27
ドン、と音がするのを、その男は背中で聞いていた。黒いユニフォームの上下、肩には『カラス急便』という斜めの文字と、いやにおどろおどろしい黒い鳥のようなものが印刷されている。キャップを取り、頭を軽く左右に振る。
「まずはひとり」
掠れた、乾いた砂漠のような声。少年のものにも大人のものにも聞こえる。傍らのごみ捨て場に、脱いだユニフォームとキャップとをまとめて放り込んだ。下に着ていたのはなんの変哲もない白い長袖Tシャツ。右手親指の爪を銜え、がり、と噛み締める。ふわふわと柔らかそうな黒髪の、癖のある前髪の隙間から覗く瞳はじっとりと暗い。
乾燥して、ときおり赤の滲む唇を押さえるように指を含む。がり、がり。音がする。
「……きしま、ゆうしろう……きしま」
くふふ、と笑う。その目は動かず、前を見つめる。
鬼島が家に戻ると、客間にナツが呆然と座っていた。その傍らには北山の姿。細く開いた、続きの間とを立て切る襖。布団が敷かれ、満和が眠っているらしかった。
「ナツくん」
膝を突き、肩に触れる。
ナツはゆるゆると顔を上げ、鬼島の顔を見るとしくしくと泣き出した。談さんはどうしたんですか、と繰り返す。
「談はああ見えて頑丈だから大丈夫」
「うそ、です」
「ほーんとー。鬼島さんウソつかないよ。ナツくんには、なるべく」
ナツを包むように抱きしめる。
鬼島の胸へ寄りかかり、それでもナツは泣きやまない。
その後頭部を見ていたのは北山で、目を少し上げて鬼島と視線を交わす。鬼島の目はいつもと同じ。まるで何事もないかのように静かな静かな、それ。
「北山、あーりんは?」
「まだ帰っていません」
「そっか」
それで満和がこちらにいるのだ、と納得した。今日はもう何も仕掛けてこないだろうことは予測している。北山も知っているはずだ。
「ナツくん、大丈夫だよ。鬼島さんがなんとかするからね」
頭を撫で撫で囁きかける。
ナツが、涙に濡れた顔を上げる。
「……きしまさん、なにが、おきたんですか」
「カラスが山に帰ってきた、だけ」
「からす……」
「うん。すぐに追い払うからね」
心配しないで、と繰り返し、額に口付ける。ひく、としゃくり上げるナツは小さな子どものようで、信頼している談がいなくなったことの不安や悲しさを言葉以上に伝えてきた。
しばらくナツを抱きしめていた鬼島。そこへ、重い足音が聞こえた。控えめのそれも鬼島の耳には届く。
「鬼島さん」
「おかえり、あーりん」
障子を開けて入ってきたのは有澤だった。鋭い目を細めて満和を見、ナツを見て、鬼島を見る。
「……談、は」
「病院。きっちりしてあるから」
「そうですか」
北山が譲った場所へ座り、満和くんは、と北山へ尋ねる。眠っていると知ると安堵したように息を吐く。
「……カラス」
その後の呟きは、とても小さなものだった。
突然、ナツの身体から力が抜けた。しかしやすやすと受け止めた鬼島は、なれた手つきで横にさせる。す、と小さな寝息。
「電池切れ」
鬼島が肩を竦めた。
「ナツさんには少し負担だったようですね」
満和がいる部屋の押し入れから枕と毛布を出してきた北山が、言いながら頭の下へ置いて身体へかけてやる。ナツは以前鬼島がいなくなったときから、突然眠りに入ることが度々ある。電池切れ、容量オーバー。
有澤が鬼島を見た。
「本当にカラスなんですか」
「じゃない? ご丁寧に名乗ってくれちゃってるし」
「……帰ってくるとは」
「帰巣本能かな。よくわかんないけど」
へらりと笑う鬼島の、目。
笑わない、いつだって冷ややかな眼差しは有澤の向こうを見ていた。その目に映るのは恐らくカラスの後ろ姿。
「二度とばかな真似できないよう、羽ばたけないように羽を折ってもいであげたほうがいいね。あと足も」
「埋めたほうが早いのでは」
「ううん、痛みにのたうって地べた這いずり回るのが見たいんだ」
く、と喉を鳴らす鬼島。
その目は、凍てつくような冷たさを増していた。
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