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さかいめはどこか


 ゆら、ゆら、揺れる。柔らかなさざ波は律動というほど激しくはなく、ただ緩やかに、遊びのように気まぐれな快感がゆっくりと這いあがってくる。それにナツはときおり背中を震わせた。意外と逞しい腹筋を備えた鬼島の腹、その両脇についた膝がびくんと持ちあがると、大きな手がなだめるように撫でてくる。
 一体、朝から何をしているんだろう。
 どこか遠い場所でそんなことを考えながらナツは鬼島を見下ろした。体内の奥深くまで入りこんだ鬼島の熱を求めたのは自分自身だったはずなのに、なんだか鬼島に悪いことをされているような気分になる。
 心もとない、不安そうなナツの目に映る鬼島。浴衣の肌蹴かたはまるでわざとそうしているかのように色っぽく、波打つ黒い前髪の隙間からは欲情を伴った鋭い目が、それでも優しげにナツを見つめる。


「ナツくん、怖い?」


 首を横に振る。怖いわけではない。ただ、良いのか悪いのかわからないだけだ。
 週末、鬼島の家に泊るのはもはや習慣となっている。月曜日も鬼島の家に帰って、火曜日水曜日木曜日とアパートで過ごし、金曜の夜から再び鬼島の家で過ごす。そんなこともよくあることとなっているのだ。
 同じ布団で寝て、一緒に起きて、一緒に食事をする。夜はこうして身体を重ねることもあったけれど、朝、目が覚めてすぐに、というのは初めてで。なんだか境目が無くなっているかのような気がする。鬼島の中に取りこまれてしまいそうな、そんな錯覚を感じた。
 そして、それならそれでもいいか、などと思う。
 良いのか悪いのかわからない。
 太股に置かれた鬼島の手へ、手のひらを重ねる。

 鬼島はゆっくり瞬きをした。
 怖がってはいないらしいナツ。それならば、困っているような顔に見える。気持ちが良い、快感に溶けたような目の中にちらつく、何かもやもやとした不安。手に重ねられた手のひらは太股よりも少し冷たい。


「ナツくん、どうかした?」


 手を返して、ぎゅっと握る。指も全てまとめて握りしめるようなかたちで。
 休日の朝は、ナツのほうが先に目を覚ますことが多い。今日もそうで、鬼島が起きたときにはもうナツは本を読んでいた。布団が温かいからだろうか、身体を埋めたまま。背中を向けていたから抱きしめたら、あれよあれよとこういうことになった。珍しく、ナツが主導で。
 腹の上に乗り、奥深くに迎え入れてくれたまではよかった。触れ合うことが目的で快感を求めていたわけではないから、遊びの延長のようにゆるゆるとしているだけで十分だ。けれどナツの顔がどんどん曇っていって、気になってしまった。


「ナツくん?」


 鬼島の低い声が名前を呼ぶ。決して大きくはないけれどはっきりと耳に届く、不思議な甘さを持った声。ナツは、知らず知らずに詰めていた息を吐き、その拍子に更に深い場所へ鬼島が入り込んできたような気がして、微かな喘ぎを漏らした。


「……きしまさん」
「なぁに」
「……おれ、わからないんです」
「ナツくんはよくわからなくなっちゃうね」


 鬼島の声は責めるでもなく、からかうでもなく、ただ思ったことを言っているだけのようだった。こくりと頷く。


「きしまさんはいつも、おれをわかんなくさせます」
「それはちょっと嬉しいな」
「うれしいんですか」
「うん。なんとなくね」


 蠢くナツの体内に眉を寄せる。その動きは髪に阻まれてナツには見えていないが、漏れた吐息で気付かれた。


「きしまさん、きもちいいですか」
「うん、すごく」
「……おれと、いっこになっちゃったら、どうしますか」
「いっこ?」
「どろどろになって、いっこになっちゃったら」
「悪いことだとは、思わないけど」
「でも、おれ、いやです。きしまさんとはいっしょにいたいけど、きしまさん、わかんなくなったりしたくないんです」


 ナツが考えていることが、ぼんやりと見えてきたような気がした。
 ナツ自身もよくわからず不安に思っているようだが、どうやら自分と一緒にいる時間が長すぎだと思っているようだ。当たり前に一緒にいて、その当たり前が当たり前でいいのかと思っているように、感じる。よくわからないけれど、多分。


「ナツくんは鬼島さんと一緒にいるの、嫌なの?」
「いやじゃない、です。でも、ながくいっしょにいたら、あの、いけないんじゃないかなって……」
「なんで? 鬼島さんはナツくんと一緒にいたいと思ってるけど。むしろ時間が少なくて寂しくなるよ」
「すくない、ですか」
「少ないよ。日中鬼島さんは仕事だし、ナツくんは学校だし、お休みだって一緒にいられないことがあるじゃない」
「……すくない、ですか」
「少ないよ。全然だよ。一日二十四時間あるのにナツくんといられるの何時間?」
「……」


 困ったようなナツの顔。鬼島の口元が笑う。


「まだまだ一緒にいたいし、ナツくんと境目がなくなるくらいべったりになれるんだったら大歓迎だし、何が不安なの?」
「……いいんでしょうか」
「鬼島さんはいいと思うけどねえ。むしろそうなる方法を知りたいくらい」
「……」
「鬼島さんはいつだってナツくんが欲しいよ。ナツくん不足で倒れそう」
「そうなんですか」
「ナツくんは違うの? 朝っぱらから鬼島さんに乗っかってくれるくらい、鬼島さん不足なのかと思ってた」


 ゆす、と、乱暴に腰をゆすり上げられて目の前がちかっとした。
 そう言われてみれば、こうやって鬼島にまたがるくらい鬼島を求めていたのかもしれない。たくさん一緒にいると頭では思っていたけれど、実は違ったのかもしれない。
 ナツは、そろりそろりと腰を振る。
 鬼島は、笑った。


「ナツくん、もっと鬼島さんのほうに来てよ」


 それは身体の距離の事を言っているのではない。
 けれどナツには、それがまだ解らなかった。



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