小説 | ナノ

めぐむとひかる 4


めぐむ
熙(ひかる)





「めぐむ、お風呂ですよ」
「はい」
「わたしと一緒に」
「えっ」


 真っ赤になり、もじもじし始めためぐむに、どうしました、と首をかしげる熙。めぐむは何かを言いかけて、口を閉じてのろのろと風呂の準備を始めた。たんすを開けて着替えを取り出し、腕に抱えてとことこ近づいてくる。


「行きましょうか」
「はい……」


 大きくて広い、当主の熙と伴侶であるめぐむのためだけの風呂場。めぐむはそれがお気に入りで、毎日入るのに毎回嬉しそうに、跳ねるように廊下を歩いていた。そんな様子を見かけたので、早く帰ってきた今日は一緒に入ろうと思ったのだが、予想に反して暗い顔に熙は何か間違えただろうかと、無表情の下であれこれと思いを巡らせる。ひとりがよかったのだろうか。それとも、氷魚と入りたかったのだろうか。後者を思いつくと同時にむっと腹が立った。当主用の風呂に、忠誠心の深い氷魚が浸かるはずもないとわかっているのだが、想像したらそれだけで嫌になる。別に氷魚が嫌いだというわけではなく、めぐむが氷魚で喜ぶのが嫌だったのだ。
 あれやこれやと考えているうちにいつの間にか廊下を渡り、風呂場についていた。
 設えられた棚に着替えを置く。
 めぐむは熙を見上げて、やはり何かを言いたそうにして、けれど口を開かずにうつむいた。袷へ手をかけたまま、もぞもぞ、動かない。


「どうかしましたか」


 熙が話しかけるとびくりと小さな肩を揺らし、困ったような目で見上げてきた。めぐむの目は大きく、光を受けてよく輝く。真っ赤な頬に熱でもあるのか、額に手のひらを当ててみる。と、驚いたように丸くして、あわあわとしていた。


「今日は何かおかしいような……気分でも悪いのですか」


 熙の低音に戸惑いを感じ取っためぐむは、あの違うんです、と小さな声で言った。頬に当てられた手のひらの温度は低く、きっと冷えていらっしゃるんだ、と思ったけれど、まだ風呂に入る決心がつかない。熙は低体温で、一緒に寝ていて足が触ると結構冷たい。だから今だって早く温まりたいだろうと思うと、口を開かざるを得ない、と観念するつもりになった。
 ふう、と息を吐きだしためぐむ。
 首をかしげる熙。


「……はずかしいんです」


 ぽつんと落ちた声。かわいらしい、子どもっぽい声を聞き取った熙は長い睫毛を揺らして瞬き。さらに首をかしげる。


「何が、ですか」
「……ひかるさまと、おふろにはいるの……」
「どうしてです?」


 真っ赤になるめぐむ。熙は別に意地悪をしようとか、そういうことを考えていたわけではない。本当にわからなかったので聞いたのである。やはりもじもじして、上目遣いに熙をうかがうめぐむ。それにきゅんとした熙。


「……ひかるさま、に、その……何も着ていないの、みられるのが、はずかしくて」
「……ああ」


 そういうことですか、と、ようやく納得。体調が悪いというわけではなくて安心したあとに、子どもらしいというか奥ゆかしいというか、様々なものが入り混じった愛おしさを覚えて微笑む。


「では、見ないようにしましょうね」
「どうやって……?」
「めぐむが先にお入り。わたしはあとで入ります」
「えっ……」
「風呂はゆっくりする場所ですからね。わたしがいては、そわそわしてしまって休むどころではないでしょう」


 めぐむのために帰ってきて、めぐむが好きだから一緒に入ろうと思った。けれど自分がいて落ち着かないのでは意味がない。せっかく、あんなに楽しみにしているのだから。
 では、と、踵を返して母屋へ戻ろうとした熙。
 めぐむは、慌てて熙の着物をつかんだ。力は強くないので、背中を軽く引いた程度だったが。振り返り、見下ろす。先ほどより焦ったような顔のめぐむが、首を横に振った。


