息を吐いた。
 部屋の前から若衆の気配は動かない。爆発は正門のほうからでわかりやすかった。次は裏か、と考えていたらやはり、敷地の裏から音がした。先ほどより静かなもの。
 屋敷の中から人を誘い出すためにしては幼稚すぎる。この程度では誰も動かない。いったい何が目的なのか、得体が知れない。そういう相手なのだ。
 三回目の爆発。それは庭のほう。
 音がして間もなく、部屋の外で声がした。呻き声。ひとつ、ふたつ、みっつ。ああ、来たな、と北山は冷静に考える。読んでいたページへしおりを挟んで閉じ、満和の傍らに置いた。

 ぬらり、障子が音もなく横へ滑る。
 薄暗い廊下、倒れている若衆の足が見える。それを跨いで、灰色の靴下に黒いパンツを穿いた足がそろりと入ってきて畳を踏んだ。火のにおいがする。不快そうに目を眇めた北山を、じっとり見下ろす暗い目元にはくっきりとしたくま。癖のある髪が顔にかかっているのが嫌だったのか、荒れた指で鬱陶しそうに払いのけた。


「まほさん、だ」


 少年ぽくも男性ぽくもある声、不思議な高さの声。ざらざらしていて、しかも小さいのでとても聞き取りにくい。もう少し騒がしかったら全く聞こえなかっただろう。
 北山が何も言わないで見上げていると、右手の親指をささくれた口元にやって爪を噛み始めた。噛み切るわけではなく、ただ噛んでいるだけ。

 両者の距離は畳一畳分ほど。


「……寒い。閉めろ。満和さんが風邪を引く」


 北山の低い声。
 そろりと障子が閉じられる。


「その子、ちょうだい」
「やれねぇな」
「その子壊さないと」
「やれねぇ」
「まほさん」
「満和さんが欲しいなら、俺をどうにかしてからにしろ」


 立ち上がりながら、ワイシャツの袖を丁寧に肘まで織り上げる北山。その腕を覆うのは色鮮やかな刺青。


「ただし静かにな。満和さんが起きたら困る」


 鈍く光る刃が突き出された。それを右手で軽く叩き、進行方向を変える。更に前へ踏み出すと、左掌を容赦ない力で鳩尾へ入れる。
 体勢を崩した相手の後頭部を掴み、顔面へ膝打ち。しかしそれを、ぎりぎりのところで相手の左手が止めた。右に持ち替えられた凶器、襲うのは足。刺さりはしなかったが、かすりはした。熱い痛み。切り裂かれたスラックス、血を流す肌。
 いつもきちんと整えられた髪が、乱れる。


「壊さないと」
「何でだ」
「鬼島優志朗が大事にしてる」
「満和さんを大事にしてるのは譲一朗だぞ」
「鬼島優志朗が大事にしてる有澤譲一朗の恋人。壊したら、鬼島優志朗が追い詰められる」


 にたり、と、気味悪く笑う。


「鬼島優志朗は苦しんで苦しんでひとりでしねばいい」
「お前は本当に優志朗が好きだな」
「すきだよ。でもだいきらい。難しいんだ。まほさんのこともすき。だけど、邪魔だから壊さなきゃ」


 唇に赤い血が光る。
 こんなにわけのわからない男でも、血の色は赤いのだ、と北山はなんとなく思った。自分に流れているものと同じ。同じ生物。よくわからないけれど。


「直接優志朗を狙えばいい」
「それじゃ意味がない」
「お前は前もそう言ったな」


 頷く、男。


「生きて生きて、しぬほど苦しんでもらわないと」


 男の視線が逸れる。
 その細い、骨のような身体のどこから、と思うような瞬発力で、満和のほうへ身体を動かした。北山が、身体を投げ出す。
 刃は腰のあたりに刺さった。
 痛みというより、強い衝撃。


「まほさん、すきなんだけどね」


 衝撃は一度だけではなかった。
 その中で北山は、満和が目を覚まさないことだけを、ただ祈っていた。こんな姿は見せられない。
 そして、今回は守ることができただろうか、と、眠る顔を見ながら、ほんの少し、笑った。



 駆け付けた若衆が最初に見たのは、廊下に倒れている者たち。それと、点々と落ちる血液。辿っていくと縁側の破られたガラスの向こう、闇に溶けるように地面に伏した北山の姿。


 また、騒がしくなった。
 満和が目を覚まし、ふらふらと賑やかなほうへ足を進める。
 ぼんやりした頭に、北山、という単語が入る。


「……きたやまさん」


 目にした、倒れている北山の姿。
 驚くほど白い、肌。まるで蝋のよう。それ以上は何も見えなかった。生きているのかどうなのかさえ、わからなかった。

 若衆のひとりに支えられ、部屋へ戻る。
 初めて気づいた。
 自分が寝ていた布団の掛け布団、本、が、染まっている。


 有澤が帰ってきた。
 濡れた布団の脇にいる満和は何も話さなかった。静かに、本を膝の上に置いて泣いているだけだった。


 朝が来ようとしていた。



お友だち(偽)TOPへ戻る

-----
よかったボタン
誤字報告所



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -