小説 | ナノ

王子と坊主


 

阿木 真沙美(あき まさみ)
能勢 一梗(のせ いっきょう)





 真沙美は溜息をついた。
 坊主頭にオイルで汚れたツナギ、耳には複数のピアスホール、目つきの悪い二重、黒い太縁眼鏡。いかにも工業科という風体で、きれいに掃除されていい匂いの教室棟を歩くのは居心地が悪いなどというものではない。さらにすれ違う人間の目。明らかに見下したような表情でこちらを見てくる。
 先月からこの高校に入学し、何度かここを訪れているがどうにも慣れない。エリートで家柄も頭もいい特進科と工業科は同じ敷地にあるだけで関わりは一切なく、校舎ももちろん別。
 工業科の校舎はもっと機械的なにおいと雑然とした雰囲気で、しょっちゅう大声や物音がしている。いつ来ても静かなこことは大違い、先生たちからも「動物園」と評される工業科校舎はしかし、みんな明るくて開けっぴろげで居心地が良い。

 足早に一番奥の教室へ行き、後ろの出入り口から教室内を伺う。放課後の教室には女子生徒が複数人、それに囲まれる男子生徒がひとり。その様子にほんの少し胸が痛んだのを見ないふり。華やかな空間を邪魔してもいいのか困っていたら、男子生徒が気付いた。
 坊主頭を目にいれた瞬間、ぱあっと顔が輝く。


「まさ、遅かったな!」


 黒髪がよく似合う白い肌に赤い唇、すっと通った鼻筋がきれいな特進科の王子様・能勢 一梗。表情をあまり変えないことで有名な彼がこうも嬉しそうな顔をする。初めて見たのか女子生徒たちは少々濃い目の化粧を施した目できっと真沙美を睨みつけた。
 明らかな不良にガンを飛ばされたなら対処もできるが、女子生徒からの視線にはどうしたらいいのかわかない。怖がって肩をすくめた真沙美のところへ、王子様がやってきた。
 体格の良い真沙美より少し背が低く、けれどしっかりした身体つき。


「帰ろう」


 真沙美はこっくり頷き、少々後ろを歩き出した。

 工業科と特進科ではもちろん玄関も異なる。一度工業科の玄関から出て特進科の玄関で靴を脱いだ真沙美は、靴下で廊下をぺたぺた。下駄箱前で脱いだブーツを座って履いていたら、隣に一梗が座った。その座り方さえ、どこか優雅だ。


「まさ、なんか変な顔してるな。なんかあったのか。工業科でいじめられてるのか。見た目は怖いけど優しいからな。なんかあったらすぐ言うんだぞ」


 真沙美は小さい頃から人より身体が大きく、顔がわりと怖かったためによく誤解されてきた。今も不良に絡まれたり目をつけられたりなんだり、しょっちゅうだ。身を守るべく売られたケンカは買うが、自分から手を出したりはしない。いじめも、人を困らせるような真似もしない。むしろかなり心優しいほうである。
 中学校で初対面の人間が遠巻きにする中で、一梗だけが話しかけてきた。一梗の家は有名な大企業で、また違った意味で人から理解されない日々を過ごしてきた。
 そんな二人が距離を近くするのに、さほど時間は掛からなかったようだ。

 肩に触れる一梗の体温を感じ、真沙美の頬が微かに赤くなる。それを見逃さずに美しい顔がにやりと笑ってより身体を押し付け、腰を抱いた。なにもついていなくとも大きなピアスホールのある耳へ顔を近づけ、息を吹きかけるように囁く。


「俺がこんなに心配するのは、まさのことだけだ」


 今度は湯気が出そうなほど顔が真っ赤になった。ツナギが肌蹴け、露わになっている首元まで綺麗に染め上がっている。恋人の初心な反応に一梗は笑い、ちゅっと頬にキス。それだけでは飽き足らず、唇を目指したら顔面を大きな手に掴まれた。黒縁眼鏡の奥の鋭い二重は潤んでいて、とても可愛い。


「……いつ、誰が来るかわかんないからっ……」
「俺は見られたって構わないが」
「オレがっ、構うの! こんなとこで、だめっ!」


 さすが工業科、力強く押しのけ慌てた様子でブーツへ足をねじ込み離れた。肩からずり落ちたワンショルダーの鞄を引き上げて胸元でぎゅうぎゅう握りしめつつ様子をうかがう。


「まさは俺とキスしたくないのだな。そうか……」


 わざとらしく落ち込んで見せる。もちろん一梗がこれだけで落ち込むはずがない。しかし人の良い真沙美は、少々強く言いすぎたかとおろおろ、もう一度近付いてしゃがみ込む。
 瞬間、坊主頭を抑え込み、しっかり唇を合わせてキス。黒縁眼鏡が邪魔だが仕方がない。ぬるりと間を割って入り込んだ熱い舌で歯列を舐め舌を無理矢理絡め取り、ずいぶんはっきりミントの味がする口の中を撫でまわす。あまりハードなタブレットを噛むなと言っているのに、と思いながら、好きなだけ暴れ回った。


「……やらしい顔だな? 真沙美」


 僅かに離れれば艶々の唇。それを舌先で舐め、軽く噛んで頭を押さえつけていた手を離した。
 しばらく固まっていた真沙美は我に返り、直後に王子様の頬をつねり上げる。


「……っ、一梗のばかっ! ハレンチ!」


 なんだかんだ力加減のされたつねり方に愛情を感じつつ、一梗も靴を履き、先に行ってしまった後姿を追いかけて掴まえ、本当に聞きたかったことを口にした。


「まさ、本当に何かあったんじゃないのか。顔が暗い」


 真沙美は、別に、と言ったけれど、一梗には理由がなんとなくわかった。前に回りこみ、足を止めさせる。
 真剣な顔で見上げられると綺麗な顔だけに迫力。ごつごつしてところどころ汚れている真沙美の手へ、白い綺麗な手がそっと触れ、指が絡んだ。


「俺が愛せるのも好きになれるのも、真沙美だけだ。他の人間があるわけがない。それだけはよくわかっておいてくれ」


 じっと、レンズ越しに見つめてきた真沙美は一梗の手を持ち上げ、甲に唇を触れさせる。そして宝石のような眼差しで何も言わずにただ見つめた。言いたいことはわかるだろう、と。
 真沙美の目は口よりもよくしゃべる。
 王子様は頬を緩ませ、それはそれは魅力的に笑った。
 




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