「ちがいます、一緒にはいるの、いやじゃないんです。ただはずかしいだけです。ひかるさまとごいっしょできるのは、すごく、すごくうれしいです」


 ほんとうです、と、ことばをうまく見つけられないようで、嫌じゃないんです、と繰り返しためぐむ。


「でも、見られるのは嫌なんでしょう」
「……いや、じゃなくて……はずかしいだけなんです」
「嫌じゃないのですか」
「はい」


 返事だけはきっぱりと。どうやら本当に嫌ではないようだと思ったけれど。だからといってどうしたらいいのか考えは浮かばない。しばらくそこで、熙は取っ手へ手をかけたまま、めぐむは熙の着物をちょこんとつかんだまま、考えていた。
 そして。


「めぐむ、いいですか」
「あ、もうちょっと、あの」
「わかりました」


 なかなか滑稽な図だと思いながら、湯に浸かった熙は目を両手で覆ったまま、めぐむがいいと言うのを待っている。ばしゃばしゃ、かなり急かしい身体を洗う音。


「ゆっくりでいいのですよ」
「はい」


 湯が揺れる。人が入ってくる気配。それから、お待たせしました、と、すぐ近くから声がした。手をはずす。明るさが眩しく感じた。
 めぐむが、割とすぐ近くに浸かっていた。横にいて、肩が触れそうだ。近さは問題ではないのだな、と思う。隣を見るとまた恥ずかしがってしまうかもしれないので、ただ前を見た。曇ったがらすには白い蒸気しかない。


「きもちいいです」
「そうですね」
「こういうおおきいお風呂、すきです」
「そうですか」


 めぐむが好きなものを、熙は少しずつ知っていく。
 りんごが好き、文字を書くのが好き、なんでもない寓話を読むのが好き、本当は外に出るのも好き、そして、風呂が好き。大きな風呂。熙の中のめぐむの、空白だった部分がどんどん埋まる。それでも、まだまだ足りない。めぐむを知るには。まだまだ。


「ひかるさまはどうですか」


 お風呂、おすきですか。
 尋ねられて、頷く。それから声を出さないとわからないかもしれない、と思って、好きですよ、と言った。温泉も好きだし、行く機会はほぼないが大衆浴場なども好きだ。


「おんなじですね」


 どこかうれしそうなめぐむの声がした。
 めぐむは、自分とおなじだと嬉しい。またひとつ知った。埋まる。それは嫌な重さではなく、却って身が軽くなるような心が軽くなるような。


「ひかるさま、最近お帰りが遅いから心配していたんです。寝てから、お帰りになるから……」
「そうですか」
「はい。でも、こうやっていっしょにいる時間をくださって嬉しいです。ありがとうございます」
「……また、寂しかったですか」


 いいえ、と、すぐ声が返ってきた。
 けれど、間が空いて、いいえ、とまた同じ言葉が聞こえた。


「……ほんとうは、少しだけ、さみしかったです。でも、お仕事をしていらっしゃるし、わがまま、だから……言ってはいけないと、思って」
「そんなの、かまいませんよ。お前はほかの者とは違います。わたしの、妻、なので」


 不思議と、妻、と言うのが少し面映ゆかった。そんなことはなかったのに。
 不自然な沈黙が落ちる。なんとなく、めぐむも同じような心持であるような気がした。
 湯が落ちる音がする。どこかで水滴が垂れたのか、そんな音もした。ひとりで入っている時には気にもしない音がいやに耳に入った。


「……ひかるさまは、周りの声がうるさいから、ぼくをお傍においてくれましたね」
「ええ、最初は、そうでした」
「いまは、そうではない、と、思ってもいいのでしょうか」


 少しだけため息交じりで、声が震えて。めぐむの言葉に頷きかけて、声にしないと伝わらないことを再び思い出した。


「ええ。お前は、わたしの大切な人、ですよ」


 日々を一緒に過ごす中で、たとえそれが短い時間でも、めぐむの可愛らしさ、純粋さ、子どもっぽさ、控えめさ、たまに無鉄砲なところ、なにもかもが好ましい。顔や声だけではなく、すべてが。


「うれしいです」


 そう言っためぐむのほうへ腕を伸ばし、肩を抱き寄せる。触れた肌に、胸が高鳴った。たとえ顔が見えてもきっとめぐむには伝わらないだろうと思ったのに、めぐむが「どきどき、します」と言ったので、思わず頷いてしまって、振動でわかったのか、笑い声が聞こえた。


「ひかるさまもどきどき、なさるのですね」
「人間ですよ」
「ええ、そうですね」
「そうです」
「そうでした」


 ふふ、と笑うめぐむが、頭を肩へ乗せた。





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